煮込みに入ったらやることはなくなるので、コーヒー片手に互いにやりたいことをやる。
私は携帯で漫画を読み、龍志はタブレット片手になにやらやっていた。
「なー、七星」
「はい?」
唐突に話しかけられ、顔を上げる。
「明日、映画観に行かないか?
ほら、COCOKAさんとの食事が入ってダメになってから忙しくて行けなかったし」
「そうですね……」
今までの私ならきっと、ふたつ返事で承知していただろう。
しかしずっと、新作発表会の帰りに彼の口から出た「誰とも結婚する気はない」
という言葉が私に重くのしかかっている。
こんなあまあまな生活をしていながら、彼にとって私はいったい、なんなんだろう?
ただの世話の焼ける部下?
それだったらいいが遊びだったら立ち直れない。
COCOKAさんは龍志の好きな人とは私だと言っていたが、それでも信じられなかった。
「……いい、ですよ」
どうしようか数秒悩み、返事をする。
これで断るなんて不審以外なにものでもないし、それに一緒の時間が増えればそれだけ、彼の気持ちがわかるかもしれない。
「じゃ、なに観に行く?」
龍志が私のほうへとタブレットを向けてくるので、私もテーブルに近づき一緒に画面を見た。
最初からその気だったのかすでにそこには、映画館の上映スケジュールが開かれている。
「うーん、今、話題なのはこれですけど……」
最近、CMがバンバン打ち出されている映画を指す。
「こういうのは苦手なんですよね……」
曖昧に笑って彼の顔を見た。
それは切ない恋愛ものだったが、いかにも感動させて泣かせてやろうという制作側の意図が見え見えで反対に私としては、冷める。
「あー、俺もそういうのは苦手。
俺が気になっているのはこれだけど、他の作品のスピンオフなんだよな」
龍志が指したのは邦画のヒューマンドラマだった。
元の作品は大ヒットしていたので知っているが、私は残念ながら観たことがない。
「単体でも楽しめるようになってるけど、やっぱ知ってたほうが面白いしな……」
彼は悩んでいるが、私はこれが絶対に観たいというのはないので彼が観たいのならこれでいい。
それに。
「元作品って配信、あります?」
「確かあったと思うけど……」
テレビをつけ、龍志がリモコンを操作する。
すぐに該当の作品がヒットした。
「じゃあ、今日の夜にこれを観て、明日はこの映画を観に行くっていうのでどうです?
龍志も復習になっていいんじゃないですか?」
「そうだな、決まりだ」
嬉々として彼はタブレットを操作し、チケットを押さえていた。
「じゃあ、明日は映画を観に行くってことで」
「はい」
自分で行くと返事をしていながら、どんな立場で彼と明日、一緒に行動していいのかわからない。
それでも想いを寄せる男性とプライベートで、しかもふたりでお出かけなのだ。
とりあえず、楽しもうと決めた。
夕ごはんはもちろん、ロールキャベツだった。
龍志がお皿によそってチーズをのせ、焼いているあいだに私は買ってきていたベビーリーフとミニトマトを盛り付けてサラダを作る。
ロールキャベツをオーブンにセットしたあと、彼はバケットを切ってニンニクをおろし、ガーリックトーストの準備をしているようだった。
「オーブンにさらにトースター使ったらブレーカー、落ちません?」
「フライパンでもできるから問題ない」
てきぱきとフライパンを熱して龍志が調理を始め、あたりにニンニクのいい匂いが広がった。
途端に私のお腹がぐーっと音を立てる。
「えっ、あっ」
「あとちょっとできるから辛抱しろ」
おかしそうに彼が笑い、恥ずかしすぎてあっという間に顔が熱くなった。
できあがった料理をリビングのテーブルに並べる。
ガーリックトーストとサラダ、私のリクエストしたトマトソースで煮込んだロールキャベツにチーズをのせて焼いたヤツ。
それにあとはよく冷やした白ワインだ。
「じゃあ仕事、お疲れ様」
「お疲れ様です」
とりあえず白ワインで乾杯し、食事が始まる。
「毎回のこととはいえ、新作発表会は疲れるよな……」
はぁーっと疲労の濃いため息が龍志の口から落ちていき、苦笑いしかできない。
複数部署が絡む対外向けイベント、しかもとりまとめ部署の管理職となれば大変だ。
本来なら小山田部長が陣頭指揮を執るはずなのだが、あの人は龍志にまかせっきりだから仕方ない。
「イベント回すだけでも大変なのに、騒ぎを起こすヤツはいるし……」
また龍志がため息をつき、びくっと身体が震えた。
揉めていたのはルナさんとCOCOKAさんだが、COCOKAさんは私の担当だし、さらに私が争点となっていただけに肩身が狭い。
「ううっ、すみません……」
「なんで七星が謝るんだ?
悪いのはルナだろ」
龍志の口からはCOCOKAさんの名前が出てこなくて、ついその顔を見ていた。
「え、COCOKAさんはお咎めなしですか……?」
「んー?
終わったあと、滅茶苦茶長い謝罪文が送られてきたしなー。
それに俺たちを庇ってくれたのは嬉しかったし」
そうか、彼はそう言ってくれるのか。
あのあと、また騒ぎを起こしてCOCOKAなんてやはり降ろせばよかったのだと小山田部長からは憤慨されたが、見ている人はちゃんと見ているのだと嬉しくなった。
「まあ、時と場所は選んでほしかったけどな」
ははっと短く乾いた笑いを落とし、龍志がグラスのワインをくいっと飲み干す。
それは同じ気持ちなだけに私も苦笑いしていた。
……でも。
本当はあれから、ずっとルナさんと龍志の関係が気にかかっていた。
聞きたいけれどあの日の帰りのタクシーで誤魔化されそれ以上、聞けない空気になっている。
龍志は私になにか、隠している?
しかし、たまに見せるつらそうな顔が私に尋ねさせてくれない。
「でも毎日、七星が俺のベッドのシーツ、替えてくれてたのは嬉しかった。
ありがとう」
「えっ、あっ、そんな」
眼鏡の向こうで目尻を下げて眩しそうに見られ、みるみる顔の熱が上がっていく。
なんとなくじっとしていられなくて、意味もなく落ちかかる髪を耳にかけたりしてしまった。
「大変だっただろ?
七星だって毎日、帰りが遅かったのに」
「あっ、いや、龍志のほうが私のためにおかずの作り置きとかしてくれて大変だったので」
私にできることなんて彼に毎日、気持ちよく眠ってもらうくらいしか思いつかなかった。
顔をあわせるたび、日に日に濃くなっていく彼の目の下のくまに胸が痛かった。
「いつもならイベントが終わったときにはゾンビみたいになってるのに、おかげで今回はギリギリ人間に留まってたわ」
おかしそうに龍志が笑い、私も曖昧な笑みを浮かべる。
いや、全然笑い事ではないのだ、ほんとに。
それでも少しでも彼の力になれたのかと嬉しかった。