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第24話 犬神遣い

「いらっしゃい! 会えて嬉しいわ!」


 年季の入った骨董店の前で、太一が両手を広げて待ち構えている。

 ミズキが小さく顎を引く。ハグを求める太一を無視し、わきを擦り抜けてさっさと骨董店の敷居を跨ぐ。こんな時、ミズキに挨拶をしろと言うべきか、太一にハグは無理だと言うべきか、迷ってしまう。

 太一はハグをかわされても気にもせず、「待っていたのよ~」と満面の笑みだ。


「ようやく本物に会えた。ようこそいらっしゃい」

「……こんにちは」


 ようやくミズキがまともに太一を見た。

 ミズキを連れて、はじめて太一の店に来ていた。

 先日の東北出張を経て、最近ではミズキと共にどこにでも行けるようになっていた。先週は依頼人の呪物を取りに神奈川まで行った。最近では、呪物とは関係のない、本屋や日用品の買い出しにも一緒に出掛けている。

 太一はかねてよりミズキに会いたがっていたし、ミズキも太一の店に来たがっていた。


「ミズキ」


 橘はミズキを呼び寄せ、太一に向かって姿勢を正させた。


「こちらは秋陽堂しゅうようどうの店主の、太一たいち


 フルネームを言おうとして、改めて名字を知らないことに気付く。


「よろしくね、ミズキちゃん」

「ミズキです」


 ミズキは上目遣いに太一を見ると、教えてもいないのに、綺麗な角度でお辞儀をした。時々、いつの間にこういった礼儀作法を覚えてくるのだろうと不思議になる。

 太一は、何度か瞬きをすると「大きくなったわねぇ」と目を潤ませた。ミズキは誕生した時からこの姿なので、それだけは賛同しかねる。


 秋陽堂しゅうようどうは、隅田区すみだくの住宅街の中にある。

 古びたガラスの引き戸を開けると、十畳ほどの空間があり、古美術品、骨董品が雑多に置かれている。太一が一人で営む骨董店だ。興味深い品揃えの店で、呪物蒐集家界隈では知らない者がいない。

 もともとは太一の祖父母が営んでいた判子屋だったのだが、孫の太一が引き継いで業態を変えた。そのため、秋陽堂の一画には、今でもハンコや文房具が置かれている。橘もここでシャチハタを購入した。

 扱う品は小さな店内には収まりきらず、内廊下、さらに奥の住居部分の一室にまで及んでいる。


「今日はもうお茶をいているから、奥にどうぞ」


 太一に促され、奥の応接スペースに上がった。ミズキは、まだ興味深そうに店内を見回っている。


「ミズキ、手を触れるなよ」

「わかってる」

「壊したら何十万もするんだからな」

「わかってるって」


 ミズキとのやり取りを聞いて、太一が小さく笑う。


「はじめはどうなるかと思ったけど。もうすっかり家族じゃない」

「最初の頃はもう本当に大変だったけどな。けど案外頭がよくて、ほうっておいても勝手に育ってくれた」


 太一が嬉しそうに目を細める。


「もうすっかりお父さんね」

「お父さん⁉ せめて兄だろう?」


 太一はころころと笑って、店内のミズキに再び視線をやった。


「モニター越しに見るより、何倍も綺麗な子ね。いったい大家さんはどこからあんな子を見つけてきたのかしら」

「まあ、見てくれだけはいいんだよな」

「……それに、本当に生きているみたい」

「――うん、たまに屍人アンデッドだってこと、俺も忘れかけるよ」


 ミズキと出会って二年が過ぎた。出会ったばかりの頃は、明日にでも屍に戻るのではないかとこわごわとした日々を送っていたが、最近では、寝坊するミズキを叩き起こす毎日だ。まるで昔から一緒にいた弟のようだ。


「術が切れちゃう感じはない?」

「今のところない。ほんの少しだけど食事もするし、何て言うか……元気だよ。毎日パソコン弄って情報収集している」


 賢いのね、と太一が溜息を洩らした。

 ミズキははじめの半年で日常生活の細々としたことを覚え、次の半年で橘の職業について理解したようだった。一年が過ぎた頃、外の世界に興味を持ち始め、先日の東北出張でわかったのだが、他人についても興味を抱き始めている。いい傾向なのか、悪い傾向なのか、橘には判断がつかない。


「ミズキちゃんのことを知っている人間はみんな心配しているのよ」

「知ってるったって、数人だろう」


 太一と、持田と、呪物蒐集家仲間の数人、それに霊能者のめぐみ。それぞれ大なり小なりミズキの一面を知っているだけで、ミズキがアンデッドであることを知っているのは太一と恵だけだ。


「お前と、恵くらいだ」


 恵の名を出すと、太一がふと表情を曇らせた。まるで内緒話でもするように身を乗り出してくる。


「……ねえ。その霊能者の件なんだけど」


 太一が顔を寄せてきた瞬間、店先でミズキが「わ!」と声を上げた。


「どうした?」


 高い壺でも割ったかとひやりとすると、ミズキが店の外を指さしていた。


「犬だ! でかい!」


 と、こちらを振り返る。


「……犬? どこ」


 店の外を見るが、それらしき動物はいない。まさに今、店に入ってこようとしている男が一人いるだけだ。


「あら、須田さん」


 男は常連客のようで、太一が出迎えに席を立った。

 橘も太一に続いて店内に戻り、相変わらず外を見ているミズキの視線の先を追った。


「どこに犬がいるんだ?」

「――見えないの? いるだろ大っきい黒いのが」


 ほら、と指さされ、ガラス戸の外を見るが、客を出迎える太一の背中と、その背中越しに中年の男が見えるだけだ。


「利口だ。ちゃんとご主人様を外で待ってる」

 ふふ、とミズキが目を細める。


「俺には、何も」


 見えない、と続けようとして、獣のような匂いが鼻先を掠めた。

 ほんの一瞬、微かに。太一の趣味で香を焚きしめている秋陽堂の店内には、決してあり得ない匂いだ。

 手を胸元の盃に当て、意識を集中する。ミズキの視線の先……、陽炎かげろうのように微かに空気が歪んでいるのが見える。――いた。「須田」と呼ばれる男の傍に、黒い影がまとわりついている。


「な? いるだろ」


 相当気に入ったのだろう。ミズキが店先を見たまま微笑んだ。


 須田が、太一と共に店内に入ってきた。購入予定の物はすでに太一に伝えているようで、太一が一人、在庫を置く奥の間へ入ってゆく。

 狭い店内で身の置き場がなく、橘も奥へ戻ろうとした。が、須田が陳列棚に寄ってくるのが早かった。互いの肘が軽くぶつかる。


「おっと、すみません」

「いえ。こちらこそ」


 人のことを言えた義理ではないが、暗い雰囲気の男だ。

 隈が濃い。肌艶もよくなく、見た目から年齢が推し量れない。かなり年上のようにも見えるし、同年代だと言われればそんな気もする。

 身なりは清潔で、白いシャツからかすかにウッド系の香りがした。短い髪はすっきりと整えられており、決してさっきの獣臭はこの男からしたものではないだろう。

 さっきまで犬だとはしゃいでいたミズキも、太一の客だと理解し大人しくしている。


 やがて須田と呼ばれた男は、太一からいくつかの商品を受け取るとすぐに帰って行った。


「常連?」


 尋ねると、太一は頬に手を当てて身をくねらせた。


「そ。二、三か月に一度買い物に来てくれるの。あんまり喋らないんだけどね、そこが素敵で」


 どうやら太一の好みらしい。


「呪物蒐集家、ではないよな?」


 呪物蒐集家界隈は狭い。見たことのない男だった。

「骨董品のコレクターか?」

 全体の雰囲気から、コレクターにも見えなかったが。


 太一は、一拍置くと平坦な声で応えた。


「お仕事はおがだって」

「――拝み屋」


 さもありなん。


「お仕事に必要な道具をうちで買ってくれているの。半年前くらいからかしら」


 あの眼光は普通の職業の男には見えなかった。なるほど、拝み屋と言われれば納得の雰囲気だ。

 では、ミズキが犬だと言うあの黒い影は式神だろうか。


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