布団に寝かせたミズキは、
まだまだ残暑の厳しい季節だが、汗もかかない蒼白な顔が凍えているように見えて、肩まで布団を引き上げてやる。
「大丈夫よね……? 目を覚ますわよね?」
太一が布団の中に手を入れ、ミズキの手を握る。ミズキの反応はない。
「たぶん、大丈夫だ」
ここ数日、太一が日の出荘に泊まり込んでいた。
「ミズキちゃん、頑張って」
犬神が去った後、すぐさま知り合いのエンバーマーに連絡を取った。
いくらでも金を出すから、大至急死体を修復してほしいと言うと、夜中にも拘らず飛んできてくれた。
エンバーマーの
猪口には悪いことをしたが、その言葉が橘を奮い立たせた。
そうだ、ミズキは死んでいない。大怪我を負ったが、まだちゃんと生きている。
なんとか頼み込んで猪口に傷を修復してもらいながら、太一にも連絡を取った。誰か、口の硬い医療従事者を連れてきてほしいと頼み、さらに血液型検査キットと血液の手配も追加した。
面倒な依頼をいくつもしたにも拘らず、太一は二、三時間ほどで若い男を連れて日の出荘に来てくれた。それからずっと、看病を手伝ってくれている。
「だって今回は、完全に私のせいでもあるもの……」
太一が逞しい肩を落とす。
「お前のせいじゃないよ。もともと、
犬神を差し向けてきたのは、霊能者の
少し前に、須田にミズキ殺しを依頼していたようだ。
「半年前くらいかしら。渡会が、『橘といまだに付き合いはあるのか』って訊いてきたの。何でそんなこと訊くんだって不思議に思ったんだけど、あるって答えたら『秋陽堂にくることはあるのか』とか、『あの
「須田に、秋陽堂を探れって指示したんだろうな」
盃の力に気付いてから、八王寺の恵の家には行っていなかった。
当面は盃に呪い殺されることはないだろうと思っていたし、ミズキを邪険にする恵に、距離を置き始めていた。当初から掴みどころのない恵が信用しきれず、もともと家の住所を明かしてもいなかった。
何度か電話ももらっていたが、呪いの盃を見せに来いという催促だと思い、無視していた。
恵にとって、秋陽堂だけが橘に繋がる唯一の手掛かりだったのだろう。
「……もしかして、あのホスト殺しも私のせいかしら」
「それは考え過ぎだ。須田だって、恵の依頼だけを受けているわけじゃないだろうし。たぶん別の殺しの依頼を受けて、太一を巻き込む作戦を思い付いたんだ。太一を巻き込めば、芋づる式に俺がしゃしゃり出てくるって算段だったんだろう」
そうかな、と太一が涙目になった。
「私がもっと早くあの女のことを話していれば、ミズキちゃんがこんな目に遭うこともなかったのに……」
ついに太一の目からぽろぽろと涙が溢れた。いかつい見た目をしているが、太一は心根が優しいゲイなのだ。
「泣くなよ。大丈夫だ」
太一の肩を叩きながら、自分にも言い聞かせるように「大丈夫だ」と繰り返した。
大丈夫。ミズキはちゃんと呼吸をしている。
けれど――。犬神の襲撃から三日が過ぎても、ミズキは依然として目を覚まさない。
猪口に修復してもらった身体は、見た目は綺麗になった。が、身体の内部はどうなのだろう。生きた人間のように回復しているのだろうか?
太一に分けてもらった血液は、ちゃんと身体の中を巡っているのだろうか。
布団のふくらみが、日に日に薄くなってきているような気がする。もともと華奢な身体だ。今にも消えそうに頼りない。
以前、ミニカーの呪物に襲われた時は、ミズキを一人残して死ねないと奮起した。
けれど今回は、ミズキと同時に逝けるのなら死んでもいいと思ってしまった。
死んで彼岸に行って、母親に引き渡すイメージまでしていた。最後まで生にしがみつかなかったことに、今更ながら身震いする。
ミズキの存在が、思った以上に大きくなってきていた。自分が想像するよりも、ずっと、ずっと。
今や共に過ごしているのが当たり前で、ミズキのいない生活が想像できない。ミズキが現れる前の生活が、なんだか思い出せない。
一人で平気だったはずなのに。
寂しいなんてほとんど感じたこともなかった。
だから、ミズキに怪我に注意するよう言って、「もともと死んでたんだ。今更、何を心配しているんだよ。元に戻るだけだ」と返された時はショックだった。
ミズキは生に執着していない。それが一番の心配だった。
(戻ってこい。まだまだやりたいことがあるだろう?)
見せたいものがある。
連れてゆきたい所もある。もっともっと深い話もしてみたいし、ミズキが望む経験を存分に与えてやりたい。
「だから、戻ってこい」
声に出して言うと、太一もそうよ! と大声で呼び掛け始めた。
「ミズキちゃん! 早く戻ってきて!」
太一が布団に縋りついて泣く。
体重はかけてないと思うが、薄い布団に太一の大きな身体が被さり、ミズキが潰されやしないかとハラハラする。
「太一、ミズキが潰れる」
太一を起こそうと布団に近付く。すると、ミズキの長い睫毛がかすかに震えたような気がした。
「……ミズキ?」
太一もがばりと身を起こし、じっとミズキの顔を凝視する。
「ミズキちゃんっ!」
睫毛が震え、薄い瞼の下で、かすかに眼球が動いている。
今にも目を覚ましそうで、呼吸をするのも忘れてミズキの顔に見入った。
「ミズキ」
布団の中に手を入れ、ミズキの手を探す。細い指先は、いつもより体温が感じられる気がした。
「そろそろ起きろ」
薄っすらと目が開き、瞳がこちらを捉えて止まる。
「ミズキちゃん! わかる?」
「ミズキ!」
ミズキの唇がかすかに開く。
「う」、「る」、「さ」、「い」、とゆっくりと順に動いた。