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第43話

その日は新作発表会の当日で、俺はイベント会場で責任者として忙しく働いていた。


「宇佐神課長、トラブル発生です!」


「なんだ!?」


他のスタッフたちに矢継ぎ早に指示を出しながら報告を待つ。


「キーモデルのルナさんとインフルエンサーのCOCOKAさんが揉めています」


それを聞いて俺の口からはぁーっと重いため息が落ちていった。

薄々、そうなるんじゃないかとは思っていたが、実際になると頭が痛い。


「しかも、宇佐神課長と結婚するのは誰か、って口論になってるみたいで……」


言いにくそうに続けられ、再び俺の口からため息が落ちていく。

ルナとCOCOKAさんの性格が絶望的にあわないのは諦めるしかないが、それでも揉めるなら別の話題にしてほしいところだ。


「わかった、すぐ行く。

わるいがここ、頼むな」


他の人間にその場をまかせ、現場に急いだ。


ルナが新商品のキーモデルに決まったときから悪い予感はしていた。

美人トップモデルなんてもてはやされているが、アイツはとにかく性格が悪いのだ。

なんでそんなことを知っているのかって、ルナは俺の幼馴染みで親が勝手に決めた婚約者なのだ。

おかげで小さい頃からアイツには振り回され、なにかと迷惑を……まあ、そんな話は今はいい。

俺としては家を出るときにルナとは結婚しないとはっきり言ってきたが、ルナとしては気にしていないのか……それとも。

父が完全に無視しているのか。

父はとにかく俺……だけではなく、兄も、母も自分にとってはただのコマとしか思っていない。

だから俺は家を出たのだ。


現場に近づくとルナたちの声が聞こえてきた。


「決めた。

今すぐこんな会社、龍志を辞めさせるわ。

それで一刻も早く、私と結婚してもらう」


勝手に俺に会社を辞めさせようとしているルナにむっとした。

いまだに彼女は俺を、自分の奴隷かなにかに思っているのだろう。


「だから、宇佐神課長と結婚するのは七星お姉さまなの!」


半ば叫ぶCOCOKAさんの横で、七星が死んだ目をして立っていた。

争点が自分で、しかもふたりがヒートアップして収拾がつかなくなっているとなれば、そうなっても仕方ない。


「だから、この女には無理だって。

地味で冴えないのはもちろん、龍志は……」


「ルナ」


ルナの口から俺の実家が明かされそうになり、制止する。


「なに、騒ぎを起こしてるんだ?」


冷ややかに彼女たちへ視線を送る。

COCOKAさんも七星も、野次馬たちもばつが悪そうな顔になったが、ルナだけは違った。


「あーん、龍志ー、あの女がルナを苛めるのー」


勝ち誇った顔でルナが俺にしなだれかかってくる。

それを邪険に振り払った。


「ルナ。

どうせお前がなんか言ったんだろ」


自分を味方してくれないのだとわかりルナは不満そうな顔をしたが、知ったこっちゃない。


「ほらみんな、散った、散った!

もう開場までさほど時間はないんだ!

さっさと持ち場に戻れ!」


「はっ、はいっ!」


大慌てで野次馬たちが散っていく。

あとには当事者たちとルナのマネージャーが残された。


「俺はこっちをフォローしてくるから、井ノ上はそっち、頼む」


七星にCOCOKAさんを頼み、まだなにか言いたげに俺を睨んでいるルナの手を引っ張り、控え室へ押し込む。


「お前なー、仕事場でトラブル起こすとかいい加減にしろ!」


「えーん、龍志が怒ったー」


俺に特大の雷を落とされ、ルナは泣き……真似をした。

これくらいで彼女が堪えたりするわけないのだ。


「こっちは忙しいんだ、勘弁してくれ」


適当な椅子に座り、置いてあるお茶のペットボトルを開ける。

ルナのために用意してあるものだが、いいことにした。


「私、悪くないもん。

喧嘩売ってきたのはあっちだもん」


彼女が唇を尖らせ上目遣いで見てくるが、そうやれば男が許してくれるのがわかってやっているのでまったく可愛くない。


「どうせお前が、控え室がショボいだのスタッフの気が利かないだの言ったんだろ」


「うっ」


図星だったようで、彼女が声を詰まらせる。


「特別扱いする必要はないと言ったのは俺だ。

文句なら俺に言え」


ごくごくとお茶を一気に喉へ流し込む。

小山田部長などはトップモデルだから丁重におもてなしするべきだと主張していたが、そんなのルナをさらにつけあがらせるだけだ。

それでもCOCOKAさんよりも広い部屋を用意し、差し入れの飲み物やお菓子はルナの好きなものを用意した。


「龍志が直々にお出迎えして、今日一日、私についていてくれるんなら文句なんて言わなかったわよ!」


キレるルナが面倒臭くてつい、ため息をついていた。


「俺は現場責任者で、いろいろ仕事があるの。

一日お前についているなんて無理に決まってるだろ」


「だから!

なんで龍志が雑用係なんてしてるの!?

龍志は将来……」


「ルナ」


俺から強い声を出され、彼女が口を噤む。


「俺はもうあの家を出た。

家とは関係ないし、お前とも結婚しない」


はっきりと、強い意志を持って彼女に言い切る。


「でも、おじさまは諦めてないわ。

まだ私との婚約は撤回されてないし、それどころか近々、龍志を呼び戻すから結納の日はいつにしようかって聞かれたわ」


それを聞いてどす黒い感情が胸の中でぐるぐると渦巻き、苦いものが口の中に広がった。

父はいまだに、俺は自分の所有物だと思っているのか。

まだそんな話が俺の耳に届いていないのはきっと、兄が押しとどめてくれているのだろう。


「……とにかく。

親父がなんと言おうと俺はお前と結婚する気も、家に戻る気もない」


「でも、おじさまは絶対、許してくれないわ」


「この話はこれで終わりだ。

お前もプロなら騒ぎなど起こさず、ちゃんと仕事をしろ」


食い下がってくるルナを、怒りを込めた目で睨みつける。


「……わかった」


ルナが傷ついた顔をして申し訳なくなったが、気づかないフリをした。


「じゃあ、あとはしっかりやってくれ」


彼女から目を逸らし、逃げるように部屋を出る。


「……最低だな、俺」


あんなの、ただの八つ当たりだとわかっていた。

悪いのはルナじゃなく、父だ。

しかしそうするしかできなかった。


その後はイベントを回すのに忙殺されてこの問題からは目を逸らした。

帰りは終電間際になり、タクシーで七星と一緒に帰る。


「これで明日も仕事なんて信じられません……」


「耐えろ。

あと二日したら休みだ」


彼女は茫然自失といった感じで、つい苦笑いしていた。


「あと二日もある……」


憂鬱そうに彼女がため息をつき、同じ思いなだけになんとも言えない。


「そういえばルナさんと龍志って、知り合いなんですか」


聞かれるだろうとは思っていたが、それでもどきっとした。


「前に他の仕事で少し、な」


曖昧に笑い、適当に誤魔化す。

これで納得してくれと願ったものの。


「……仕事を辞めてルナさんと結婚、とかも言ってましたが」


さらに彼女が質問を重ねてきて、どう答えたらいいのか悩んだ。


「俺に今の仕事を辞める気なんてないし、それに俺は誰とも結婚する気はない」


悩んでも答えは出ず結局、正直に本心を漏らす。


「……誰とも結婚、しないんですか」


七星に再び尋ねられ、自分の口から出た言葉を知った。

しまったと思ったがもう遅い。


「わるい、忘れてくれ」


そのまま、流れる窓の外へと視線を逸らして黙った。

狡いのはわかっているが、七星の前では普通の会社員の宇佐神龍志でいたかった。

本格的に付き合えば、俺が誰とも結婚したくない事情も実家のことも避けて通れないのもわかっている。

それでも俺は少しでも長く、今の生活が続けたかった。


「……七星と結婚できたらいいのにな」


呟いた声は誰の耳にも届かないほど、小さかった。

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