初めて脳漿を取り出すのだろう。従業員たちの行動にも迷いが見られる。遺体の向きをどうしたらいいのか、後頭部から割ったほうがいいのか、額から割ったほうがいいのかなどと右往左往している。
「早くしろ」
上座に
「誰かがきたら面倒だ。早くやってしまえ」
男は周囲よりも飛びぬけて若い。歳の頃は三十手前くらいだろうか。揃いの紺地の半纏を着ているが、中に着た縞の着物が上等そうだ。髪はきっちりと撫でつけられており、肌や佇まいに品があった。
他の従業員のようにばたばた動き回らず、男はさっきから上座に坐したままだ。雰囲気からして、従業員らの上司か、リーダーなのだろう。
「
「へい」
男のはきはきとした指示に、従業員たちは小気味よく返事をして持ち直したようだった。
これで、脳漿を取り出すという行為が、いち従業員の独断で行った行為ではないことがよくわかった。どうやら組織的に行われていたようだ。
落ち着きを取り戻した従業員たちが、遺体を仰向けにした。
目を逸らしたい場面だが、すべてを見届けなければならない。橘はさらに彼らの輪に近付いた。誰も橘を振り返る気配がない。
遺体は、中年の男だった。
体形は中肉中背。顔がすっかり黄変しているが、顏さえ見なければ生きた人間が寝ているだけのような、比較的きれいなご遺体だった。真新しい白装束を着せられている。
今は穏やかな死に顔をしているのに……。これから行われる蛮行で、橘家を呪うようになるのだろうか――。
二人の従業員が、遺体の両脇に立ち、片足で遺体の肩を踏んだ。おそらく
(たとえ夢だとしても、止めたほうが……)
本当にこのままやらせていいのか。迷いが生じた。ここで止めれば、現実世界で何かが変わるのではないか……?
逡巡していると、背後の戸が勢いよく開いた。
「何をしているんです!」
叫びながら飛び込んできたのは、若い青年だった。
他の者たちと同じ、
「こんな所でいったい何を⁉」
「
遺体の肩を踏んでいた角刈りの男が、忌々し気に青年の名を呼んだ。
「こんな時間に皆さんがそろって出ていかれるから……。何をしようとしていたんです⁉ ご遺体に傷をつけるなど御法度ですよ!」
清七と呼ばれた青年は、澄んだ声で周囲を一喝した。
清七よりも一回りも二回りも年嵩の男たちが、口籠って立ち往生する。
「……清七。なぜきた」
上座の男が、面倒くさそうに口を開いた。「明日も早いだろう。さっさと帰れ」
「
清七が敬意を示すように目線を下げた。だがはっきりとした口調で訴える。
「ご遺体を傷つけるなんてあってはいけません。これを
上座の男・貴一は、胡坐の膝に頬杖をつくとはあ、と大仰に溜息を吐いた。
「先代、先代って。もう先代は死んだだろう? 今は俺が橘葬儀社の当主だ」
「当主であればなおさら! こんなことやめさせてください。橘葬儀社の名に傷がつきます」
貴一は、聞えよがしに舌打ちをした。
「綺麗事を言うのもいい加減にしてくれ。これをやらないと、橘葬儀社の今後が危ういことは、帳簿を見れば一目瞭然だろう」
脳漿を売らなければいけないほど、経営状態が悪化しているということか。
「ですが」
「
清七は怯むことなく訴えかける。
「それでも! それでも、仏様を身体を傷つけるなんてあっちゃいけません!」
「清七」
口ひげをたくわえた男が、清七の肩に手をかけた。
「これは従業員みんなの総意なんだ。脳漿は高値で売れる。何も金を独り占めしようってんじゃない。その金で、橘葬儀社の未来を守って行こうって話だ」
「……けれど」
清七が口籠ったのを
「脳をいただいたらちゃんと火葬もする。なに、頭蓋骨が残らないよう高温で焼けば、遺族にも気付かれやしないさ」
男の露悪的な言い方に、清七が目の光を取り戻した。
「なんてことを……! やはり仏様を傷つけるなんていけません」
清七が皆を見回す。
「
「お前は!」
一番年嵩の男が、初めて口を開いた。
「お前たち
清七が悔しそうに顔を俯ける。
どうやら清七という青年は
たしか
一方清七は、現在の当主の貴一にはまだ忠誠を誓っていないようだ。