「全く世も末じゃて」
ちら、とディックは帽子を取りながらその声のほうを見た。
ホウキや羽根ばたきを差したメタルの筒の幾つか置かれた陰に椅子を置き、友人の雑貨屋店主は、いつもの様に、苦虫を噛み潰したような顔で、新聞を開いていた。
ディックは箱の中から林檎を一つ取り出すと、大きな黒い鉄のかたまりのレジスターのそばにコインを一つ置く。その音で、友人は顔を上げ、眼鏡の縁をつまんだ。
「何じゃお前。仕事はどうした仕事は」
「その仕事の途中なんだってば。これ、もらってるよ」
そう言いながら、しゃく、と彼は服でこすって磨いた林檎を大きくかじる。全く、と言いながら、店主はコインをレジスターの中に入れた。チン、と大きな音が、そこに一瞬響く。
「それにしてもホッブスさん、何か面白い記事でもあったのかい?」
「いんや。つまらん記事だけじゃ。何だお前、いい一人前の若者が朝読んで来なかったのか」
「あのねえおっさん。今朝は忙しかったんだよ、ちょっとしたトラブル…」
「ふん、またあのサァラちゃんと朝っぱらからケンカか」
「またって… こないだだけだろ。それもさ、あいつが何かいきなり突拍子もないこと言い出すからだよ。俺はリアリストなの。あいつのおとぎ話にはつきあってられないって」
「…まあいいけどな。まあ読め」
そう言って雑貨屋店主は、この息子… 下手をすると孫くらいの歳の友人に新聞を折って投げる。ほい、と彼は林檎を口にくわえたまま、慣れた手つきでそれを器用に受け止めた。
巻頭の記事に目をやる。へえ、と紙の上に指を当てると、3Dフォートが浮かび上がった。
カーキ色に赤のラインの軍服。つい数年前まで、あちこちでその姿が見られた。
「…ふーん。帝都の皇室の奴らの今回のここいらの巡回ルートか。そりゃあまああんたにゃそうだろうねえ」
「ふん。何が皇族、だ。わしは今だにそんなものよく知らん。そういうのは、歴史や功績のある家系が何か知らないうちに名乗るもんで、わざわざ戦争で覇権を握った種族の名称じゃなかろうて」
「そんなこと言ったってさ、言ったもん勝ちだぜ」
彼はざっと新聞を閉じる。
「そりゃまあ、そうだがな」
「単に天使種が嫌いなんでしょ」
「当然じゃ。あんな化け物じみた連中が支配権を握るなんぞ、それこそ世も末だ」
また口ぐせが出た、とディックは声を立てて笑った。
「それよりお前、何しに来たんじゃ。仕事の途中じゃないのか」
「ああそうそう。俺、ホッブスさんに聞きたいことがあったんだ。今、時間いい?」
「何じゃいあらたまって」
老境に差し掛かった店主は立ち上がり、手を後ろに回して、レジの奥から出てくる。
「うん実は」
ディックはジャケットの内ポケットから、一枚のカードを取り出した。ホッブスはそれをつまみ上げると、何度か表を見、裏を見た。
「レ・カか」
「そ。こないださ、しばらくぶりに料金を支払ったら、色々ポストに溜まっててさー…もう大変。整頓も何も、ぐちゃぐちゃ。俺に来たメイルと彼女に来たメイルがここんとこごっちゃになっていてさ」
「それでまた別の女の子からのメイルを見られたとでも言うんじゃなかろうな?」
「それはそれ。これはこれ。あいつにだって結構な数の、ヤローからのメイルもあったんだぜ。まあそれはどうでもいいのよ。で、まあ昨日一昨日かけて、二人して手分けして整理してたんだけどさ、一つだけどーしても俺もサァラも知らない奴があってさ」
「ふむ」
店主は、白く太い眉を寄せる。途端にその顔の皺が深くなる。
「無目的爆弾かな、とも思ったからさ、一応、彼女にソフト借りて、ガードなんかないかな、とか探ってみたんだけど、そういうものでもないらしいし… で、開いたんだけど」
ディックは口の端をぽりぽりと引っ掻く。
「ぜんっぜん、俺やっぱりさっぱり判らないのよ。だからあんたなら判るかなあ、と思ってさ。ホッブスさん」
店主は立ち上がると、店の隅から、金属のかたまりを掴み出すと、どん、とレジスターの横に置いた。そしてそこから小さなスクリーンを引き出すと、レ・カを差し込む。
ぷ、とスクリーンが明るくなる。数秒の砂嵐の後に、青い色が広がった。
そして次の瞬間、一人の青年の笑顔が映し出された。ひとことふたこと、その笑顔の青年はスクリーンの向こう側の店主に向かって話しかける。
「なるほどお前には心当たりがない訳じゃな、ディック」
「ふふん、やっぱりそういう意味かい?」
「ああそうじゃ。これはディックの幼なじみだからな。シェドリス・E。ほんの子供の時に出て行ったから仕方なかろう…」
やっぱりそうかい、とディックは歯をむきだしにして笑った。
レ・カに刻まれたメイル画像は、流暢にホッブス氏に語りかける。
『久しぶりだね。僕のことなど忘れてしまっているかもしれないけど。ただ、今度僕はそちらに仕事の関係で行くことになったんだ。それで少しでも、昔の友達に、声をかけているところなんだ…』
人懐そうにスクリーンの中の青年は、笑顔を浮かべている。黒いやや長めの髪に、淡い青の目。
「どういう奴だったんだい? ホッブスさん」
「いやあ、可愛い子だったよ」
「あんたがそういうんだ。そりゃあかなりだね」
ディックはそう言いながら、身を乗り出してスクリーンをのぞき込む。
「確かに美形だけどさ。このおにーさん」
「…じゃろ。当時も可愛かった。そのまま綺麗に育ったようだな…だが」
「だが? 何なのよ」
「確かシェドリス坊は、D伯爵の館に引き取られたはずじゃ。何で今頃、ここに『仕事』で来るんじゃろうな…」
「そらまあ、D伯の身内だったら、この領地のルナパァクの悲惨さに目を背けられなかったんじゃないの?それともそういう意味ではない『引き取られた』?」
「さぁて」
ホッブス氏は肩をすくめた。そしてレ・カをすっとリーダーから引き抜く。スクリーンの青年もそれと共に消えた。
「何もう終わり?」
「正体は判った。それでいいだろう?」
「ま、それはそうなんだけどさ」
レ・カを受け取ると、彼は再びポケットの中に戻した。気になるのはおっさん、あんたの態度だと思うけどね。彼は内心つぶやく。
「…今日は客が遠方はるばる来るからな。お前の相手ばかりしている訳にはいかないわい」
「へ? 客?」
それは珍しい、と彼は思う。そしてそれじゃあまたね、と手を上げると、彼は店を出た。
ふとふらり、と店の前で彼は空を見上げる。青い空、雲の向こうに、うっすらと「向こう側」が見えている。円筒形コロニーの典型的な「空」だ。
もう少し視線を下げると、そこにはその空に突き刺すように、高いビル、低いビルともっと低い建物がごちゃごちゃとひしめきあっている。ホッブス氏の店は、「低い建物」の一つだ。標準アルファベットと、中華文字が無造作に交差している看板。赤い中華文字で「雑貨屋」、黒いアルファベットでDrugstoreと書いてある。
湿った風が、時々吹きすぎる。天候は、作られた当時とはやや異なってしまったこの街の形に影響する。この都市は、そうう意味では、明らかに狂ってしまったタイプだ。
元々は、リゾート地だったらしい。何せこのルナパァクという地名自体、遊園地の名前だったのだから。
コロニーの中心を貫く、金属の交差で出来た塔は、「向こう」と「こちら」を結ぶ。昇るエレヴェイタは、真ん中で入れ替え、降りていくこととなる。「貫天楼」と呼ばれたその中心は、製作当時、観光スポットという点においても中心的存在だった。
そこから四方八方にもエレヴェイタが通り、「向こう」と「こちら」のプレイ・パァクをつないでいた。そこらかしこで明るい音楽が鳴り響き、電飾は輝いていた。高級ではなかったが、誰もが気楽に楽しめる、プレィ・パァク。
だがそれは、過去の姿だった。
今のこの都市は、遊園地ではない。遊園地は、戦争の時代に、その姿を変えてしまった。
かつてのモンスター・ランドは、故郷を追われた稀少種族が隠れ住む場所となり、明るく楽しい音楽が鳴り響いた路上には、楽器一つを抱えて声を張り上げる青年が立ち並ぶ。
毎日専門の清掃人がやってきて、執拗な程に街路樹の落ちる葉を集めていた道は、無計画に立てられたビルの間を吹き抜ける風に、塵を舞い上げる。
彼が愛する、この雑踏。
彼はディックだが、ディックではない。この街にやってきた時に、ディックという名前と場所を手に入れた。元の名前もディックと言った。だからそれは違和感がなかった。
この街の人間の大半が、そんな人間だった。
上着のポケットに手を入れ、彼は煙草を取り出す。細身のそれに火を点けようとした時だった。
「すいませーん。火貸してくれませんか?」
明るい声が、彼の耳に飛び込んできた。明るい。実に明るい。それは馬鹿がつくほうの明るさではなく、耳の中に、いきなり光が差し込んだような、明るさだった。驚いて、彼はその声の主を見る。
声と姿が合っている人間というのは、意外に少ないものだが、彼はその時、おや、と思った。明るい栗色の髪。やや骨格がきつめの印象を受けるが、気になる程ではない。
そして何よりも、その髪と同じ色の大きな瞳が。
「や、ありがとう。さっきそこの店から出てきたけど、煙草、売ってるの?」
「あ、俺はそこのおっさんの知り合い。何、あんた客?」
不思議な程にすらすら、と言葉が出てくるのを彼は感じる。
「客だよ」
そう言って、鷹は笑った。
*
じろり、と新聞とのにらみ合いを再開していた店主は、扉から颯爽と入ってきた客をもそのままの視線でにらみつけた。
濃い色の細身のジャケットをすっきりと身に付けた客は、それを見て、すかさずにっこりと返す。
「久しぶりホッブス君。良かったちゃんと生きていてくれたんですねえ」
「ふん。貴様になんぞ、会いたくはなかったわい」
店主は声を張り上げる。くっくっく、と鷹はレジに近づきながら口に手の甲を当てて笑う。
「相変わらず。まーあ、そういう口がきけるうちは大丈夫ですね。俺は嬉しいですよ」
「…いい加減に用を言え、鷹」
店主は低い声で返す。昨日いきなり訪問を告げる通信が入った時には、心臓が止まるかと思ったのだ。もう身体も老い、無駄に肉がつき、心臓にも良くない。そんな時に、こんな悪い通信が入ってくるなんて。
だがこの歳をとらない昔の知り合いは、昔と同じ顔で、余裕いっぱいで話し続ける。
「まあ話というのは実に長くなるんで通信じゃあまずいと思ってたんですよね」
「通信で良かった!わしゃお前に長居されるのは好かんのじゃ!さっさと用件を言え!」
「そう言わずに。かつての戦友でしょ」
「わしゃ天使種は好かん! 好かんと十年前に言っただろう! 忘れたのか!」
「覚えてますよ、そんなこと。できれば君の健康のためにも会わないでいようかな、と思ったんですけどね。だけどホッブス君、君には俺に一つ借りが無かったですかね?」
ずい、と鷹は不敵な笑みのまま、店主に近づく。途端に店主の表情が曇る。
「…何のことだ」
「あいにく俺はまだ生きてるってことですよ」
店主は新聞をあらためて畳んだ。がた、と音をさせて椅子の向きを変える。
「…貴様、あれはどうしてる。殺したのか?」
「そんなこと」
鷹は目を大きく見開く。
「俺がそんな、情け容赦ないことする訳ないでしょ。君には気の毒ですけど、今もうちに居るんだよね。可愛いものじゃないの」
「まだ? まだ居るっていうのか!」
「ついでにいいことを教えようか? 今あれも、この街に居るんだよ?」
何、と店主は立ち上がった。それは彼にとって予想されたことだったので、鷹は余裕の笑みを浮かべたままである。
「それで、君に聞きたいことがあったんだ」
「…貴様なあ…」
「答えてくれるよね? ホッブス君」
鷹が十年と少し前、オリイを手渡されたのは、昔馴染みのこの男からだった。彼が粛正の対象に入れられてから、点々と居場所を変えていた頃だった。
元遊園地コロニーのルナパァクは当時、他のコロニー同様、戦争の後始末の混乱状態だった。
特にこのコロニーはひどかった。何せ元々が遊園地として作られた訳なので、決してそこは生活空間用にできている訳ではない。だが、ちょうどその頃、この場所には、生活をするために人々がどっと入り込んできたのだ。
戸籍やら何やら、そこに居る人間が、そこにずっと住んでいた人間なのかを証明するためのデータが、その時期、曖昧になっていた。
ウェストウェスト星系は、母星のデータは母星にあったが、コロニーのデータはそれ専門のコロニーに蓄積されていた。何かあった時に、そこだけ切り離して母星に降りればいい、という考えからそこに集中されていたらしいが、それが裏目に出た。
だがそんな混乱状態は、彼のように追われる身となっている者にはちょうど良かった。上手く操作すれば、十年間は有効な戸籍をも手に入れられる。
また、それを目算に入れた商売も出てきていた。散逸した情報の売買を副業にする者が非常に多かったのもその時期である。
そして、そんな時期に彼は、30年程前に戦場で一緒に戦っていた知り合いのもとを訪ねていた。ただし、その戦友は、その時まで、彼が天使種であることは知らなかった。
その時の驚愕の顔ときたら。
鷹は口の両端をきゅっと上げる。そういう反応を見るたびに、彼はおかしくてたまらない。
天使種に対する、変化の無い種族の反応など、そんなものだ、と思いつつ、ついおかしくてたまらなくなるのだ。
「あの時、戦争で親を無くした子供なんだ、と言って君は俺に、オリイを渡したね。まあ間違いではないだろうが。そのあたりの事情を詳しく聞かせてもらいたいと思ってね」
「…詳しくは、知らん」
「じゃあ詳しくなくてもいいよ。それに君がそこまで驚かなくてはならないくらい、あれは、俺をどうかさせる生き物なのかい?」
店主は強く眉を寄せる。
ホッブスはレジの場所を抜け、入り口へと向かった。そして外に「本日休業」の看板をぶら下げる。
「悪いねえ。わざわざ休みにさせてしまって」
「…誰のせいだと思ってる…」
「大元は、君だよ」
そう言われてしまったら、店主も返す言葉が無かった。確かに、自業自得なのだ。この男が、生きている筈が無い、と思っていたのだ。あの化け物に、取り殺されてしまった、と思っていたのだ。
鷹は勝手にそのあたりにあった椅子に座り込み、腕組みをしながら、目の前の昔の戦友の十年少し前の姿を考えていた。
全くもって、普通の人間というのは、どうしてこうしてこうも変わるものか…
もっとも、自分の被保護者兼同居人兼相棒も、ちゃんと時間を積んでいるのだ。出会った時には、まだ彼の腰のあたりくらいしかなかった気がするのに、今では腕を伸ばして、少し背伸びをすれば、キスだってできるのだ。
でも。
彼は思う。もう数年もすれば、同居人は、自分の歳を追い越していくのだろう。そうしたら、自分は。
「まあ中へ来い」
店主は立ち上がり、奥へ続く扉を開けた。
「おや、いいの?」
「店で貴様のような奴と話す内容を大声でして、聞かれたらどうする」
別に好きで物騒な人間で居る訳…
かもしれないな、と彼は苦笑した。