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第14話 存在しない家族

 道の先に菅野家の敷地が見えてくると、その大きさに驚いた。

 広大な面積の敷地を、ぐるりと白い土塀どべいが囲んでいる。土塀はなかなか途切れず、かなり先まで続いている。

 車の中で饒舌だった運転手も、菅野家に近付くにつれ口数が少なくなり、門の前に着く頃にはすっかり萎縮していた。 

 橘からの支払いを受け取ると、挨拶もそこそこにそそくさと走り去った。


 土塀に連結した大きな棟門むなもんが、橘たちの行く手を阻むように建っている。

 門の向こう側に大きな黒松の木が見える。屋敷の屋根は、ずっと遠くにあり、門をくぐって数分は歩かないと辿り着けないようだった。


「ここ、寺?」


 ミズキが大きな門構えを見上げて口を開けている。見知らぬ土地での興奮もあるのか、普段よりも表情が幼く見えた。


「個人の家だよ。大きいよな」

「日の出荘よりも大きい」


 さて、ここまで来てみたものの、どうやって中に入ろうか?

 こんな手紙を貰った、と手紙を見せるのは悪手だろう。差し出し人は、何か名乗りたくない理由があってあえて名前を書かなかったのだ。


 では、ここら辺を歩いていたら迷ってしまって、などと言ってみようか。

 うまくいけば家の中に入れてもらえるかもしれない。中に入れなくても、玄関先で少し立ち話ができるかもしれない。ただしこのパターンは、菅野家の人間が、超がつくほどの善人だった場合だ。性悪だったり、人付き合いを嫌うタイプの人間だったら、交番に行けと言われて終わりだろう。最悪のケースは、押し売りや強盗の下見と間違われ、即座に通報される可能性もある。


「どうする? 呪物蒐集家ですって言うのか?」

「まさか。どうしようかな」


 ミズキに問われ、周囲を見渡した。

 菅野家の裏手は山になっており、緑が鬱蒼と茂っている。

 近隣に家は少なく、あっても古い日本家屋だ。新しめのアパートや集合住宅はなく、コンビニや小売店も見当たらない。きっと近所の人間は、みな古くからの顔見知りだろう。あまりもたもたしていては、「ここらで見かけない人間が菅野家の前をうろついている」と噂になる。


 門の前で考え込んでいると、「どちら様ですか?」と背後から声をかけられた。


「うちに何かご用で?」


 振り返ると、小柄な中年女性が立っていた。手に、回覧板と書かれたバインダーを持っている。幸か不幸か、おそらく菅野家の人間だ。


 橘は覚悟を決め、鞄から名刺入れを取り出した。一枚引き出し、女性の前に差し伸べる。


「突然すみません。私、民俗学を勉強している橘といいます。この辺りの民間伝承を調べるフィールドワークをしておりまして」


 名刺には「西南大学大学院 民俗学研究科 橘祐仁」と書かれている。

 この名刺は、以前知り合った民俗学研究家の男に貰った。名前の部分に少し手を加えて、いざという時に使わせてもらっている。

 どうしても信用を得たい時、学者や、学歴を異常に重視する頭でっかちな連中を相手にしなければいけない時。緊急時にのみ使用している。電話番号やメールアドレスが書いてあるわけではないので、本物に迷惑がかかることはないだろう。この名刺を出す時には、よりいっそうの品行方正を心掛けている。


 女性は遠慮がちに名刺を受け取ると「民俗学……」と独り言のように呟いた。

 隣でミズキも同様に「民俗学?」と首を傾げている。


「もしよろしければ、この辺りの地域についていくつか質問をしてもいいでしょうか?」


 女性は「はあ」と気の抜けた相槌を打つと、もう一度名刺に目を落とした。

 おそらく、名の知れた大学名に幾ばくかの信用を抱いたのだろう。わずかに警戒の姿勢をとき、門を開いた。


「よろしければお上がりください。私はそんなに詳しくないんですが、お祖母ちゃんが昔からこの土地に住んでいます」


 門の内側は想像以上に敷地が広かった。聳え立つ黒松の木に、手入れの行き届いた日本庭園。庭の中心にある池には、朱塗りの橋までかかっている。


 女性が飛び石の上をすいすいと進んでゆく。

 口を開けて立ち竦んでいるミズキの背を押して、女性の後に続いた。


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