* * *
すべての皿を洗い終わる頃には、家族みなの入浴は終わっているようだった。もちろん、お客様には一番風呂を使ってもらった。
本当に来てくれるとは思わなかった。
呪物蒐集家なんて仕事、現実にあると思わなかった。
「売ってくれ」と言われたら、いくらと言えばいいのだろう。むしろ
もっとオフタサマの珍しさをアピールしなければ。
だいぶオフタサマに興味を持ってくれているようだが、まだ足りない。あの人たちがここにいるうちに、もっとオフタサマの珍しさを……。
家全体の戸締りをして回っていると、玄関の開く音がした。時計を確かめ、父の帰宅だと確信する。
出迎えようか、このまま気付かぬふりをしようか、迷った。
どうせ出迎えても、ちらと視線をよこされるだけだ。たまに機嫌のよい時なんかは「うん」と頷かれることもあるが、最近は滅多にない。このところ、仕事がうまくいっていないようでずっと機嫌が悪かった。触らぬ神になんとやらだ。気づかなかったふりをしよう。
そう思って暗い居間で息をひそめかけた時、玄関に客の靴があるのを思い出した。
こんな時間に騒ぎ立てられたら面倒だ。
「お父さん、お帰りなさい」
玄関へ出ると、案の定、父親が客たちの靴をじっと見ていた。
「お客様が来ているんです。この地域の民俗学を勉強している方とかで。お祖母ちゃんが泊めてあげなさいって」
祖母を引き合いに出しておけば、すべては丸く収まる。説明は果たした、と背を向けかけた時、
「お前が呼び寄せた客か」
と、父がぼそりと呟いた。
「……え。あ、あの」
背中に汗が伝う。何と答えればこの状況を脱せるのか、うまく頭が回らない。
――ばれていた。
勝手に呪物蒐集家に手紙を出したこと、いつの間にか父に知られていた。
手紙の内容は知られているのだろうか。オフタサマを引き取ってほしいなんて目的まで見抜かれていたら……。ついに家を追い出されるかもしれない。追い出されるならまだしも、怒りが頂点に達した父に……。
私は、私たちは……。
「前に捧げものをしてからもう四年か。ちょうどいい」
「……え、え? 四年?」
「あの少年だよ。あの夏から、もうそろそろ四年だろう」
父の言わんとしていることがわかり、凍り付く。
「待って、待ってくださいお父さん」
「薬を使って眠らせなさい。今回は大人の男たちだろう。始末は私がやる」
父は言うだけ言うと、二階へと上がってしまう。
「待って……」
父は一度自室へ入ると、朝まで滅多に出てこない。よっぽどの緊急の用でないかぎり、母でさえ入室を許されていない。風呂は、毎日朝に済ませている。
「待ってお父さん……、待って」
どうしよう。どうしよう……。
またあれをやらなければいけないのか。
いくら田舎だからって、人間が一人、いや二人も消えたら騒ぎになるだろう。呪物蒐集家の家族は? 友人は? きっと探すに違いない。家族や友人が捜索願を出すかもしれない。警察が動き出したら今度こそ、ついにばれる。
どうしたらいいの――
私はもう、殺人犯なのだろうか。殺人の手助けをすることを、何というのだったか……殺人未遂? 殺人ほう助?
私はもう、ここでしか生きられないのだろうか――――
* * *
結局、床に就く時間までに父親は帰ってこず、家主に挨拶をしないまま就寝することになった。
「へんな家だな」
ぽつりと漏らすミズキに、今回ばかりは賛成だった。
「俺の実家も田舎だけれど、ここまで酷くない。未だにこんなに男尊女卑の意識が残っているなんて、どうなっているんだ。結局伊智子さんたちは台所で立ってメシ食ってたぞ」
しかも、家族の残した物を、だ。だから二人ともあんなに細いのだ。
「女の子だからってここまで酷い扱いがあるか?」
「なんで女だと酷いんだ? あの祖母ちゃんだって、母親だって女じゃないか」
こんな時、ミズキの純粋さに救われもするし、もどかしくもなる。
「――田舎では、女子は家に尽くす労働力だと思われるんだよ。俺の実家のほうでも、じいさんばあさんの中にはそういう考え方をする人間がいた。いわゆる『男性優位主義』だよ。この社会を造っているのは男だって。男が偉いんだから、女は黙ってそれをサポートしろって。たぶんあのお祖母ちゃんも、お母さんも、世代が交代するまではああやってこき使われていたんだろう」
だからああして、娘たちを軽んじているのだ。いや、連綿と続いてきた悪習に慣れ過ぎて、何も感じていないのかもしれない。
「でも、慶太は、……」
「慶太くんがなに?」
ミズキが会話の途中で言葉を切り、ぐるん、と障子を振り返った。首がねじ切れる勢いでびっくりした。
「何だよ、急に」
「誰かきた」
ミズキが声を潜めて囁く。
耳を澄ますと、かすかにぎし、ぎし、と、廊下を踏む足音がする。
普通に歩くにはあまりにも遅い。こちらに気が付かれないように忍ぶような足音だった。
「誰だ……?」
橘たちに与えられた部屋は、庭に面した和室で、縁側を挟んで庭が一望できた。縁側の壁は一面障子になっており、その障子の端から徐々に、ぼんやりとした影が迫ってくる。
無言のまま、ミズキとアイコンタクトをとる。橘は音を立てずに立ち上がり、一気に障子を開いた。
「きゃっ」
障子の外に伊智子が立っていた。グラスを載せた盆を取り落しそうになっている。
橘は慌てて伊智子の盆を支えた。
「驚かせてすまない! 廊下に人の気配があると思って」
「――こちらこそ、遅い時間にすみません」
伊智子は呼吸を整えると、膝立ちで和室ににじり入り、畳の上に盆を置いた。
「これ、夜の間に喉が渇いたら飲んでください」
盆には麦茶の入ったピッチャーと、二つのグラスが載っていた。蒸し暑い夜で、有難かった。夕食も東北の食事らしく味付けが濃く、喉が渇ききっていた。
「ああ、ありがとう」
「では、失礼します」
早々に出て行こうとする伊智子を引き留めた。
「待って、伊智子さん。俺に手紙をくれたんだよね? どうして名前を書かなかったの?」
伊智子は顔を跳ね上げた。けれど、瞳を揺らすばかりで相変わらず返事をしない。手紙を出したのが自分だとばれるのが、そんなにまずいのだろうか? 言いたくないのなら強要してはかわいそうだと話題を変えた。
「――オフタサマの夜のお供えは済んだの?」
伊智子は俯き、「これからです」と小さく呟いた。
「じゃあ、俺たちも行っていい?」
「……はい、見るだけなら」
「わかった」
橘たちは借りた寝間着のまま、伊智子の後について外へ出た。