伴侶の死にも泣かなかった景子おばの母が、唯一取り乱した事件。
橘葬儀社の長い歴史の中で起きた、一件の失踪事件。
呪いの盃と関係があるだろうか。
「ごめんなさいね。私も幼かったし、詳しいことはわからないの」
当時の様子を知る人間は、もう景子おば以外はいない。みな、鬼籍に入っている。こうしてわずかでも当時の話を聞けたのはまさに幸運だった。
「いや、貴重な話をありがとう」
当時を知る人間に話を聞けて、イメージが明確になった。
「ごめんなさい、何の力にもなれなくて」
真剣な顔で謝ってくるので、何をそんなに謝るのだと驚いた。
「どうしたの、景子おばさん」
「あなたを助けてあげたいんだけど、私もこれくらいしか知らないの」
妙に核心をついたことを言われ、思わず景子おばは何もかもを知っているのではないかと思った。しかし景子おばは呪いの盃を知らない。橘たちがなぜ山形に帰省しているのかさえ知らないのだ。
「充分だよ。昔の話をきけて良かった」
何をそんなに心苦しく思っているのだろうと景子おばの顔を覗き込む。申し訳なさそうに俯く景子おばの顔は、両目がひどく落ちくぼみ、眼窩が黒ずんで見えた。失礼ながら少しぞっとした。
だいぶ話こんで、疲れさせてしまったかもしれない。
そろそろ帰ろうとミズキを促す。最後に一つだけ確かめようと景子おばを振り返った。
「ちなみに、景子おばさんのお祖父さんの死因は?」
重い頭を支えるといった様子で、景子おばが額に手を当てる。
「たしか……癌だったかしら」
「頭の?」
「違う……。肺がん……だった、かな?」
頭が死因に関係していない――。呪いの効果が頭に関する死だと信じるならば、呪いの発生は曾祖父・貴一の代からだ。
「……がん、……は、はい、がん……」
必死に思い出そうとしてくれているのだろうか、景子おばが「癌」と繰り返す。
橘は、もう充分だと景子おばに声をかけた。
「景子おばさん、ありがとう。貴重な話をいっぱい聞けた」
「ゆ、ゆうじ。……ゆうじ」
「ん?」
「まだ……、だれも、だれ、にも……」
「誰にも? なに、なんのこと?」
景子おばのたどたどしい様子に、心配になってくる。そっと肩に手を載せると、まるで綿が服を
「どうしたの」
「……みつ、けて」
「何を?」
問いかけても返答はない。景子おばは細く長い息を吐きながら
「景子おばさん? 大丈夫?」
景子おばは首を折るようにして頷いた。疲れ果てたといった感じだった。
橘たちが立ち上がっても、景子おばはクッションに背を預けたまま立ち上がろうとしなかった。普段、一人暮らしのおばだ。こんなに長時間人と話したのは久しぶりだろう。相当疲れされてしまったようで申し訳なくなった。
「お邪魔しました。またくるね」
景子おばは座った時と同じ姿勢のまま、頭を揺らすようにして頷いた。また、甘ったるい匂いが鼻を掠めた。
「助けてくれてありがとうございました。さよなら」
ミズキが景子おばに向かって妙にかしこまった挨拶をする。
今日はずいぶんと行儀がいいなと驚きながら、揃って景子おばのマンションをあとにした。