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第17話 存在しない家族

「暗くなっちまったし、泊まっでいっだらいいさ」


 昼間から、老婆だけが異様に橘たちを歓待した。

 理由はわからないが、手紙の主を探るには都合が良かった。橘は遠慮なく老婆の言葉に甘えることにした。


「よろしいですか? ありがとうございます。市街地のホテルがどこもいっぱいで困っていたんです」

「ありがとうございます」


 ミズキにも頭を下げさせると、老婆が満足気に頷いた。老婆の喜びようを見ていると、寝入ったところで襲われて、オフタサマの生贄いけにえにされるのでは……と馬鹿げた妄想をしてしまう。


 先ほどの応接室とは別の、大きな居間に通されていた。

 艶やかな天然木のローテ―ブルを、祖母、長男、母親と共に囲んでいた。伊智子はなぜか、敷居の外で廊下に正座している。


 小学生の末っ子が一度顔を出したが、橘たちの姿を認めると、さっとどこかに隠れてしまった。人見知りな少年のようだ。


 柱の時計が四時を指した。

 橘たちの宿泊が決まると、母親が慌ただしく席を立った。伊智子が、母親の後ろをついてゆく。急な客人のもてなしに、家事の計画や献立が狂ったのだろう。内心、迷惑だと思っているのかもしれない。申し訳ないと思いつつも、手紙の主を探るチャンスとばかりに長男に話し掛けた。


「急に居座っちゃってごめんね。橘です。ええと、お名前は?」


 茶の間でテキストを広げている長男に向かってさりげなく話し掛けた。長男は涼し気な一重の瞳で橘を見据えると、掠れた声で「慶太です」と名乗った。


「ミズキです」


 促してもいないのにミズキが自ら名乗り、内心驚いた。ミズキが自分から他人に話しかけるなんて、初めてではないだろうか。

 慶太も、ミズキの顔をじっと見返した。年齢が近い者同士で興味を持っているのだろうか。それとも、いつものミズキの魔性に慶太がてられているのか。


「今、テスト期間だったかな。勉強で忙しい時にすみません」


 別に、とすぐに慶太がテキストに視線を戻した。


「構いません。テスト期間だからってやることは普段と変わらないし」

「そう。よかった」


 テスト前に焦って勉強するタイプではないようだ。タクシーの運転手の話では、たしか東西大生だったか。顔つきからも賢そうなのが伝わってくる。少し斜に構えたところはあるが、問いかけにはきちんと返してくれる、素直な少年だ。

 反応からして、この少年が手紙の差出人ではないようだ。


 姿は見えないが、末っ子の男の子が家中を駆け回る足音が遠くに聞こえている。時々、「お母さん!」と、台所に話かけにくる声も微かに響いてくる。


 老婆は、上座に据えられた肘掛のついた大きな座椅子に座ったまま、微動だにしない。色の濃いサングラスをかけているので、眠っているのか、起きているのかさえわからない。

 居間には、柱にかけられた大きな時計の秒針の音だけが響いている。

 屋敷内にいる人数のわりに、異様に静かだ。大きな屋敷というのは、こんなものなのだろうか。


 手持ちぶさたになり、ミズキを伴って台所の様子を伺った。

 いつの間に加わっていたのだろう、もう一人の少女が台所の手伝いをしていた。伊智子より少しだけ背の低い、おかっぱの少女だ。おそらく次女だろう。


「何かお手伝いをすることはありますか?」


 三人がそろって振り返る。母親がエプロンで手を拭きながら近付いてきて、橘とミズキを台所の外へと追いやった。


「どうぞどうぞ、座っていてください。こちらは三人おりますから」


 橘たちを押し戻そうとする母親の横を抜け、おかっぱの少女が木の盆を手に玄関へ向かう。オフタサマへのお供えだろうと思い、橘たちも続いた。


「こんにちは。オフタサマへのお供えですよね? 私たちもついて行っていいですか?」

「え、」


 いいのか、と問うように次女が母親の顔色を窺う。母親が次女に向かって頷いた。


「先ほどと同じように灯篭から見るだけに」と、橘たちに釘を刺す。

 次女が逃げるように台所を出てゆく。背中が、ついてくるなとでも言っているかのようだ。


「さっきの場所から見るだけですね? わかりました」


 ミズキを急かし、玄関から出て次女を追った。


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