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第13話 存在しない家族

 最寄り駅から地図を頼りに歩こうかとも思ったが、何せ田舎だ。日よけのない道を、長時間歩くことになるかもしれない。


 天気が良ければ歩いても良かったが、季節は梅雨明け。じりじりと照りつける太陽の下、ミズキを連れて延々歩くのは危険だった。


「ここからはタクシーで行こう」

「タクシー? 初めて乗る」


 ミズキが目を輝かせて見上げてくる。わかりやすく表情には出ないが、初めての経験の連続で興奮しっぱなしなのが伝わってくる。


「……そうか、初めてか」


 知識として知っているが、タクシーに実際に乗るのは初めてらしい。

 それはそうだ。ミズキがから、タクシーを使って移動した記憶などない。


 橘は駅前に唯一停まっていたタクシーを捕まえた。後部座席に先にミズキを押し込み、封筒に書かれていた住所を運転手に告げる。

東留ひがしとめ5-5-1までお願いします」

「はい、少々お待ちくださいね」

 運転手は東北訛りのイントネーションで返事をすると、カーナビにたどたどしく住所を入力してゆく。やがて目的地が設定されると、「あれ」と声を上げた。


「お客さん、菅野かんのさんのとこさ行ぐの? 会社のほうでなぐでいいんですか? この住所、菅野さんの自宅ですよ?」


 強い訛りに、内容を理解するまで少し時間がかかる。


「5-5-1に向かってください。そこでいいんです」

「そうですか?」


 運転手は戸惑い顔で車を発車させた。

 どうやら手紙の送り主は菅野というらしい。さらに、菅野家は、自宅と離れたところで何等かの会社を営んでいるらしい。


「菅野さんは、何の会社を経営しているんですか?」


 橘が尋ねると、運転手は肩越しに、ちらりをこちらを振り返った。


「お客さん、菅野さんとはどういうご関係で? 菅野さんが何をしでるのかも知らねで自宅のほうさ行ぐのすか?」


 さっきまで個人情報をぺらぺらと喋っていたのに、橘たちが外部の人間とわかった途端、警戒したらしい。田舎特有の雰囲気だ。橘にとっては、懐かしくすらあった。


「菅野さんのご自宅に招かれたんですよ。買い取って欲しい物があるとかで」


 招かれたと聞き、運転手がわずかに表情を緩めた。


「買い取る? 何を?」

「蔵にある、骨董品などを」


 やがて運転手が「ああ、わがった」と呑み込み顔になる。


「お客さん、美術商でしょう?」


 少々違うが、説明が面倒なので首肯する。


「ええ、そうです」

「美術商?」と、ミズキが怪訝そうに見上げてくる。余計なことを言うなと、小さく「話を合わせろ」と囁いた。


 怪しい者ではないとわかると、運転手の口は再び滑らかになった。


「『菅野建設かんのけんせつ』っていったら、ここらでは知らない者がいね有名な建設会社ですよ。この辺のおうちは、だいたい菅野さんのとこで建てでもらっているんだがら。自分んどこも、すっごいおっきなお屋敷」

「へえ、建設会社」


 それであの広大な庭付きのお屋敷か、と腑に落ちた。


「昔は木材とか石とか、そういった建物の材料? 建設材料をちょこちょこ売っているような小さな商店だったんだけどね、今の社長の親父の代から、大工や技術者を大勢雇って大きな会社にしてね」


 辣腕っていうのがな? と運転手は片腕を叩いた。おしゃべり好きなようで、運転手の口は止まらない。


「今の社長もすごいよ! おうちも会社もどんどんおっきくしてね、大富豪」

「なるほど」

「きっとお宝がざくざく出てくるよ」


 運転手の言うお宝とは、高価な美術品や骨董品のことだろう。もちろん、呪物を含め珍しい骨董品を見られたらいいが、橘の目的は他にある。


「菅野さんのお宅には、お子さんはいらっしゃるんですか?」

「いるよ、四人! 跡取り息子はお兄ちゃんくらいの歳じゃながったかな」


 運転手がバックミラー越しにミズキを見た。


「高校生くらいですか?」

「いんや、長男は大学生。末っ子はたしか小学生。あとは娘っ子が二人いだっけな」


 子供たちの中に、手紙の送り主がいるかもしれない。


「長男は頭がよぐって、東西大とうざいだいさ行ってるよ。下の子もちっちゃいうちからたーくさん習い事しているみたい。大変だね、お金持ちの家の息子ってのは」


 うちのバカ息子なんてゲームばかりと、それほど悩んでいなさそうな口調で運転手が続ける。


「親の期待に応えねどいけねがらね」

「娘さん二人も中高生くらいですか?」


 小学生の末っ子が手紙を送った可能性はないだろう。

 跡取り息子の長男か、その下の妹二人のどちらかか。もちろん、父母の線もまだ捨てきれないが。


「娘っ子二人は……いぐづになんのかなぁ?」


 それまで、他人の家のことをよく知っていると呆れるくらい詳しかったのに、娘二人のことになると、運転手のお喋りが止まった。年齢どころか、男三人だったかな、などと言い出す始末だ。


「ほら、娘っ子は関係ないから」


 運転手が顔の前で片手を振る。


「……関係ないとは?」

「おうちのことに関係ないでしょ、娘っ子は。どっか他所よそさお嫁に行っちゃうしさ」

「……そう、ですか?」


 このあたりでは、未だに男尊女卑の空気が残っているようだ。

 橘の地元でも、女子の個性を無視するきらいがあった。特に高齢の男性たちは、女の役目は家を守ることと決めつけ、それに反する女性を徹底的に叩いた。このあたりも似たような空気だ。何とも言えない気分になり、運転手の言葉がそれ以上耳に入ってこなかった。


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