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第30話 犬神遣い

「橘! こっち」


 改札横のコンビニの前で、太一が手を振っている。黒いTシャツにデニム、靴は気の利いたデザインのスニーカーを履いており、喋らなければ原宿あたりのショップ店員のようにも見える。

 喜多区きたくのとある駅で、太一と待ち合わせをしていた。


「ごめんね、急に呼び出して。ミズキちゃんもごめん」


 太一が申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる。ミズキは、構わないというように首を横に振った。


「いいけど、どうした?」


 太一は質問には答えず、ミズキの両肩を掴んで目線を合わせた。どこか落ち着きがない。


「ねえミズキちゃん。目、いい?」

 訊きながらも、落ち着きなく左右を見回している。


「もし近くに須田さんがいたらすぐに教えてね」

 怯えたように、橘もお願いね、と見上げてくる。


「須田? なに、なんの話だ?」


 歩きながら話そうと言われ、三人で並んで歩く。太一は心底怯えているようで、橘とミズキとの間にぐいぐいと身体からだを割り込ませてきた。


 午前中の街は人通りが少なく、ぽつりぽつりと高齢者が散歩をしているだけだ。相変わらず周囲に視線を送りながら、太一が話し始めた。


「あたし、巻き込まれたせいもあって、あのホスト殺しの事件について調べていたの。あ、まだ犯人は捕まっていないわよ」

「そういうことは警察に任せておけよ。変な動きしてたら、また疑われるぞ」

「でも気になるじゃない。うちの奉書紙ほうしょしが現場に残されていたんだしさ。それで、死んだホストが所属していたホストクラブに行ってみたのよ」


 それは個人的な興味ではなくて? とは言わないでおいた。


「死んだ子は思った通り、お店のナンバーワンだった。誰かに恨みを買っていてもおかしくない立場よね。でも、同僚も後輩たちも彼が死んだことを本当に悲しがっていて、内部でのトラブルではなさそうだったの。それに、何て言うかみんなすごく現実的な子たちで、とても拝み屋に殺しを依頼するようなタイプには見えなかった。頼むとしたら、半グレかヤクザに頼むわよ」


 怯えているわりに、太一自身もだいぶ物騒なことを言う。


「そうなると、スタッフ以外でのトラブル?」

「うん、私もそう思った」


 三人になって安心したのか、太一がようやく落ち着きを取り戻し始めた。


「一人、ホストクラブのお客さんで怪しいがいたのよ。実家がお金持ちで、五本木のタワマンに一人暮らししているお嬢様。いつも金払いがよくて、いわゆる太客ふときゃくよ。で、その娘が死んだホストに入れ揚げて、自分が養うから店を辞めてくれってしつこく口説いていたらしいの。結婚してくれたら一生お金には困らないって」

「ストーカー化したか」

「そう。あまりにもしつこく付き纏って、店も出禁になっていたらしいの。で、その娘が店でも噂になるくらいスピリチュアル系だったんだって。いつもゴスロリのファッションに身を包んで」

「ファッションは個人の自由だけど。……拝み屋にホスト殺しを依頼したのはその娘かな。可愛さ余って憎さ百倍か」


 あり得ない話ではない。思い通りにならないのならば、殺してしまおうと考えたか。

 応答がなくなったので隣を見ると、太一が拳を口元に当て、青褪めていた。


「……でね、その娘。あの事件以来、行方不明になってたの」

「死んでんな」


 ミズキの辛辣な一言に、太一が悲鳴じみた声を上げる。「どうしてわかるの、ミズキちゃん!」


「……本当に死んでたのか?」


 橘が尋ねると、太一が小さく頷いた。


「――死んでた。一人暮らしのタワマンの部屋で。ホスト殺しの事件の三日後に、小っちゃく記事になってた。自殺って形になっているけど、やっぱり身体中に獣の噛み痕のような傷があったんですって」


 ――死人が増えてゆく。

 須田の弟子は、呪殺を請け負い、ホスト一人を殺すに留まらなかったのか。なぜ依頼主まで殺してしまったのだろう。


「顧客の個人情報を他人に明かすのは本当はいけないのよ? でもどうしても気になって、うちの顧客の神主かんぬしさんに須田さん一派のことを訊いてみたの。ほら、神主さんと拝み屋さんって、横の繋がりがあるから。そうしたらその神主さん、須田さんは『業界の何でも屋』だって言ってた。あまり近付かないほうがいいって」

「『何でも屋』? どういう意味?」

「――ヤバい仕事でも何でも請け負うってこと。法を犯すことでも、殺しでも」


 かなりきな臭い話になってきた。

 呪殺も請け負うとは言っていたが、そうそうないと言っていたのに……。業界の何でも屋なんて呼ばれるくらいだから、殺し以外にも危険な仕事を受けていそうだ。


 いつもは他人の話そっちのけで勝手な行動をとるミズキも、じっと耳を澄まして聞いている。ミズキははじめから、須田を敵対視していなかった。むしろ、犬好きの同士として好意的すらあった。


「……じゃあ、その女の子の殺しも、例の須田の弟子が、」

「違うのよ!」と太一が悲鳴のような声を上げた。


「私もはじめはそう思って、須田さんに同情的だったの。弟子が勝手な真似をして須田さんに迷惑をかけているんだって。荒っぽい弟子たちのせいで『業界の何でも屋』なんて呼ばれているんだって。でもいくら須田さんの周辺を探ってみても、弟子もいなければ、所属している団体もない。そもそも、誰とも会っている気配がないの」


 どういうことだ……? 

 弟子がいない?


「――須田は一匹狼だってことか?」


 太一が、がくがくと何度も首を縦にふる。


 曲がり角の手前で足を止め、「見て」と太一が数メートル先を指さす。

 駅から二十分は歩いただろうか。駅前の住宅街を抜け、空き家が目立つ区域に来ていた。荒川が近く、河原付近にホームレスの段ボールハウスが並んでいるのが見える。その外れに、古びた一軒家がぽつんとたっている。


「あれが須田さんの家」


 まるで廃墟だ。壁にはつたが這い、窓まで覆っている。蔦のせいで中の様子はまったくわからず、生活感がまったく感じられない。


「ここ、人が住めるのか」

「昔、一家心中があった家みたい。格安で買ったのか、借りたのか」


 それにしても人が住んでいる気配がない。庭には不法投棄のゴミが散乱している。今は不在なのだろう、中も外も真っ暗だ。


「わかるでしょう? こんな所に住んで、界隈では『何でも屋』なんて言わて……。須田さんは普段から誰ともかかわっていないのよ! あのホスト殺しも、依頼主の女の子殺しも、全部須田さんがやったのよ!」


 ここ数日見ていた須田のイメージが、ぐにゃりと歪む。

 呪殺は滅多にないと言っていた。あったとしても、自分自身の身体で返りを受け止める大変な仕事だと思っていた。

 胡散臭い奴だが、動物を愛する男。お互いに代々続く呪いの連鎖に繋がれた、不遇な男だと……。それが、何人も立て続けに殺す「何でも屋」。しかも「弟子がやった」と平気で嘘を吐く――……。


 怖い、と太一が腕に縋りついてくる。

 身長がほぼ同じなので、太一の短髪が頬に刺さって地味に痛い。


「お前、一人でここまで調べたのか?」


 坊主頭を押しやりながら訊くと、太一がぐすりと鼻を啜った。


「ううん。探偵雇った。一週間ほど須田さんの尾行をさせて、『誰とも接触していない』って報告を受けたの」

「太一、もうしばらく秋陽堂はオンライン販売だけにして、店は閉めておけ。誰も入れるな。お前が周辺を探っているなんてバレたら、須田は何をするかわからない」


 うん、と太一が歯切れの悪い返事をする。


「何? ほかに何か気になることある?」

「引き続き探偵に須田さんを調べさせていたんだけど、その人、急に連絡が取れなくなっちゃったの。料金の支払いも済んでいないのに……」

「死んでんな」


 ミズキの容赦のない一言に、太一がまた悲鳴を上げる。

「ねえ、やっぱりそうかな⁉ 怖い! どうしよう!」


 再び太一が縋りついてくる。二の腕の血流が止まりそうだ。


「家まで送るから、しばらく店は閉めとけ。できるだけ一人行動は避けて家でじっとしとけ」

「でも屋内にいても、式神が殺しにくるんでしょう? どうしよう~」


 そうなのだ。たとえ施錠した室内にいたとしても、安全ではない。ホストも、依頼主の女も、施錠された室内で殺されていた。


「たしか秋陽堂の商品に、東北地方の厩猿うまやざるがあったよな? あれ、あれを肌身離さず持っておけ。須田が使役しているのが犬だから、きっと猿を嫌がって」

「本当に? 効果ある?」


 ミズキと顔を見合わせる。確証はない。


「わからん」


 ちょっと~! と太一がまた泣き声を上げる。怖がってはいるが、まだ元気はありそうだ。

 それに、須田の本当の狙いは太一や秋陽堂ではないと思う。

 おそらく、初めから、橘たちを狙っていたのだ。


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