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第6話 連絡員来たる――ついでに悪趣味な舞台に誘う

「…何でお前がここに居るんだよ」


 その次の週の、水曜日の夜。

 休憩時間になった時、彼はにっこりと客席から手を振っていた連絡員に向かって眉を寄せた。


「何でって。仕事なのよ仕事」


 キムはテーブルの上のカルーアミルクを前に、手をひらひらと振った。


「仕事ってお前なー…」

「だって仕方ないじゃない。俺の用事のある奴の足取りを追ってたら、ここにたどり着いてしまったんだからさー」


 まあ座ってサンド君、と連絡員は彼の腕をぐっと引っ張る。彼はしぶしぶ、斜め前の丸椅子に腰を下ろした。

 彼が降りた後のステージでは、あの小楽団が奇妙な、何処か南国めいた曲をかき鳴らしている。足を組んだオリイは、この間のように、不安定な音色を辺りに響かせていた。


「何か変わった音だねえ」

「まあね。何かここに居る連中は一癖も二癖もある奴ばかりだ」

「そーんな話、そんないい声でしていいの? サンド君や」


 殊更に、キムはGの偽名を口にする。いいんだよ、と彼はやや投げやりに言葉を返した。おーや、とそれを聞いて連絡員は肩をすくめる。


「お前らしくないじゃない」

「どういうのが俺らしいって言うんだよ」

「わりといつも真面目に、こーんなに眉間に皺を寄せてさ」


 くっ、と彼は笑い声を立てる。自分の真似をするこの盟友の顔が、ひどく可笑しかった。


「だってねえ… 仕方ないじゃない」

「…ま、実際、仕方ないよな」

「そう。それで、そのお前の追ってる奴ってのは?」


 そう彼が訊ねると、キムはカルーアミルクを一口含んだ。

 先日のホットチョコレート同様、実に甘そうなそのカクテルに、彼はやや苦笑する。だが連絡員は、そんな彼の視線には気付いたのか気付かないのか、平然と半分を空にし、次の答えを返した。


「結構な大物。糸をたどったら、とんでもないのが引っかかったんで、俺としちゃ、ちょっと興奮気味ってとこかなー」

「へえ。お前でもそういうことあるんだ」

「そのくらい、だからね。…そうだな、俺達くらい」

「俺達くらい?」


 キムが彼らの組織MMの仇敵とも言える組織「Seraph」を追っていることは、彼もよく知っていた。その中で、自分達と同じくらい、ということは。


「…それは確かに」


 連絡員もやや真面目な顔になってうなづく。こう見えても、自分も連絡員も、盟主の直属である最高幹部の地位にあるのだ。その地位に相当する、その組織の人物がここに居るというのか。


「ま、その人物の顔も姿も今のところ、俺には判らないんだけどね。ただ…」


 キムはそう言うと、言葉を濁した。何、とGはその次をうながす。ちら、と連絡員は、視線を微かに動かした。


「どうした。会話が弾んでるようじゃないか」

「美人に目がくらんだんですよ」


 くすくす、とキムは頬杖をつきながら、テーブルに手をついたキャサリンを見上げる。


「また嬉しい言葉を言ってくれるものだね。お代わりは?」

「まだ大丈夫ですよ。それより、友達との再会に水をささないで欲しいな」


 歌うようにキムはキャサリンに向かって言う。その手はGの肩にかかっている。言葉と表情はにこやかだが、その裏では、邪魔だからどいていてね、というのが彼には露骨に感じられた。

 ふうん、という顔をして、腰に両手を当てるとキャサリンはくるりと二人に背を向けた。ふう、と彼は呆れたように深呼吸をした。


「綺麗なおねーさんだけど、お知り合い?」

「一応」

「ふうん。あれ機械仕掛けだよ」 


 何げなく、さりげなくキムは言った。だがそれはGを驚かすには充分すぎる言葉だった。彼は思わず、同僚の顔を見据える。キムは表情を変えることもなく、再びカクテルに口をつけた。


「俺そういうのは間違わないもん。自分の同類は絶対見間違わない、そりゃま、レプリカじゃあないけどさ、お前こないだ会ったろ? 『仮面(マスケラ)』の」

「…ああ、あれ」


 彼はうなづく。あの小回りの効く組織の党首から聞いた、「意志を持つメカニカル」の存在。


「…全く。幾ら人間サマが壊そう壊そうったって、出てくるものは出てくるんだよ。どんな経緯をたどろうと、生きようとする以上さあ」

「じゃ彼女は」

「たぶん、その類だろうね」


 彼は眉を軽く寄せた。とすれば、あのクローバアとエルディと姉妹というのは嘘ということになる。いや無論、血のつながっていない「お姉さま」なら構わないのかもしれない。クローバアは知っていて、「お姉さま」にしているのかもしれない。それともクローバアもまた、メカニカルというのだろうか。


「キム」

「何?」

「あれは?」


 舞台の脇から客席側に引き上げてきた、踊り子とも歌姫とも知れない衣装のクローバアを彼は視線で示す。


「お知り合い?」

「さっきの彼女の妹」


 ああ、と彼の聞きたいことが判ったのか、キムは焦点を合わせる。しばらくじっとその目を凝らしていたが、やがてうなづくと、彼の方を向いた。


「あれは違う。ただの人間だよ」

「本当に?」

「俺は間違えないって言ったでしょ。あれはただの人間だよ」


 なるほど、と彼は同僚の言葉にそう答えた。


「…確かに、一枚はがせば、何が何だか判らないところということか」

「そんなことは初めっから判ってるでしょ?」

「判ってるさ。それより、さっきの話の続き」


 ああ、とキムはうなづく。彼は話を逸らしたかった。信じたがってる自分が居る。あの、旧友と何処か同じ部分を持った男を、敵ではない、と信じたがっている自分が居るのだ。

 この同僚に気付かれたくはなかった。何故だか判らない。だがそれが本音だった。


「…ゲランに行っていたんだけどさ」


 それは聞いたと思う。いや違う、同僚が発つ前に言ったのだ。


「ちょっとばかりアミを張ってね。結構大がかりな大掃除をしたんだ。あのひとにちょっとばかり手伝ってもらった」


 中佐のことか、と彼は思う。


「あのひとの表向きを利用して、俺はMM以外をより分けて、その一人一人に、うちの連中を当たらせた。一人に対し、五人ってとこかな。人海戦術だよ。まあでもさすがにそれをやったら効果はあったね」

「見付けた?」

「そ。まあどんな姿かどんな偽名か、本当にはどんな立場にあるのか、そのあたりはさっぱり判らない。あそこもまた、うち同様、下に行けばいくほど、上の情報はさっぱり判らないものになっている」


 彼は髪をかき上げる。それは当然のことだ。


「だがさすがに、全く下っ端だけが居た訳じゃない。命令を下す側が居ることは、居たんだ。何せ下へ行けば行くほど、吐かすのは簡単だ」

「で?」

「で、とにかくどの情報からも、一つの方向だけは導き出せた訳さ。ここだ」


 キムはテーブルの上をとん、と指で突く。


「惑星ペロン」

「そ」


 なるほどね、とGがうなづいた時、ふっ、と客席の灯りが消えた。静まりかえる店内に、キムは彼に接近し、耳打ちする。


「何が始まるんだ?」

「悪趣味な舞台さ」


 彼はそう吐き捨てる様に言う。好んで見たい訳ではない。だが、あああの二人に言われては。

 半ばやけで、キムが半分まで空けたカルーアミルクを彼は飲み干した。胸焼けしそうな甘さが、口とい言わず喉と言わず、焼いた。

 悪酔いしそうだ、と彼は顔をしかめる。だがきっとこのレプリカントは、この暗さの中でも自分の顔はきっと見えるはずだ。そう思うと、彼はやや自分の中に苛立ちが溜まってくるのを禁じ得なかった。

 だがその嫌な気分は次の瞬間、かき消えた。


「いやぁっ!」


 声のする方に彼は顔を上げた。

 舞台の上手で、これから出されるのだろう少女が、何かを飲まされそうになって、もがいている。やはり薬物か、と彼は思わず眉を寄せた。

 だが妙に聞き覚えのある声だった。

 一度は目を逸らした彼だったが、立ち上がり、ピアノの方へ戻ると、改めてその方向へと目をやる。そこの方が、舞台に近いのだ。

 途端、彼は左肩に大きな衝撃を感じた。何だ、と肩を押さえると、視界にストロベリィブロンドが入ってきた。キャサリンが、あの冷静さは何処に行ったものか、ひどく慌てて舞台の方へと駆け寄っている。


 まさか。


 Gは彼女の背を追った。その先には、もがく少女の姿があった。ふと気がつくと、斜め前に、クローバアが、両手で顔を押さえて、ひどく大きく目を広げている。彼女こそ、何かを叫びだしたいのを必死でこらえているかの様だった。

 彼は顔を上げる。焦点を合わせる。…唇から、知っている名がこぼれた。


「エルディ」


 彼はハウスキーパーの少女の名を呼ぶ。そして一歩、その場から踏み出した。


「妹に、手を出すなと言ったろう!」


 血相を変えたキャサリンは、嫌がる少女の動きを押さえ込む従業員達に、怒鳴りつけた。Gが客席の後ろから音もさせずに回り込み、キャサリンの背後まで追いつくと、その声が、彼の耳にまっすぐ飛び込んできた。

 奇妙に表情の無い従業員達は、仕方がないだろう、とやはり感情のこもっていない声で答える。


「今日予定のガキが、揃って逃げ出したんだ。一人はほれこの通り、掴まえたが、女のガキの方が、すばしっこくてなあ」


 確かに、その従業員の向こうには、この間見たのより、ぼんやりと壁を見ているだけの少年の姿もあった。


「だからと言って!」


 おそらく、姉を迎えに来たのだろう、と彼は思った。いつもなら自分や、他の客の部屋で時間が来るまで待っているのだろうが…


「タイミングが悪かったのさ。なあに一回だけの代役だ。目をつぶれ」

「冗談じゃない!」


 キャサリンは短い金髪を揺する。


「それとも、あんたが出るか? 妹の代わりに」

「それでいいというのか? それでいいなら、私は構わん。さっさとそうすればいい」

「いや、あんた一人じゃ、足りないね」


 彼女の、形の良い眉が露骨に歪んだ。お姉さん、と泣き声が彼の耳にも飛び込んでくる。


「見てみるがいい。ここに居る客は皆こういう趣味の連中だ。あんたのような大人の女が一人、そうされてるくらいじゃ退屈するだろうさ。そうだな、あんたのもう一人の妹」

「…!」


 ペリドットの瞳が、強い光を放ったか、と彼は思った。ぎ、と歯を噛みしめる音が聞こえる。握りしめた拳は、指先がひどく白い。


「お姉さま、あたしなら構わないわよ。それでいいでしょ? エルディを返してちょうだい!」


 いつの間に? Gははっとしてクローバアの声に振り返った。気配は無かった。アメジストの瞳もまた、ひどく興奮してぎらぎらとしている。ああ綺麗だな、とこんな時にも関わらず、彼はそう思った。


 悪趣味な、客か。


 彼はちら、と客席の方を見る。ここから見る分には、果たしてどんな客がそこに居るかは判らない。ただ、決して人数は多くない。

 ふと視線を飛ばすと、連絡員が自分を追ってくるのに気付く。彼は目を軽く伏せた。


 俺は。


 そして内心つぶやく。


 善人ではない筈だ。


 彼は手を伸ばす。そしてぷつ、と衣装のスナップを外しだすクローバアの手を止めた。彼女はアメジストの瞳で、何をするの、と言いたげに彼をにらみつけた。


「…悪趣味な客なんだ、と言いましたよね」


 彼は従業員達を見渡す。そうだな、と答えが返ってくる。


「じゃあ、僕なんて、どうです?」

「サンド君!」

「ちょっと!」


 キャサリンとクローバアの声が同時に上がった。そしてエルディの涙に濡れた顔も。


「一度でいいんでしょう?」

「ふん」


 軽く従業員は答えようとしたが、明らかにその声は動揺していた。Gは自分の見え方をよく知っていた。知っていたから、ここぞとばかりに、視線に気合いを入れた。


「…悪くはないな」

「でしょう?」

「だが、他の奴がどういうかな。何せあんたは大人の男だ。綺麗は綺麗だがな。そこのガキをどうこうというようにはいかんだろう?」

「じゃあ」


 迷ってはいる。だが、それはかなり前向きな迷いに彼には見えた。それでは。彼は手を伸ばす。

 そして長い髪の盟友の腕を引っ張った。キムはやや戸惑った顔になっていたが、それが作りであることは、彼にはすぐに判った。

 悪趣味な客の中には、色々居る筈だ。


「相手をつけましょうか」

「あんたの愛人かい?」


 彼は婉然と笑うと、友人を手招きする。何だよ、という顔を作って、キムは彼の頭を引き寄せると、強く口づけた。あ、という声を立て、少女の頬が染まったのを、彼は見逃さなかった。

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