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第62話

「……ごめん」


素直に自分の口から謝罪の言葉が出てくる。


「べ、別に謝ってもらわなくても……」


「ストーカーにつきまとわれていて、刺されそうになったところを龍志が庇ってくれて怪我したんだ、あのとき」


「え……」


由姫ちゃんを無視して私が語った真実を知り、彼女とCOCOKAさんが固まる。


「ストーカーに、刺されそうになった……?」


「うん」


もう全部話してしまおうと、頷いた。


「えっ、ちょっ、なんで言ってくれないんですか!」


「ごめん」


由姫ちゃんは滅茶苦茶驚きつつ怒りながら混乱しているが、まあこんなことを聞かされればそうなるだろう。


「え?

待って、待って。

七星お姉さまがストーカーに刺されそうになって宇佐神課長が怪我したってどういうこと?」


COCOKAさんも絶賛大混乱中だが、まあ仕方ない。


「もしかして引っ越したのって、そのストーカーのせいですか」


「あー、うん。

そう」


曖昧に笑って私が答え、とうとう由姫ちゃんは大きなため息をついた。


「なんで話してくれなかったんですか。

言ってくれれば少しくらい、フォローできたのに」


「……ごめん」


あのときは自分のことでいっぱいいっぱいで、人に相談しようなんて余裕はなかったのだ。


「引っ越しさえすれば大丈夫だって思ったんだ。

でも、引っ越し先も突き止められて。

けど、たまたま引っ越した部屋が龍志の隣で、上司だからっていうのもあって相談に乗ってくれたんだ」


「えっ、それってもう、運命じゃないですか!」


目をキラキラとさせてふたりが軽く前のめりになり、苦笑いしていた。


「警察に相談に行こうって話していたんだけど、それよりも前に龍志を彼氏と誤解したストーカーに襲われて刺されそうになったところを、龍志が庇ってくれてあの怪我をした。

あれは今でも、申し訳ないって思ってる」


完全に塞がっても龍志の頬の傷は少し見れば気づくくらい跡が残ってしまった。

軽く化粧すればわからないと笑いながら、龍志が毎朝、消しているのは知っている。


「愛ですね……!」


「は?」


ふたりがうっとりとした目をし、思わず変な声が出ていた。


「……すみません」


しかしさすがに悪かったと気づいたのか、ふたりは慌てて謝って姿勢を正した。


「とにかく。

ふたりとも無事っていうか、あの程度の怪我で済んでよかったです。

済んでよかったですけど、もっと周りを頼ってください。

ほんっとーにあのとき、みんな心配してたんですよ?

まあ、ストーカーとか言いにくいのはわかりますけど」


「ごめん」


申し訳ない気持ちでいっぱいになり頭を下げる。

他人に私がストーカー被害に遭っていると相談しても、笑われるのが怖くて言えなかった。

でも龍志は真剣に聞いてくれたし、由姫ちゃんもこうやって心配してくれた。

私は、周りはこう私を見ていると思い込んでいる自分像に縛られていたんだと知った。


「これからはちゃんと、相談するようにする」


「はい。

私も頼ってもらえるように頑張ります!」


力強く頷く由姫ちゃんが頼もしい。

初めて彼女が、面倒をみてあげなきゃいけない後輩から、頼りがいのある同僚に見えた。

私は今までこうやって、自分の思い込みで勝手にいろいろ背負い込んでいたんだな。


「それにしてもソイツ、七星お姉さまをストーカーしていただけでも許せないのに、刺そうとしたなんてさらに許せないですね!

住所氏名顔写真から実家までネットにさらします!?」


「賛成!

井ノ上先輩を刺そうとして宇佐神課長のあの綺麗な顔に傷を作るなんて、万死に値する!」


ふたりは激怒しているが、前言撤回。

まだ私かしっかり、手綱を握っていないとまずそうだ。


「落ち着け。

ふたりとも、落ち着け」


「こんなの、落ち着いていられませんよ!

ああいう男は警察に捕まったところでまた、すぐに同じことをするんですし!」


うんうん、由姫ちゃんの言うことはわかる。

あのあと、弁護士の笹西さんからも少しでも今後の被害を抑えるために引っ越しと転職を勧められた。

――でも。


「なんかね、私に二度と、手出しができないように龍志が手を打ってくれたみたいなんだ。

だから、大丈夫だと思う」


「だったらいいんですけど……」


「お姉さまがそういうなら……」


渋々ながらふたりが引き下がってくれて、ほっとした。

実際、その手がなんなのか私は知らない。

ただ、それが龍志が私と結婚できない、大きな理由じゃないのかと思っていた。

けれどそうだと言われたらどうしていいのかわからないので、聞けない。


「でも七星お姉さま、プライベートでは宇佐神課長のこと、龍志って呼んでるんですね」


「えっ、あっ……うん」


ふたりが意味深ににやにやと笑っていて、あっという間に顔が熱くなった。


「しっかしルナのヤツ、宇佐神課長と結婚するってなんなんですかね、あれ。

宇佐神課長と結婚するのは七星お姉さまだってゆーの」


「そうそう。

こんな指環だってもらったんだし、宇佐神課長と結婚するのは井ノ上先輩で確定ですよ」


「は、はははは……」


ふたりの愚痴を笑って聞きながら、気まずくグラスを口に運ぶ。

ふたりはああ言っているが、龍志は私と結婚しない。

けれど私以外の誰とも結婚もしない。

それは少しだけ、私の心に安寧をもたらしていた。


その後は普段、ふたりでなにをしているのか白状させられた。


「えっ、毎日、朝晩ごはんを作ってくれるんですか!?」


「しっかり胃袋、掴まれてますね。

この、この」


ふたりは大興奮だが、そこまで?

いや、家事の中で一番面倒なのは料理だと私は思っているので、そこを龍志が負担してくれているのは確かに助かっていた。


「どうりで近頃、顔色がいいんですね」


「えっ、そんなに違う?」


由姫ちゃんの指摘でつい、自分の顔に触れていた。


「前は不健康とは言わないですけど、ストイックにサプリメントとかばっかりでまともにごはん食べてなさそうっていうか、そんな感じだったですけど、今は健康的にはつらつしているっていうか」


「うっ」


彼女の読みは当たらずとも遠からずなので胸に刺さる。


「絶対、宇佐神課長を手放しちゃダメですよ、井ノ上先輩」


「そうですよ、七星お姉さまには元気で長生きしてもらわないといけないので!」


「う、うん。

わかった」


ふたりに気圧されて承知したものの。

――私が龍志と一緒にいられるのは、ほんの少しのあいだなのだ。

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