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第12話 呪いはどこから

「来年から入社する新入社員の初任給を一割上げるんでしたっけ? 社長は若い奴らばかり優遇する。もちろん、そうでもしないと入ってきてくれる人間がいないってのも理解できますが」

「学生にとっちゃあ、葬儀屋なんて魅力がないだろうからな」

「去年は家賃補助の金額も上げたでしょう? 俺たちが入社した時なんか、家賃補助の制度自体なかったのに……。新人の待遇を良くしてあげるのはわかりますが、長年勤めてきた我々にも少しは目を向けてほしいですよ」

「その通りだ!」


 それまで適当な相槌を打ってお茶を飲んでいた年嵩としかさの男が、急に声を張り上げた。


「その通りだ、ここ数年で入ってきた奴らはいいよ。家賃補助やそのほかの補助制度がたくさん出来たからな。だが何十年と勤め上げてきた俺たちはどうだ? 入社当時に、そんな制度なかったよ。やっとの思いでマイホームを購入して、今でもローンに苦しめられている。社長は俺たちベテラン組の家賃や生活費を少しでも考えてくれているか?」


 そうだ、そうだと、相方も息巻く。


 ……どこかで聞いた会話のような気がして、橘は記憶を辿った。サラリーマンの愚痴など、ここ最近で聞いた覚えはないが。突然湧いた既視感に、橘は首をひねった。


 これ以上彼らの愚痴に付き合っていられず、音を立てないようにしてその場を後にする。

 調べたいのは会社の歴史だ。橘はミズキを伴ってフロアを歩き回った。

 休憩室、親族控え室などいくつも通り抜け、奥に「資材置き場」とプレートのかかった部屋を見つける。中を見られないだろうかとノブに手をかけた瞬間、「おい」と背後から呼びかけられた。


「誰だ」


 振り返ると、さきほどくだを巻いていた、白髪頭の年嵩のほうがこちらに鋭い目を向けている。


「――裏が開いていたもので」


 走って突破しようかとも考えたが、変に騒ぎ立てたりすれば警察を呼ばれてしまう。そうなれば幸一たちに迷惑をかけてしまうだろう。……もとよりよく思われていないようなのに、さらに幸一の立場を悪くするのは避けたい。


 それに怪我が治ったばかりのミズキもいる。再び傷が開くような真似はさせられない。

 逡巡していると、男がふと、眉間を和らげた。


「――祐仁くん?」


 突然名を呼ばれ、男の顔を見た。橘のほうには男に見覚えがない。なぜ名を知られているのか、思わず「え」と声を上げてしまった。


「なんで俺のこと」


 男の顔にかすかな笑みが浮かんだ。


「祐仁くんだよな? もう何年も前だけど、会ったことがあるよ。ええと、ここじゃなくて……そう、最上もがみ会館のほうで」


 男の顔を確かめながら、必死に記憶を手繰る。


「先代と……、お父さんと見学に来ていただろう?」


 最上会館。橘葬儀社で一番初めに作られた、火葬場を備えた最古の会館だ。

 最初の創業地新庄市しんじょうしにあり、今はすっかり老朽化しているはずだ。事業拡大とともに各地に設備の整った会館が増えてゆき、最上会館の名を耳にすることが減っていった。


 幼い頃、父に連れられ火葬場を見学したのが記憶に蘇った。たしか小学校の宿題で、お父さんの仕事を調べてきましょう、といった内容だったと思う。その際、何人かの従業員とすれ違い、硬くなって挨拶をした記憶がある。


「……そうです、祐仁です。すみません、こんな遅くに」

「どうしたの。幸一社長ならもう帰っていると思うよ」


 男が、幸一を訪ねてきたのだと勝手に勘違いしてくれた。


「車でこちらを通ったので、もしかしたらまだいるかもしれないと思って」


 急ごしらえで言いつのると、男が腕時計に目を落とした。


「午後に一度こちらに来たけどね、すぐに本社に戻っていった。今日はもうご自宅にいるんじゃないか?」

「そうですね、ありがとうございます」

「……そっちの子は?」


 男がミズキに視線を向けるので、友人です、と語尾を濁しながらミズキの背を押した。これ以上深掘りされると、こっそりと忍び込んでいたのがばれてしまう。


「祐仁くん」


 改まって呼ばれ、肩越しに振り返った。ミズキのことを突っ込まれたら何と応えよう。景子おばと同じように、「友人の弟」としておこうか。なんと答えても部外者を入れたことには変わりなく、ひと悶着起こりそうだ。

 しかし男はミズキのほうを見もせず、再び据わった目つきに戻った。


「さっきのこと、社長に伝えておいてくれよ」

「え?」

「さっきの話だよ。設備投資や自宅のリフォームに金を費やしてないで、社員に還元してくれとね」

「……」


 知っていたのだ、こっそりと盗み聞きしていたことを。


「ここはもう、出入り自由のおうちの敷地じゃないんだ。祐仁くんだって正確には部外者なんだから、本当だったら通報するべき場面なんだよ」


 いさめているにしても、言葉の端々にとげを感じ、橘は男の顔を凝視した。こちらを見てはいるが、目が虚ろだった。言っていることは理路整然としているが、まるで死人が喋っているようでうすら寒い。


「すみません」

「君ももう大人だろうが。……まったく、これだから金持ちの子供は」


 次第に口調も荒々しくなってくる。粘着質な言い方にも腹が立ったが、それ以上に男の薄気味悪さへの嫌悪感が勝った。

 謝ってはみるものの、人間と喋っている気がしない。不満を吐き出す妖怪のようだ。


 会社に潜入してみて、初めてわかった。

 創業家というのは、少なからず社員に恨まれているようだ。どんなに福利厚生を充実させても、給料をきっちりと払っても、そこには決して越えられない、「雇い主」と「雇われ従業員」の壁がある。

 橘は誰かに雇われたことがないので、その微妙な機微がわからない。


 どんなに同じように働いていたとしても、同じ釜の飯を食ったような気分になっていても、「社長」という立場は社員たちに疎まれているようだ。


「恨み」とは、意外にも身近に転がっている。殺人や死を伴わなくても、こんなにも簡単に、こんなにも手っ取り早く恨みを買ってしまう。

 うっすらとした恨みを向けられ、橘は急いで会館をあとにした。

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