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第4話 水曜日の悪趣味なショウ

 だとしたら、つじつまが合う、と彼は鈍い光の中、鍵盤に指を走らせながら考えていた。

 入り口のネオンチューブには、淡い緑とオレンジの光が走る。静かな時間帯だった。「クラブ」には、そろそろそんな時間を楽しむ人々が集い初めていた。

 彼のピアノの音に、時々六弦の音が混じる。あの長い髪を編んだ方のプレーヤーだった。確か名前はオリイとか言った。

 ひどく口数の少ないこのプレーヤーは、複雑な模様のついた腰の無い素材の、身体に緩やかな服が好きそうだった。

 その腰の無い布を、低い舞台の上に無造作に広げて、足は胡座を組んでいる。そうやって見ると、髪だけがひどくきっちりと編まれているのが不思議なくらいだった。

 オリイの出す六弦の音は時々不意に揺れる。曖昧な昇り方をし、降り方をし、そして時々、こんな所で、という高さでゆらゆらと揺れる。

 その揺らめきが、彼を一瞬記憶の中に引きずり込みそうになるのだが…自然に動く手が、彼を現実に引き戻していた。

 この音は危険だ、と彼は思う。何か、自分の意志とは別のところで、記憶が引きずり出され、無用な物思いの渦に巻き込もうとするのだ。

 それは、まずい。

 だから、そうでない無粋な物事を、彼は敢えて考えることにしていた。

 エビータの寝室に呼ばれた相手は、第一層に閉じこめられるか、さもなければ殺されるか。それは第三層の彼らが知っているくらいだから、決して秘密なことではないのだろう。それと知っていて、彼らはそのことを止めはしない。

 この人工惑星の全体の利益からしてみれば、エビータのお召しくらいは、大したリスクではないのだ。

 そして、お召しは決して、ここにずっと住んでいる人間である必要はない。ここが財団の「後宮」である限り、秘密を探ろうとする若くて生き生きとした工作員達も多いのだ。


 とすると。


 彼は連絡員の言ったことを思い返す。


 奴の部下もまた、エビータのお召しによって、消されたのだろうか。


 考えられることだ。そして明日、それは自分の身に降りかかってくることかもしれない。

 一つの小曲が終わって、彼は指を止めた。と、ふと彼は頬の辺りに、何やらうずくような感覚を覚えた。ちら、と舞台の方を見ると、オリイのその大きな目がこちらを向いているのに気付いた。


 …俺を、見ている?


 だがその目は、ひどく無機質なものに見えた。

 気のせいだろうか、と彼は目を細め、ぱらぱらと楽譜を繰る真似をする。短いストロベリィ・ブロンドの、タキシードによく似た上下を身につけた女給仕が、彼の元にカクテルとカードを渡した。

 カードにはリクエスト曲が書いてある。あちらのお客からだ、と女給仕はハスキイなアルトの声で告げると、オールバックに流した頭をすっと後ろに向けた。

 Gはそのカードに書かれた№の楽譜を繰る。ひどく古い曲らしい。そして、共通語ではない言葉でタイトルが。


「…へえ、意味深」


 小柄な打楽器のプレーヤーのニイは次の曲目を知るべく、彼の手元をのぞき込んだ。そして客には聞こえない程度の声でつぶやく。


「どういう意味?」


 彼はちら、とニイに向かって聞こえるか聞こえないかの声で問いかける。


「『あなたが欲しい』」

「…それは確かに」


 背の高いジョーもまた、仲間の言葉に呼応し、にっと笑う。からかわないでくれよ、とGはつぶやくと、楽譜を台の上に乗せた。

 ニイはオリイに近づくと、曲のタイトルを囁いているようだった。オリイはやはり黙ったままうなづく。そしてすっと立ち上がると、舞台の下手へと音も立てずに歩いて行った。いや、音はした。その服の、腰の無い布が動く、さらさらという音だけが。

 彼は再び鍵盤に指を動かし始めた。舞台の裏手では、次の出し物の準備が為されている。

 きらびやかな衣装をつけた女達が、頭につけた羽根や、身体にぴったりした服にこれでもかとばかりにつけた小さな模造パールの位置、なかなかいい位置にいかないストッキングの花柄、足中に編み上げる靴の紐に四苦八苦している。

 そんな様子を感じとるのは、彼は嫌いではなかった。

 いつの間にか、ピアノの音の上に、微かなハイハットの音と、ブラシでその顔を撫でられるスネアの音が絡まってきた。そして低いベースの音も。

 音楽は、いい、と彼は思う。

 何だかんだ言って、自分が記憶を封じている時にもそれを手放さなかったのは、それが好きだ、ということに他ならないと思う。

 小休止となった時、彼は先ほど女給仕から手渡されたカクテルを口にした。フルーティな、香りの良いカクテルだった。アルコールはさほどに強くはない。


「君はこの後もいるのかい?」


 アルトの声が、斜め後ろから彼の耳元をくすぐった。振り向くと、そこには先ほどの女給仕が居た。手には彼の手にしているものとよく似たグラスがあった。

 身体にぴったりした、タキシードによく似たその給仕服は、特注だろうか。男のものを仕立てなおしたのだろうか。起伏の大きい彼女の身体の線を被いながらも際だたせている、と彼は思った。

 服の下の肉体が、隠されたまま、自己主張をしている。

 彼は身体ごと彼女の方を向くと、穏やかに笑った。


「居ますが。まだ仕事時間は残っています」

「そうか。では残念だな」

「何か僕にご用ですか?」

「いや特に用は無い。だがあまり水曜日の最後のショウは見て楽しいものではないからな」


 水曜日の最後のショウ?


「どういうことですか? ミズ…」

「キャサリンだ」

「ではキャサリン…」


 そう言ってから、彼はふとその名が、ハウスキーパーのエルディの姉の名であることを思い出した。だがここで彼はそれを口にはしなかった。


「…ええ… キャサリン、どういうことですか? 水曜日のショウ、と特別言うからには何か特別なことがあるのですか?」

「君は外から、最近来たのだったな? サンド君」


 彼女はペリドットのような若草色の目をやや細め、やや横目にGを見た。彼はうなづく。


「無論外にも、色んな趣味の者は居るのは判る… だが別に見なくていいものなら、見たくないものというものはあるだろう?」


 細い眉がく、と歪む。眉と眉の間に、深い皺が刻まれた。そして彼女はポケットから細い、長いシガレットを取り出すと、火をつけた。軽い香りが、彼の鼻をつく。


「…まあいい。どんなショウか、判れば水曜日に休暇をもらっても誰も文句は言うまい…」

「でも僕の仕事ですから…」

「ふん」


 すると彼女はく、と自分とほとんど同じ目線の彼の顔を自分の方に向けた。重ねられた唇から、先ほどのシガレットの香りがするのを感じる。


「…何を…」

「ふん、驚きもしないな」


 彼はそういう彼女を軽くにらみつける。だが目の前の男装の女はびくともしない様だった。


「遊びだったら止してくださいよ。僕はそういうつもりはない」

「だがこの惑星に来たのだろう?全くのうぶという訳でもあるまい」

「…それは… そうでしょう。あなただって」

「当然だ」


 半分まで吸った煙草を、近くの灰皿にく、と擦りつける。


「こんなところで、そんなもの守っていたところで、何にもならない、ということだ。まあそれは君が他人だから言えることかもしれないがな」

「あら、そういうこと言うのかしら? お姉さま」


 キャサリンの肩が片方、少しばかり引いたと思うと、澄んだ声が、彼の耳に飛び込んできた。


「初めましてピアノ弾きさん」


 キャサリンを姉と呼ぶなら… これはクローバアだ、と彼は記憶をひっくり返す。エルディの、もう一人の姉なのだろう。

 姉よりやや濃い色の髪の毛が大きくゆったりとウェーブして、広く開いた背中の半分までを被っている。

 そしてやはり広く開いた胸は谷間も深く、衣装にくるまれた部分はぽん、と丸く張り出している。隠れていない部分は、やや上気してうっすらと赤く染まっている。

 姉とは別の意味で、ひどく美しい女だ、とGは思った。

 姉の瞳がペリドットとすれば、この妹のそれは、アメジストだった。姉のような鋭さの代わりに、女性特有の柔らかさがその色にはかいま見えたような気がした。

 むき出しの腕は白く細く、しなやかだ。そしてその腕を姉の首に後ろからまとわりつかせると、クローバアは彼に笑いかけながら言った。


「お姉さまはあなたが可愛らしいからそんなこうおっしゃるのよ」

「か」


 可愛らしい? 彼はさすがにその言葉には目を大きく見開いた。


「…そ、それは…」

「うふふ」


 小首を傾げて、クローバアは透き通った声で笑う。新たな煙草に火をつけると、キャサリンは妹をたしなめる。だが決してその声には非難の色はない。


「からかうのはよしておけ」

「あら、だって先にからかったのはお姉さまだわ。あたしにお姉さま以上の何ができましょう?」


 Gはその会話に今更戸惑いはしなかったが、戸惑うふりだけはそのまま続けていた。  


「あなたはこの後の出演なのですか?」


 だが名前は言わない。名前をまだ彼は彼女の口から聞いてはいないのだ。


「名前を呼んで。それが好きよ。クローバアよ。幸運の葉の名よ。ええあたしはこの後には今日は出ないわ。出てたまるものですか」


 最後の言葉は、吐き捨てるかのようだった。そして姉もまた、全くだ、とそれに同意を示す。


「あたしにも一杯、いただけないかしら? お姉さま」

「ああ、いいだろう。ほら」


 キャサリンは腰のポケットから、カクテルのためのコインを一つ出すと、妹に渡した。普段は持っていないのだろうか、と彼がやや疑問に思う。するとクローバアはその視線に気付いたのか、言った。


「この服の何処にポケットがついていると思って?」


 全くだ、と彼はうなづいた。模造パールがとりどりにつけられた歌手や踊り子の衣装には、そんな余裕は、少しも無いかのようだった。

 ありがとお姉さま、と一言言うと、クローバアは身軽に身体を翻し、カウンターへと早足で歩いて行った。


「…何やら不服そうな顔だな」


 アルトの声は、大きく開いた背を眺める彼の肩にぶつかった。


「可愛いなんて言われて、はいはいと素直にうなづけはしませんよ。僕は男なんですから」


 彼は多少の抵抗を試みてみる。


「だが本当なら仕方ないだろう? それとも君は、男は逞しく女はたおやかであるべきなどと思っている類か?」

「そういう訳ではありませんが…」


 すると彼女はく、と笑い、シャツにくるまれたそのしなやかな腕を、彼の首に巻き付けた。

 ずいぶんと強い力だ、と彼は感じる。だが彼の知っている男達とは違い、その力の入れ具合は、確かに女性特有の感覚だった。悪くはない、と彼は思う。別段彼は女性が嫌いな訳ではないのだ。


「だったら素直に誉め言葉と取ればいい。そのほうが、楽だろう?君のような容貌の者は」

「どうでしょうね」

「楽だぞ」

「あまり僕は、楽であることと縁が無いのですよ」


 それは、嘘ではない。

 彼は思う。

 どうしてこうも、行く先々で、何かを知り、何かを見、そして何かの中に巻き込まれ、そして時には何かを巻き起こしてしまうのか。

 どうして自分には、そうでない生き方はできないのか。

 それは彼にとって、時々不意打ちのようにやって来る疑問だった。

 考え出すと止まらなくなり、嵐のように彼の中を駆けめぐり、やがて考え疲れる時まで、彼を苛め続ける疑問でもあった。

 遠い昔。客観的な時間の流れの中においても、彼の主観的な時間においても遠い過去のあの惑星で、当時は司令だった、あのMM盟主がその答えを一端、指し示したような気もした。

 だがそれは錯覚だった。

 彼は巻き付くキャサリンの腕をそっと避ける。彼女は何を言わなかった。

 やがて辺りが暗くなった。高い天井に取り付けられた照明は消え、あちこちの小さなフロアスタンドだけが、足下の危険を回避させてくれる。


「ほら」


 キャサリンは、間接照明のわずかな灯りの中にも不快そうな顔をして、あごをしゃくる。

 彼はつられるようにしてその方向を見る。そこには舞台があった。そして何やら甘い… 甘ったるい匂いが、その方向から漂ってくるのに彼は気付いていた。

 がたん、と音をさせて彼女は近くの椅子を引いて、まだピアノの側に居る彼の横にとかけ、きっちりと折り目のついたズボンにくるまれた、すらりとした足を組んだ。

 ぼんやりとした赤系の光が、淡く舞台の上に漂う。

 やがて彼の目には、その真ん中に、何やらそれまで無かった台の様なものが浮かび上がってくるのが映った。


「始まるわね」


 肩に手を置かれて、彼は思わず飛び上がりそうになった。背後でカクテルを口にするクローバアは、全く気配を消していたのだ。

 いやそれだけではない、と彼は思う。この甘ったるい匂い。催眠系の薬品がその中には感じ取れた。それはあの時、宙港で彼が受けたシガレットとも酷似していたが、それよりやや濃いものであることは、間違いない。


「見るがいい、サンド君」


 キャサリンは、そうつぶやいた。彼は顔を真っ直ぐ上げた。

 やがて、そのぼんやりとした中に、人の姿が浮かび上がってきた。…ひどく若い、少女と、少年が一人づつ、そこには立っていた。歳の頃は、いいところ14か15といったところだろうか。少女のほうはまだ、12と言っても通じるくらいだった。

 そして彼はやや眉をしかめた。遠目に見ても、彼らの表情は、奇妙だった。うすものしか身に付けさせられていない彼らは、ひどく動作も緩慢で、糸のたるんだ人形のように、彼の目には映る。

 少女の方が、台に腰掛けると、そのままぐらり、とその上に横たわった。手足に力は無かった。しゃら、と模造パールの腕輪が、何連にもその手首に揺れる。

 揺れたのは、その少女の腕が上がったからだった。もやは次第に晴れていく。まだひどく細いその腕が、無表情に動く。少年を誘っているような動作だった。だが動作だけだった。その動作には、心が入っていない。

 少年はそれに引かれるように、台の上に腰掛け、少女の身体を半分起こすと、緩慢な動きで、その小さな肩を抱き、不自然に赤い唇に口づけをする。


「悪趣味だと思っているな? サンド君」

「…ええ」

「だがまだいい。まだ可愛いものだ」


 キャサリンのアルトの声が、短く囁く。

 そこへ、ぱん、と大きな音がした。彼はその音に聞き覚えがあった。かつん、という靴音とともに、手に黒い鞭を持った男が舞台に現れる。

 無言のやりとり。どうやら、この少年少女は、禁じられた恋人達を演じているらしい、と彼は気付く。やがて、舞台の上には、二人を取り囲むように、数名の男達が現れる。

 少女と少年は、互いにかばい合うが、やがてどちらも別々の男達の手にかかり、身にまとうものをはがされ、台の上に別々に転がされた。

 そして―――

 彼は前髪をかき上げる。出し物だ出し物だ、と判ってはいる。おそらくは、この少年少女もそれが仕事なのだろう、と判ってはいる―――

 だが、ひどく、それは不快な光景だった。少年少女を哀れんでいる訳ではない。ただ、不快だったのだ。

 無論、そんな歳で、そんな仕事についている、それで食わなくてはならない、という状況には、悲しいものを感じなくはない。

 だが、彼は、自分が感じているものの正体が、そのことではなく、別のことにあることに――― ひどく不快な気持ちになったのだ。

 舞台には、台の上だけに光が当たっている。

 その台の上も、一部分だけで、少年も少女も両方が見えるという訳ではない。だが、その時々しか見られない、というのが、この年端もいかない二人の動きをエロティックに見せる。

 肉のついていない白い肌も、熟す前の細い背中や胸のラインも、ひどくなまめかしい。

 少年も少女も、手をつながれ足をつながれ、その上で幾人もの男達に、好きにされている。既にまとっていた服は、舞台の隅で丸まっている。

 ―――彼が不快だったのは、そのことではなかった。

 時々、光が少年や少女の顔に当てられる。

 おそらくは薬を与えられているのだろう、緩慢な動き。半分だけ開けた目は、とろんとして、舞台の外の世界など何処にも感じていないようにも見える。だがそれが時々、苦しそうに細められる。口が開く。涙がこぼれる。

 なのに、それが、やがて別の表情に変わっていく。

 こんな時にでも、それでも、身体は、少しでも快感を感じ取ろうとするのか。

 彼はそれを見て、ひどく嫌な気持ちになった。

 それは少年少女に対するものではない。自分に対してだった。

 さすがに彼は席を立とうとした。だが、動けない自分に気付く。クローバアの手が、肩に乗っている。それだけなのに、自分の足は、地面に吸い付いたように、そこから立ち上がれない。


「一度見ようと思ったものは、最後まで見るのが礼儀じゃなくて?」


 彼女の大きな胸が、彼の後頭部にぎゅっと押しつけられた。



「どう? 水曜日にはお休みしてもよくってよ?」


 ショウの終わった後、背後の女は言った。


「刺激が強かったかな?」


 横の女もまた、そう口をはさむ。彼は斜めに身体を動かすと、大丈夫です、と答えた。


「ちゃんと来ますよ、水曜日にも…」

「そう」


 ふふ、とクローバアはそれを聞くと微笑んだ。

 からん、と扉を開ける音がする。閉店の合図だ。彼はピアノの蓋を閉めると、立ち上がった。


「食事でも、どうだい? サンド君」

「結構ですよ… それより、妹さんとちゃんとさっさと帰ってやったら如何ですか?」

「おや」


 キャサリンは目を大きく開き、傍らのクローバアのむき出しの肩を抱き寄せる。


「妹とはさっさと帰るが?」

「その妹さんじゃないですよ。もう一人いるでしょう」

「何だ、知っていたのか」

「可愛い子ですね」

「いい子だよ。あれは」


 ふふん、とキャサリンは口先に笑みを浮かべた。


「あれも一緒に、じゃまずいのかい?」

「食事するところは決めてますので」


 やれやれ、と彼女は両手を広げ、苦笑した。


「お姫様は、ひどくおかんむりのようだよ」

「お姉さまがあんまりいじめるからだわ」


 くすくす、と口元に曲げた指を当ててクローバアは笑う。不快な気持ちが、なかなか消えない。

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