不安が顔に出ていたのか、須田がふふ、と含み笑いをした。
「人間にすると、どれくらいの期間だろうって考えてます? 三年ってところじゃないですか、ミズキくんの場合は」
ミズキに聞かせたくなく、途中で言葉をかぶせた。
「ミズキ、表の自動販売機でお茶を二本買ってきて」
小銭を渡すと、ミズキが素直に部屋を出て行った。ミズキの階段を下りる足音を確かめながら須田を睨みつけた。
須田はどこ吹く風で「お茶は結構と言ったのに」などと
「お出しするとは言っていませんよ。今夜の夕食で俺たちが飲む分です」
一拍置いて、須田が苦笑した。
「てっきり私に出されるものかと。お恥ずかしい」
……たぶん、心底悪い奴ではないのだ。ただ、価値観が普通とだいぶズレているだけで。それに、愛犬を心から愛していたのは真実だろう。
須田は立ち上がると、しげしげと呪物棚を眺めた。手を背中に回し、呪物に触れないよう気を配っている。互いの職業柄、物体に手を触れることがその後にどんな影響を及ぼすか、よくわかっているのだろう。
「ミズキくんは弟? それともご子息? 貴方、案外
太一もこいつも。揃いも揃ってすいぶんと失礼だ。
「他人ですよ。完全なる赤の他人」
おそらく信じていないのだろう、須田が「他人、ね」と揶揄うように繰り返した。
一方的に質問責めにされるのが癪で、橘も質問を捻り出した。
「須田さんのお父さんはご存命で? お二人で拝み屋をやっているんですか?」
たしか前回会った時に、代々拝み屋稼業だと言っていた。その時、ほんのわずかにシンパシーを感じたのだ。
「……いえ、もう死んでいます」
「へえ。ご兄弟は?」
「いません」
話の主導権が橘に移ると、須田は打って変わって口数が少なくなった。さっきまでの抜け目のない視線が逸れ、こちらに視線を合わせようとしない。案外コミュ障なのかもしれない。相手を陥れるための話術には
「お一人暮らしですか? ああ、お弟子さんたちと一緒に住んでいいらっしゃる? 家はどこに、」
「私のことは、いいじゃないですか」
須田がつっけんどんに会話を遮ってきた。ようやく
「須田さんがおっしゃったんでしょう? 『同じ匂いがするから仕事の悩みでも打ち明け合える』って。さあ、仕事の悩みを打ち明け合いましょうよ」
須田が苦虫を嚙み潰したような顔で髪を掻く。
「……ないですよ、仕事の悩みなんて」
「俺もないです」
参ったな、と須田が鼻から息を吐いた。
「冗談ですよ、悩みを打ち明け合うなんて。ただ、あなたがアンデッドとどんな暮らしをしているのか気になっただけです」
「この通り。普通です」
「……」
それきり、会話が途切れた。少し追い詰め過ぎたかと、須田の様子を窺う。須田が黙り込むと、隣からぴりぴりと張り詰めた空気が伝わってくるのも気になった。主人を
「名前は、なんていうんです?」
「は?」
須田が、ハトが豆鉄砲でも食らったように目を丸くする。
「名前です。その犬の。ミズキがクロなんて勝手に呼んじゃってますけど。本当の名前があるんでしょう? なんていうんですか?」
須田が右側の床を見た。それから、毒気が抜かれたように橘の顔を見返した。名前を尋ねられるとは思っていなかったのだろう。答えるまでに数秒かかった。
「ムサシです。――こいつの名前を訊かれたの、久しぶりだな」
な、ムサシ、と須田が右側のを空気を撫でる。橘の目にははっきりとは見えなくても、そこに暖かい存在がいることが伝わってくる。
「ムサシは父が拾ってきたんです。でもどうしてか父より私に懐いて……。二十年も生きたんですよ。大往生でしょう」
「長生きしましたね」
「私はムサシの死が受け入れられなかった。その頃には父も他界していましたし、唯一の家族だったので。稼業が拝み屋だったこともあり、こいつを生き返らせて仕事のパートナーにしようと決心しました。…………今思うと、可哀想なことをした。こいつにとっては、天国から強引に連れ戻されて働かされるんだから、たまったもんじゃないでしょう」
須田に対する警戒心はすでに薄れかけていた。信用できるかと言ったら百パーセントはできないが、いくつか共感できる部分もある。
俺たちは、似た者同士だ。
孤独で、家族がなく、死んだ者に執着して、いつまでもこの世に繋ぎ止めている。
「我々に共通項があるとしたら、いつまでも死んだ者に執着しているところですね。仕事柄、幸か不幸か
語り掛けると、須田が顔を上げてこちらを見つめ返した。
「……」
「やってしまったからには、罪を背負って生きていくしかありません。今更、ごめん、戻ってなんて言えませんし」
「……、」
須田が口を開きかけた時、ノックもなくドアが開いた。
「買ってきた」
勢いよくミズキが入ってくる。お茶ではなく、水のペットボトルを二本持っている。
「水? お茶を頼んだだろう?」
「これは俺とクロとで飲むやつ。え、祐仁も飲みたかった?」
「俺のお金を渡して『お茶を二本』って言ったよな? なんだよ飲みたかった?って」
ミズキとのやり取りを聞いていた須田が、ふはっ、と噴き出した。口を押えて笑っている。さっきまでの嫌味な笑い方とは違い、自然な笑顔だった。
「なるほど、普通ですね」
須田の隣からも、暖かい空気が伝わってくる。思い込みかもしれないが、しっぽを振った黒犬のシルエットが見えたような気がした。