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第15話 存在しない家族

 菅野家の応接間に通されると、間もなく、先ほどの中年女性に支えられるようにして老婆が入ってきた。


 ウエストの絞りのない、ゆったりとしたワンピースを着ている。腰を大きく曲げて歩くので実際の身長がわからないが、半袖から出た腕は枯れ枝のように細い。真っ白な頭髪をうなじの上で一つにまとめている。目の病気でもしたのか、室内でも色の濃いサングラスを着けたままだ。


 老婆は、女性に支えられながら慎重にソファに腰を下ろした。


「急にお邪魔して申し訳ありません。私は橘といいまして」


 再び名刺を出そうとすると、老婆が橘の挨拶を遮った。


「この辺りの冬は厳しくて、米も、南ほどは採れないの」

「……なるほど」


 名乗りもせず、唐突に話し始める。

 すでに中年女性から橘たちのことを聞いているようで、この土地の気候や風習を朗々と語り出した。橘は準備していた名刺を引っ込めた。


「少しはお米も作るけどね、寒い土地だからあまりたくさんは採れない。天候によっては出来が悪い年もある。海も遠いし、地理的に畜産にも向いていない。不毛な土地ださね」


 橘は余計な口を挟まず、老婆の話に耳を傾けた。


「でもここいらには山がある。山には立派なスギやカラマツが生えていて家の材料には困らなかった。うぢはその木材を街さ売りに行って生活しでだの。そのうぢ、山から石灰も採れるようになった」

「裏に大きな山がありますね。石灰も採れるんですね」


 老婆が大きく頷く。


「石灰って?」


 首を傾げるミズキに向かって、老婆が「あらまあ」と調子はずれな声を上げた。


「あんだ、器量ばっかりよくて頭が足んないごと」


 露骨なルッキズムに、思わず眉間に皺が寄る。今時、面と向かって「顔は良いのに頭が悪い」などと言う人間がいるとは。高齢の女性に現代の価値観を押し付けるつもりはないが、なんとも気分が悪い。


 当のミズキは、言われた内容を理解しているだろうが気にする素振りもない。


「石灰っていうのは石灰岩から採れる粉状の物で、建築材料に欠かせない物なんだ」

「へえ」


 老婆に向き直ると、再び話が始まった。


「それでも戦争の後は食べる物がなくて酷かったんだよ。中心部から離れていたから仙台大空襲は免れたけど、焼夷弾はたくさん降っできた。畑をやってる人間は、家も作物も焼けてかわいそうだったね」


 興が乗ってきたのか、老婆は立て板に水の勢いで喋り続けた。相槌を返さなくてもお構いなしだ。


「畑はみぃんな焼け野原、山も火事になってだいぶ禿げた。うぢも離れの建物が焼けた。隣近所の人間は、安全な場所を求めて出て行っだね。遠くに親戚がいるもんは疎開しでね。うぢは頼るところがながったからここで頑張るしかなかった。……それでもうぢの母屋おもやが生き残ったのは、オフタサマのお陰ださね」


「オフタサマ、とは?」


 手紙にあった「オフタサマ」が出てきて、橘は思わず口をはさんだ。


「この家を守ってくれている神様だよ」

「この地域の氏神様うじがみさまですか?」


 老婆がゆったりと首を横に振る。


「ううん、うぢだけの神様。ずっと昔のご先祖様の魂が神様になって、私だちを守ってくれているんださ」


 東北地方の神々については調べたことがあるが、家族単位での神様になるとわからない。地方、特に山間部では、それぞれの祖先を祀って「神様」としている家は少なくない。


「よろしければ、そのオフタサマを見せていただけますか?」

「いいよ」


 老婆が枯れた声で「万里江さぁん」と呼ぶ。それほど大きな声でもないのに、先ほどの中年女性が飛んでくる。


「このひとたちにオフタサマを見せてあげて」

「え……」


 女性が戸惑いの表情になり、小声でいいんですか? と老婆に尋ねている。普段は外部の人間には秘匿しているようだ。


「見せるだけ。あの石灯篭いしどうろうの所から。そこから先には行かないようにして」


 最後のほうは、橘たちに向かって言った。


「――わかりました」


 ミズキと揃って頷いた。

 どうやら家族以外には滅多に見せない、秘められた神のようだ。


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