(……⁉ な、んで……⁉)
突然ディサエルから膨大な量の魔力が溢れてくるのを感じた。私はディサエルがコダタよりも強い、と文字通り強く信じてもいないのに。と思った次の瞬間にはディサエルはコダタの目の前にいて、彼の首根っこを片手で掴んでいた。
「がっ……あ……」
コダタは苦しそうに喘いでいる。背を向けているディサエルの表情は伺い知れないが、その周りに漂う魔力は闇のように黒く、何百本もの槍がコダタを狙いすましているように見える。
(これは……流石にヤバい)
魔力は靄のように漂っている事が多い。普通の魔法使いが魔法を使った時でもそうだ。だが力の強い魔法使いの場合はその限りではない。どんな魔法を使うかにもよるが、綺麗な模様を描く時もあれば、感情が形を伴って現れる時もある。今のディサエルの場合は後者だ。怒り、それと恐らくは相手を殺したいという感情が、魔力を槍の形にさせている。
何とかしなければ……。そうは思えどディサエルの放つ威圧感に押し殺されそうで一歩も動けない。くそ。この意気地なしめ。
「オレの、妹は、何処だ」
ディサエルは首を掴んだまま最初の質問を繰り返した。だが当然コダタは何の返事もできず、苦しそうな声を出すばかりだ。目には恐怖の色が浮かんでいる。
「あ? 何て言ってんのか全然聞こえねぇぞ」
魔力の槍はじりじりとコダタに迫っていく。その光景にも、この空気感にも、耐えられそうにない。
(何とか、しなきゃ……)
カーディガンの内ポケットへと手を伸ばす。カワセミの彫刻が手に触れる。触りなれた木の質感に安心感を覚え、深呼吸しながら心を落ち着かせる。大丈夫だ。私ならこの状況を打破できる。そのまま握りなれた持ち手まで手を這わせ杖を引き抜く。杖を本棚に向け、一言呟いた。
「飛べ」
本棚に並べられた本という本が一斉にガタガタと動き始めた。その音に気づいたディサエルが本棚に目を向けた時には、本たちは我先にと本棚から飛び出しているところだった。本棚からディサエルへと杖を一振りすると、大量の本がディサエル目掛けて飛んでいった。
「おい何して……痛っ……おい!」
ディサエルは片手で本を振り払おうとしたが、数が多すぎて対処しきれないのか、首を掴んでいた手を放し、悪態をつきながら暴徒化した本の軍団を沈静化させた。
やっと自由を得たコダタは床にへたり込み、酸素を求めて荒い呼吸を繰り返している。槍の形をしていたディサエルの魔力は、今はその形を失い床に散らばった本の周りに靄のように掛かっている。一応はあの恐ろしい状況を対処できた。呪縛から解かれたように私は安堵の溜息を漏らした。
「紫野、原……さん。……ありが……がっ」
息も絶え絶えながらに喋ろうとするコダタを、ディサエルは容赦なく踏みつけた。
「何で邪魔したんだよ」
普段と何一つ変わらない表情でディサエルは私を見据ええた。普段と何一つ変わらないからこそ、私はこの神を――否、魔王を空恐ろしく感じた。
「その人……コダタさんが苦しそうにしてたから」
怯みそうになりながらも、私は真っ直ぐディサエルを睨みながら言葉を絞り出した。そんな私に呆れたようにディサエルは言う。
「お前は相手が敵だろうが何だろうが、今みたいに助けるのか?」
「それは……」
そんな事を言われても、こうした状況に遭遇する機会なんて今まで無かった。だが、それでも何か言わなければ、答えなければいけない。何も言わずに逃げる事など、目の前の魔王は許しはしないだろう。なぜなら魔王は今や大きな手を魔力で形作り、私を掴み掛からんと迫ってきているのだから。
「分からないけど、でも……魔法で人を傷つけるのは、間違ってる」
魔法で誰かを傷つける人は、現実にだって、物語の中にだって存在する。でも、私の好きな魔法使いたちは、物語の主人公たちは……それを良しとはしない。敵が窮地に陥っている場面で、その敵を助けようとする。そんな主人公に憧れを抱く時もある。だから私も、そうありたい。
「ふうん」
私の返答を聞いたディサエルは、納得したのか、それとも興味が失せたのか、コダタから足を退け、魔の手も霧散させた。そしてそのまま「もういい」と言って自分の姿さえも跡形も無く消し去った。ディサエルの魔力も何処にも見えない。本の散らばった自習室内は私とコダタの二人きりとなった。