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第8話 未明、限定爆発、サンド・リヨンへの呼び出し

 襟首を掴まれる感触で、彼は目を覚ました。

 まだ「夜明け」時間だ。大して眠ってはいない。正確に言えば、眠りについたばかりだった。

 適当に羽織ったシャツの布地の、首の部分が冷たい。誰だろう、と思った。横の相手は、まだ眠っているというのに。

 だが胸騒ぎがした。彼は手早く下の服も身に付けると、目を細め、耳を澄ます。窓は開いていた。誰かが入り込んだ?

 彼はイェ・ホウを揺り起こす。調理人の寝起きは良かった。どうしたんだ、と聞く前に唇に指を一本立てると、何やら了解したように、彼に向かってうなづいた。

 きゅ、と靴の紐を締める音が彼の耳にも飛び込む。開けられたままの二階の窓から外を見る。ここから誰かが飛び出した、はずだ。

 と。彼はいきなり身体を押さえ込まれるのを感じた。予期せぬ行動だった。


「ホウ何を…」


 訊ねる暇は無かった。爆音に、声はかき消された。扉が吹き飛んだ。

 相手は自分の頭を抱きかかえるようにして、爆風に背を向けている。火が、階下から吹き出してきた。


「…逃げるぞ!」


 何ごとが起きたか、と彼は思った。

 イェ・ホウは立ち上がると、窓のカーテンの、薄い一枚をレールからはぎ取り、勢い良く、それを引き裂いて行った。引き裂いたそれを、無言で立ち上がったGに渡す。彼は迷うことなく、それを抜けない縛り方で結んで行った。

 行動は無言で行われた。急がないと、下から火が来る。これは限定爆発だ、と彼は気付いていた。階下のワンフロアだけを、周囲に被害が起きないように破壊する方法。

 イェ・ホウは結んだカーテンの端を、ベッドの枠にくくりつけると、一度引っ張ってつながり具合を確認し、Gに向かって手渡した。先に行け、というつもりか、と彼は思った。そして躊躇することなく、彼はカーテンのロープを手に取り、窓から身を躍らせた。

 二階だからそう高くはない。ただ、何度か蹴りつける建物の壁が、炎と煙に包まれているから、さすがに着地する場所に目測をつけにくい。

 それでも、慣れていないことではないから、彼はさっさと地面に足をつける。そして次に降りてくる相手を待って上を見上げた。

 そしてその一方、ちら、と横目で燃える店を見る。見事な程に、店だけが爆発し、炎を上げていた。だがそれ以上燃え広がろうという気配はない。

 よく目を凝らすと、あちこちに、炎の燃え広がりを止める薬剤がまきちらかされている。まるでそれが、炎の結界であるかのように、その粉末状の薬剤のまかれている場所より外には、炎は広がることが無いのだ。

 それは地面だけではない。電柱や、看板、ネオンチューブのサインといった高さのある場所にも同様だった。そういう場所には、とろりとした、濃い液体状の薬剤がかけられている。炎の熱で、それは蒸発し、ガス化して炎をくい止めると同時に、それ自体の存在をも中和させてしまうのだ。

 まさか、と彼は思う。この方法には、見覚えがあった。

 と言うより、彼が教わった方法だった。


 まさか。 


 とん、と地面が微かに震えたので、彼は頭を軽く振り、思考を中断する。今ここで考えたところで、何にもならない。


「大丈夫か? サンド」

「俺は大丈夫、それより…」


 どう見ても、相手は大丈夫ではなかった。彼は思わず一歩踏み出すと、相手の、血に染まった服に触れた。流れる血。背中に、幾つもの破片が突き刺さっている。

 爆発の瞬間。


「…何やってんだよ、あんた…」

「大したことはないさ」

「大したことないって、真っ赤じゃないか!」

「大丈夫、こんなことはよくあった…」

「イェ・ホウ!」


 彼はホウの手を引っ張ると、反対側の道の端まで連れて行き、そこで有無を言わせず地面の上に座らせた。そして強引に背中を自分の方に向けさせる。

 確かに致命傷ではない。だが多少の出血はしている。彼は着ていたシャツを脱ぐと、血のにじむシャツの上からそれを回し、袖をぎゅっと結んだ。


「大したことないって言ったろ!」

「黙ってろ!」


 この閉じた街の中では、こういった事態に対して、すぐに救急隊が来るのが普通だ。

 そんなこと判っている。判っているのだ。実際、この事態に驚いた住民が、通報しているし、野次馬は何処の世界にも居る。中には既に、水をバケツで運んで、消火活動にいそしんでいる者すら居るのだ。


「だけど君」


 その姿、と言いかけた相手の口を塞ぐと、彼は座った目で、吐き捨てる様に言った。


「黙ってろって言ったろ!」


 ホウの言いたいことは判る。彼の露わになった肌の上には、見事な程に赤い染みが飛び散っている。逃げ出した二階で、何をしていたのかは、誰が見たって明らかだ。

 だが。


「…一度も二度も大して変わるもんか。見たい奴には見せてやりゃいいんだ。あんたは俺が綺麗だって言うんだ。だったら見ればいい」


 さすがにイェ・ホウも彼の剣幕には何も言えないらしく、黙って、自分の胸の前に作られた袖の結び目をじっと見つめた。

 管理局員が救急車と共に到着したのは、それから間もなくだった。何処の惑星でも、この車の走る音は、不安をかきたてるものだ、と彼は思う。

 到着した局員は、イェ・ホウを救急車に促すと、Gに上着を掛けた。


「事情聴取のために、君も来てくれないか?」


 いいですよ、と彼はあっさりと答え、ホウと共に車に乗り込んだ。

 管理局員の仕事は実にてきぱきとしたものだった。傷の手当をあらためて受けるホウの横で、彼は局員の質問を受けることになった。

 彼はいつもの偽名と、現在の住所をさらさらと答える。すると管理局員は、弾かれたように顔を上げた。


「サンド・リヨン? 君は」

「はい。それが何か?」


 局員は、彼の顔を一度じっと見ると、手にした薄型の端末を操作する。数秒後、ああ、という声とともに局員はうなづいた。


「サンド・リヨン君、君には、第一層から召集がかかっているのだが」


 彼は無言のまま、眉をひそめた。その表情をどう取ったのか、局員は彼の返事を待たずに話を続けた。


「昨夜、第二層の管理局から、君が下の層に降りたまま戻らないということで、捜索願が出ていたところだ」

「…そうですか。すぐに戻らなくてはなりませんか?」

「なるべくなら、そうして欲しいのだが」


 そうだろう、と彼は思った。第一層からの呼び出しなら、それは「エビータのお召し」なのだ。それはどの層の、どの事件よりも、この惑星に住み、管理する側には優先されるものなのだろう。


「行くのか? サンド」

「行かない訳にはいかないだろうね」


 彼はそう言って、ホウに向かって首を傾け苦笑する。それに、それがそもそもの目的なのだから。

 行かずに済むならそれも良かったけれど。苦笑する自分の表情が、本物であることが彼は奇妙におかしかった。

 それよりも、と彼は思考を切り替えることにした。切り替えなくては、迷いが出るのは判っていた。迷いは出てくるのだ。このままでは。だがどうやら迷っている暇はないらしい。


 それに。


 目を半ば閉じて、あの限定爆発の様子を思い浮かべる。あれは、確かに見覚えがあった。自分が教わった方法だった。…あれを教えてくれたのは…

 予想はできる。そしてその予想はおそらく外れていない。だがその予想の示すことは。


「…とりあえずあんたは、これから何処に居るのさ、イェ・ホウ?」


 イェ・ホウは彼の方に身体を向けながら、背中に受けた傷と火傷の治療を受けていた。時々染みるのか、顔をしかめつつも、Gの問いにはしっかりと耳を立てていた。


「とりあえず? そうだな。まあユエメイの家にでも行ってるさ。彼女の旦那が帰ってきてから店のことは話し合わなきゃ。…それにしてもひどいな」

「そうだね」


 彼はそう短く答え、それ以上の答えは避けた。


「で」


 イェ・ホウはしかめた顔のまま続けた。


「君は、帰ってくるんだろうな?」


 さて。どうしたものか、と彼は思った。帰る、と言われたところで、何処へ帰るというのだろうか。いや無論、この男が言うところは理解できる。だが、帰ることができる時は、任務が完了した時だ。

 いずれにせよ、この男の元へ帰る訳にはいかないだろう。

 それに。


「できれば、そうしたいね」


そうだな、とホウもうなづいた。全くだ。できれば、そうしたいところだ。自分が、反帝国組織MMの幹部である自分ではなく、この男が、自分の思っている者でなければ。



 一度部屋に戻りたい、という申し出は丁重に却下された。彼はそのまま第三層の管理局から直通のチューブに乗せられたのである。

 だがチューブは途中で一度停止した。どうしたことだろう、と彼が待っていると、開いた扉から、一人の見覚えのある人物が入ってきた。


「…君は」


 黒い長い髪を、ゆったりと後ろで三つ編みにして、あの六弦弾きは黙って彼の隣に腰を下ろした。


「君も呼ばれたのか?」


 Gはオリイに向かって訊ねる。すると黙って相手はうなづいた。


「一人って訳じゃないってことか…」

「珍しい、ことらしい」


 彼は弾かれたようにオリイの方を向く。何やらあの小楽団のメンバーの話では、本当に滅多に口をきくことはないようなことだったが…


「君はこれからどうなるのか、知っているのか?」


 オリイはくっきりした黒い目をゆっくりと彼の方に向けた。気付かなかったが、よく見ると、光彩の形がやや珍しい形をしている。

 彼はこれとよく似たものを何処かで見たことがあった。だがそれが何だったか、すぐには思い出せない。何だったろう。何かが記憶の中で引っかかっている。


「よくは、知らない」


 たどたどしい言葉だ、と彼は思う。星間共通語に慣れない者が、こういう話し方をする。


「…君は、共通語を使わない惑星の出身なのか?」


 何気なく、聞いてみる。オリイは首を横に振る。長い髪が、その拍子に揺れた。本当に、長い髪だ。長い黒髪は、あの旧友を連想させる。


「そういう訳ではない?」


 相手は小さくうなづく。確かに、理解はしているのだから、使わない訳ではなかったのだろう。


「使わない訳では、ない。けど、使う必要も、無かったから」


 どういう意味だろう。それ以上聞いてみたい様な気はした。だが、それ以上聞いても、答えないような気もする。

 何か、雰囲気が人間離れしているのだ。こうやって隣に座っていても、何やら、普通の人間に感じるような生気のようなものを感じないのだ。

 ではメカニカルかというと、そういうものでもない。あの盟友やその愛人といういい例がいる。人工の肉体だったら、何かそれはそれで、感じるところがあるはずなのだ。なのに、そのどちらでもない。

 何か、空気の色が違うのだ。だがそれがどんな色であるのか、彼には自分自身を納得させるような答えが見つからなかった。

 やがて、彼らを乗せたチューブはゆっくりとその走行を停止させた。音も無く扉が開く。チューブ自体に促される形で、彼らは外に出た。

 かつん、と靴の音が辺りに響いた。

 チューブの出入り口などというのは、何処の層であっても、もつと喧噪があるはずだ、と彼は思っていた。だが、ここには音の一つも無い。

 だが迎えが来るはずである。来なくては、呼んだ向こうが困るだろう。

 ふと気付くと、オリイは彼の考えには頓着していないのか、この静かな空間に、音一つさせずに歩き出していた。彼は慌ててそれを追いかける。肩に手をかけると、ふとしまった、という感覚が走る。しまった。髪を掴んでしまったか。

 指に髪が絡んでいる。オリイは立ち止まると、ゆっくりと振り向いた。


「何、してるの」

「い、いや… 迎えが来るなら、じっとしていた方がいいと思って」

「迎え? ああ、そうかも」


 するとするりと髪は解けた。オリイはそのまますたすたと最寄りのベンチへと歩いていく。やっぱり調子が狂う、と彼は思った。

 だがとりあえずはそれ以上できることもなかったので、彼もまたベンチへと足を踏み出した。

 ポケットに手を突っ込もうとする。と、手の甲が妙にひりひりとするのに彼は気付いた。ちら、と見ると、赤くなっている。何だろう、とGはその部分を指で触れてみる。熱い。熱を持っている。その部分だけ、みみずばれのような状態になっているのだ。

 やがて、音もなく無人の車が彼らの前に止まった。何処からどうコントロールされているのか、彼らがその前に立つと、扉がやはり音も無く開いた。

 彼は無言で、先に乗ってくれ、とオリイを促す。そしてやはり黙ったまま、相手はそれに応える。

 窓から見える景色は、瞬く間に変わっていった。チューブの終着点のターミナルの部分は、他の層同様、最先端の機器や、人工らしさが露骨に出ていたが、その部分から出るトンネルをくぐると、そこはいきなり開けた。

 他層に比べ、高い天井には、空の色が映し出され、雲すらも漂っている。彼らの通る道は、さほど広くもないアスファルトの敷き詰められたもので、その両脇には、鮮やかな緑の草が、ぼうぼうと生い茂っている。わざと手入れをさせていないかのように、彼には思えた。さらに向こうには、手入れをさせた芝生の一角も見える。

 だが、そこには人の姿は無かった。この静けさは、そこから来るのか、と彼は思う。

 やがて、車は一つの門の前で静かに止まった。

 扉が開く。静かだが、有無を言わせぬ命令を突きつけられた様な気分だった。彼は自分の後に降りたオリイを見る。車の中でもそうだったのだが、実にあちこちを、だがそのたびに真剣な目でじっと、風景を眺めている。

 門は大きかった。彼らの倍くらいの高さを持つ。そして実にデコラティヴだった。それ自体が一つの芸術品とも言えるような、細かな細工と、大胆な意匠を持つ建築物だった。

 これと似たものを、彼は何となく知っていた。あの避暑惑星だ、と思い出す。有閑階級が好んでこういった形のものを、表玄関に置いていた。

 さてどうしたものか、と彼はその門を眺めながら思う。やがて門は開くだろう。そしてその中には、果たしてエビータが居るというのか。


「オリイ?」


 名前を呼ぶと、六弦弾きは、ちら、と彼を見た。


「君はここで何をするのか、知っているのか?」

「いや」


 短く相手は答える。


「全部は、知らない」

「全部は。では少しは知っているのか?」


 黙ってうなづく。その表情は変わることがない。その変わらなさが、Gを何やら動揺させる。


「知っていることを、聞かせてくれないか?」

「…」


 オリイは軽く目を伏せた。そして小さくうなづく。

 いい、ということだろうか、と彼は相手の表情の微妙な変化を読もうとする。これ程表情が変わらない相手を、彼は今まで見たことが無かった。


「少し、なら。何を聞きたい?」

「…何をするのか」

「それは、君も、知ってるはず」

「表向きは。だけど本当はどうだと言うんだろう?」

「どう、と言うと」


 彼はやや手の甲がひりつくのを感じる。まるで虫に刺された時の様だ、と今更のように思った。


「戻って来ない、って噂じゃないか」

「ああ」


 当たり前のようにオリイはうなづいた。


「確かに、戻って来ない」

「それがどうしてか知っているか?」

「よくは、知らない。けど、そうかもしれないというのは」

「そうかもしれない…」


 予想はできる、ということか。すると、予期しない言葉が、六弦弾きのやや厚めの唇からこぼれた。


「入れ替わり。それを知らなくてはならない」

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