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第60話

龍志に今日は由姫ちゃんと食事をするようになったので家具屋には行けなくなったと連絡を入れ、仕事を再開する。


「七星」


少しして外回りから帰ってきた龍志が、外に出ろと親指で指す。

きっと約束を反故にされて怒っているんだろうなと怯えつつも、指示に従い部屋の外に出た。

待っていた彼に促され、休憩コーナーへと向かう。


「今晩、坂下さかしたと食事に行くんだろ?」


「あー、はい」


バッグを床に置き、龍志はなぜか財布を取り出した。


「ん。

楽しんでこい」


そこからさらに一万円札を抜き、私に差し出してくる。


「えっ、そんなのいいですよ!」


「いいから。

部下に奢るのも上司の仕事だ」


そうなのか……?

なんか違う気がするが、私の手を取って彼がお札を握らせてくるので、これ以上断るのは悪い気がして受け取った。


「じゃあ……。

ありがたく」


「うん」


龍志が眼鏡の向こうで目を細め、頷く。

その笑顔が眩しく見えてしまうのって、両想いになったからですか?


「今日はベッド、見に行けなくなってすみません」


精一杯、お詫びの気持ちで頭を下げた。

今朝、楽しみにしていたようだし申し訳ない。


「いや、いい。

俺もちょうど、遅くまでかかりそうな仕事が入ったからな」


彼は苦笑い気味に言ってきたが、きっと私に気を遣わせない口実だろう。


話も終わり、部署に戻って仕事を再開する。

龍志も自分の机に着き、パソコンを立ち上げていた。


「宇佐神かちょー」


しばらくして若手男性社員の困り声が聞こえてきて、つい顔を上げる。


「なんだ?」


机を挟んで自分の前に立った彼を見上げた龍志の顔にははっきりと、面倒ごとを持ち込むなと書いてあった。

しかしそれには気づかず、彼が続ける。


「小山田部長がルナさんを不快な目に遭わせてしまったのでお詫びしなければならない、席を設定しろって言ってくるんですー」


これだけ聞けば当たり前だしなにをそんなに困る理由があるのかといった感じだが、あの件は龍志があいだに入ってきっちり謝罪している。

ルナさん側からも騒ぎを起こして申し訳なかったと正式に謝罪があり、片がついているのだ。

なのにさらに小山田部長がしゃしゃり出てくるのは上役としてというよりも、ただ単に美人有名モデルのルナさんとお近づきになりたい以外になにものでもない。

だから命じられた男性社員はほとほと困り果てているのだ。


「はぁ?

小山田部長くらい自分で説き伏せろよ。

なんでもかんでも俺のところに持ってくるな」


「うっ」


ぴしゃりと龍志が言い放ち、男性社員は声を詰まらせた。


「で、でも、オレの言うこと、全然聞いてくれないんです……」


龍志に拒否され、彼はみるみる萎れていった。

きっと犬だったら耳はぺっしゃんこになり、尻尾は力なくだらりと垂れているだろう。


「知るか。

だいたい、ルナさんの担当はお前だろ?

お前がちゃんとしないでどうする?」


「ううっ」


龍志の言うとおりなだけに彼は返す言葉がなくて途方に暮れているようだ。


「オレだってちゃんと、その件はもう片付いたので下手に蒸し返すほうが相手を不快にするのでって説得したんですよ。

でも、上役の自分が改めてちゃんと謝罪すべきだって、全然折れてくれなくて……。

ほんとに困ってるんです!

お願いです、どうにかしてください!

宇佐神課長!」


とうとう彼は机に両手をついてパソコンを超えて身を乗り出し、龍志にうるうると泣き落としに入った。


「知るか」


しかし龍志は俺様宇佐神様なので、そんなものが効くはずがない。

バッサリと切り捨てられてしまい、彼は肩を落として完全に項垂れてしまった。


「……はぁーっ」


それを見て、龍志が諦めたようにため息をつく。


「わかった。

俺から言っておいてやる」


「本当ですか!?」


面倒臭そうに頭をがしがし掻いている龍志に男性社員は縋りつくように再び前のめりになった。


「でも、今回だけだからな。

次からは自分でなんとかしろ」


「はいっ、次もよろしくお願いします!」


「だから次はないって言ってるだろ」


まったく人の話を聞いていない彼に龍志は苦笑いしている。

イベントからなにかが変わったのか、龍志は会社でも猫をかぶってよき上司を演じず、地の俺様宇佐神様でいるようになった。

とはいえ、なんだかんだ言いながら部下のために動く、よき上司には変わりないのだけれど。

――しかし。


〝次からは自分でなんとかしろ〟


これって、もうすぐ自分はいなくなるから、できないと困るぞってことじゃないだろうか。

龍志が私と一緒にいられるのは短いあいだだと言っていた。

それって、どれくらい?

効かなければいけないのはわかっていたが、その日を知るのが怖い私は先延ばしにしていた。

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