祭壇の横の扉を抜けた先の部屋は、医務室として利用されているようだった。机には様々な医療器具が綺麗に並べられ、魔法薬も何本か置いてある。ベッドは二台あり、清潔な白いシーツが敷かれている。開け放たれた窓からは心地良い風が流れ込んでくる。
「おい! ロクドト! いるか!」
医務室なのに肝心の医者がおらず(ロクドトという人物が医者なのか知らないが)、騎士が大声でその名前を叫んだ。
「おいギンズ。本当にここにあいつがいるのか? よくフラフラとどこかへ行ってしまうから別の場所に」
「ワタシならここにいるぞ」
「うわあ!」
騎士の目の前に突然ボロに身を包んだ人が現れた。灰色の髪は伸び放題のボサボサ頭で、前髪に隠れて目がよく見えない。無精ひげも生えている。正直なところ、街中で見かけたら目を合わせずに避けて通りたいレベルの人だ。
「キミは腕っぷしばかりで魔法はまだまだだな。見えない敵に襲われたらどうする。相手が魔王であれば即死するぞ。それでは流石のワタシも治しようがない。もっと魔力を感知できるよう努力するんだな。それでもディカニスの一員か」
「なっ……! き、貴様こそその様にコソコソと動き回るだけで、戦場ではこれっぽっちも役に立たないではないか!」
「ワタシが役立たずだと? ワタシがいなければキミ達が負った傷を誰が癒すんだ? 呪いは? 高度な治癒魔法を習得した者が他にいるとでも言うのか? 先日キミの大怪我を一瞬で治してやったのが誰だったかもう忘れたのか?」
「ぐぅ……」
突然始まった言い争いは、どうやら騎士の完敗に終わったようだ。
「ロクドト、すまないがアリスと言い争っている場合じゃないんだ。コダタが魔王に呪いを掛けられたみたいだから、ちょっと見てくれないか」
先程騎士にギンズと呼ばれていた現代服がそう言った。この騎士、そんな可愛い名前なのか! いや、でももしかしたらこの人たちにとっては格好いい名前なのかもしれない。異世界の言葉は分からない事ばかりだからな。
「ああ、こいつの馬鹿でかい声くらいワタシにも聞こえていた。キミが連れてきたんだって?」
前髪の奥から鋭い目が私を覗き込んだ。目が合ってしまった……。背中をゾクリとさせながら私は頷いた。
「そうか。よく無事だったな。色々キミに聞きたい事はあるが、患者の容体を診るのが先だ。そいつをベッドに放り込め」
病人をそんな乱暴に扱うのはよくないのでは? と不安に思ったが、アリスとギンズの二人はコダタをベッドに放り込む事はせず、丁寧に横たわらせた。
「ご苦労諸君。邪魔者は部屋から出て行ってくれ。……ああ、キミは残るんだ」
二人と一緒に部屋を出て行こうとした私をロクドトが呼び止めた。
「え、でも……私も邪魔、ですよね……?」
できればこの見た目も怪しければ人を苛立たせる物言いしかできないような人間と一緒にいたくはないのだが……彼の眼光はそれを許さなかった。
「色々聞きたい事があると言っただろう。聞こえなかったのか? 早く戻って空いている場所に座るんだ」
患者を診るのが先とも言っていたような気がするが……反論しても先程のアリスの様にねじ伏せられる未来しか想像できない。渋々引き返して空いている椅子に座った。
「素人目には彼がただ苦しんでいる様にしか見えないだろうが、キミは何故魔王の呪いだと思ったんだ?」
ロクドトはコダタをじっくりと観察しながら、こちらには目もくれずに言った。
「コダタさんの首の周りに、魔王の魔力が取りついているのが薄っすらと見えたからです」
「つまりキミは魔力が見えるのか。あの馬鹿とは大違いだな」
あの馬鹿、というのはアリスの事だろう。
「ここまで見つけにくい痕跡を見つけるとは、耳は悪くとも目は良いようだ」
別に私の耳は悪くない。
「ふむ……流石魔王だ。簡単に解けるような魔法じゃない。このワタシでも時間が掛りそうだ。コダタ、聞こえているか」
ロクドトが呼びかけると、コダタは弱々しく頷いた。
「聞こえて……ます」
「ほう。喋れる程元気なら結構。いいか、よく聞け。キミに掛けられた呪いは簡単には解けない。時間が掛るんだ。その間ずっとキミの苦しむ声を聞くのは邪魔でしかないから、今からキミに薬を飲ませる。睡眠薬だ。さあ飲め。持てるか?」
自分目線でしか物事を言えない医者は、机上にある紫色の魔法薬を一本コダタに手渡した。コダタは震える手でそれを受け取り、栓を抜いて一気に飲み干した。するとたちまちコダタは目を閉じ、呼吸はまだ荒っぽいが寝息を立て始めた。効き目が早すぎて怖いくらいだ。力を失ったコダタの手から瓶が零れ落ち、それをロクドトは魔法で掬い上げ机の上に戻した。