通されたのは、奥のまた奥の部屋だった。そういえば十年少し前に、オリイを渡されたのもここだったな、と何気なく見た壁の黄ばんだ染みに記憶を掘り起こす。
部屋の真ん中に置かれたテーブルにつくと、ホッブスは棚から酒瓶を取り出した。
「身体に良くないよ」
「うるさい。貴様もそういうなら呑め」
はいはい、と彼は言われるままに置かれたコップの一つを手に取った。
「…で、何を聞きたい。貴様は」
「全部。あれを何で君が手にしていたのか。それに邪魔だったら何で君自身の手で殺さなかったのか。そもそもあれは、何なんだ?」
確か、と鷹は当時の状況を思い出す。
「俺はあの時、偽造IDの代価を聞いたはずだ。結構な値はするだろうと思っていた。だけどそれほどの代価を支払える状況ではないことを君は知っていた」
「ああ。貴様は追われていたからな。当時は、戦争中だったら有効だった、星間平等銀行が、とうとう当局によって押さえられた」
全くあの時は、と彼は思う。
星間平等銀行。通称SPBと呼ばれるそれは、現帝都からはやや離れた星域にあった。
何処の出身の、何をしている人間であっても、金に変わりはない、という理念のもと、規定の手数料さえ支払えば、絶対とも言える依頼人の身元に関するセキュリティを約束した。彼のような傭兵稼業をして全星域を渡り歩いているような人間にとっては、無くてはならない所だった。
追われるようになってからは、特にそうだった。だから、それが存在するうちは、彼は何とか生きていくことに対しては楽観視していた。だが、それ自体を帝都の政府に握られてしまったら話は別だ。彼は本当にその日暮らしにならざるを得なかった。
無論それはそれで、不可能ではないことは知っていた。
彼の天使種の体質は、急な病気とかケガとかは無縁だったからだ。とにかく身体一つあれば、生き抜いていけることは知っていた。ただ、当座の資金が無いと、動きがとりにくくなる。ある程度のまとまった金というものは、行動の自由を約束するのだ。
「そ。だからまあ何を代価としての仕事として押しつけられても仕方ないと思ったさ。大体君は、俺がどの程度の兵士であるかをよく知ってる」
「ああ、よく知ってるさ」
ホッブスは、ぐっとコップの中の液体を空ける。
「貴様は、恐ろしく優秀な傭兵だった」
「そりゃあまあ、当然でしょ」
「反則だ、と思ったね」
「ふうん?」
「何せ貴様ときたら、我々の絶対的に恐怖する部分から、解放されている。貴様は、それこそ首を叩き落とすか、爆薬を全身にふっかけて木っ端みじんにでもしない限り、死とは無縁だ」
「まあね」
さらり、と鷹は答える。そんなこと。
軍を脱走し、傭兵稼業をし、天使種ということがばれる都度、誰からも言われたことだろう。
別に自分がそんな種族であるのは、自分のせいではないというのに。それがどうした、と言いたい気分はいつもあった。だが、言っても詮無いことにわざわざ気分をすり減らすのは、彼の趣味ではなかった。
逆に言えば、首を叩き落とされたり、全身拘束されて、爆薬を仕掛けられれば、死ぬことだってあるのだ。方法の違いだけなのだ。彼にしても、それだけは警戒し、そうならないように立ち回っているから、生き残っているのだ。そのためなら、何でもした。それだけのことだ。
「それで? 繰り言はいいよ。オリイを君は何処からどう手に入れた?身よりの無い子供には違いなかったろうが」
「モンスター・パァクがあるじゃろ」
ああ、と鷹はうなづく。
「あれの母親は戦争中、ふらっとこの街にやってきて、そこへ住み着いた」
「モンスター・パァク」
見せ物小屋か、と彼は思い出す。
「そこで、『蛇女』の役をずいぶんと長いことやっていた」
「蛇女?」
彼は眉を大きく寄せた。
「早く言えば、メデウサって知ってるか?」
「…ゴーゴン? 髪が蛇ってアレ…」
「貴様のところではそう言うか。とにかくそれだ。ああいったものをやるんだが、だいたいアレには仕掛けがある」
「と言うと?」
「予想はつかないか? 髪を蛇のように動かすんだ。まあだいたいは、髪自体が作り物であることが多いな。もしくは、それなりに見られる長い髪の女を舞台において、3D合成する」
「…ああ… だけどそれだと機材が要るな、結構な」
「まあ当初は、だからそうだった訳じゃな」
ホッブスはそう言うと、今度は棚からナッツの袋を取り出した。
ああ相変わらずだな、と鷹は思う。ホッブスは太い、染みだらけの指で、一度開けて、止めてあった袋を開けた。そして一粒づつ、かりかりと噛む。そして塩だらけになった指を、時々煩そうに嘗める。昔通りだ。こういうところは人間は変わらないのだな、と彼は奇妙に感心する。
「ルナパァクが、ちゃんと遊園地であった頃はそれで良かった。わしもこの場で、遊園地目当ての連中相手に商売をしていれば良かった。さすがにもう戦場に出るには疲れすぎていたからな」
「そうだね」
「貴様と組んだせいで、十年は寿命が縮まったわ。どうしてくれる」
「俺のせいじゃあないさ。君は君で、俺と組めば生き残れると考えた。まあ間違ってないさ。あの状況下で、君が生き残れたのは、誰のおかげだ?」
ホッブスはぞく、と背筋が寒くなるのを感じた。この男は、見かけは変わらないが、どうやら中身は時間の重みがきちんと積もっているらしい。外見に惑わされてはいけないのだ。
「で?」
鷹は続きをうながす。ホッブスは、背中に油汗が流れるのを感じた。酒のせいだ、と思いたかった。だがそれは期待に過ぎないことを彼自身知っていた。
「3D合成の機器も、徴収されて、末期あたりは、もう機材と呼べるものは何も無かった。そんな時に、あの女が迷い込んできた」
「迷い込んで」
「本当に、迷い込んできた、とか言い様が無い。密航してきたらしいな。荷物も何も持っていなかった様だ。それこそ身一つで」
「そんなことがよくできたな。あの時期だろう?」
「そう。あの時期だ」
そう言ってホッブスはコップを置いた。
「こんな若い、綺麗… そう、綺麗な女だった。黒い、長い髪を頭にぐるぐると結っていたな。白いぴったりとした、袖の無い、膝丈くらいのワンピィスだった。今でも覚えている。そう、あんな軽装で、プレィ・パァク行きの荷物を運ぶ船から出てきて、連れ出された時、誰もがびっくりしたものさ。だがその綺麗さと、若さと、女であるということから、その女は見逃された。幸いにして、船に事故はなかったからな。こういう戦争状態で、そんな若い女が一人でこっそり忍び込んでいる、なんてけなげじゃないか、と街は女を迎え入れた訳だ。まあ、多少は別の目論みもあったらしいがな。綺麗な女だし」
「泣かせる話じゃないの」
「まあな。だから、その時、その船では、航行中、一人船員が奇妙な死に方をしていたことは、無視された」
「奇妙な死に方」
「何って言うかな。枯れてた、らしい」
「枯れて?」
鷹は問い返した。
「ドライフラワーは、貴様らの文化範囲にあったか?」
「話くらい聞いたことがあるが、見たことはないね。だいたい何だってわざわざ生きてる花を枯らすのかね。花なんて貴重だったんだ。俺の母星では」
「そんなことはどうでもいい。とにかく、形を残して、からからに干上がらせてしまう。人間の、干物だ」
ひゅう、と彼は口笛を軽く吹く。
「それはそれは」
「…まあ操作を間違えて、乾燥庫がどうとか、色々考えられたさ、だけど戦争中だ。身よりのない一船員の変死は、すぐに忘れられた。そしてそのうち、女は、この街のプレィ・パァクに勤めだした」
「モンスター・パァクに?」
「いや、当初は、ごく普通の接客商売だった。時には、それ以上のことを仕掛けてくる男もあったが、無口な女でな、綺麗は綺麗だったが、それ以上の手を出そうという気にはならなかったらしい」
無口ね、と鷹は内心思う。遺伝という訳ではあるまい。
「喋ることは喋るんだろう?」
「一応な。だが片言だった。文化領域が違うのか、とも思ったので、皆そっとしておいたらしい。そんなうちに、女はモンスター・パァクの支配人に目をつけられた」
「それは、どっちの意味で? 役者? それとも」
「当初は、女としてだな。女は無口だったが、確かに綺麗は綺麗だったから、綺麗なもの好きなあの男の目についたんだろう。まあ根の悪い男ではなかったさ。だから女もなびいたらしい。だが男の驚いたことには、女は、自分には奇妙な特技がある、と言ったことだ」
「特技」
「軽い念動力が自分にはある、別に機材を使わなくとも、メデウサの役はできる、と言い出したらしい」
「どういうつもりで言ったのだろう?」
「さあね。生きてくうちでの特技はどんなものでも見せたほうがいいと思ったんじゃないかね」
そういうものだろうか、と鷹は疑問に思う。
そういう類のものは、紛れ済むには決して外に出さない方がいい類のものだ。手の内を見せることは、リスクも伴う。
「男は女がやってみせるそれを見て、目を見張ったらしい。モンスター・パァクのモンスター役者達は、その時期、確かに少なかった。少ない役者をフル回転させている状態だったからな。自分の女であれ何であれ、使えるものは使いたいところだったろう。ただ、そこで女は条件をつけた」
「条件」
「男の好意も仕事も両方引き受ける。そのかわり、自分にそのちゃんとした形をくれ、と言ったらしい」
「つまり?」
「正式に結婚しろ、ということだ」
「はあ。それは難儀な」
「だがまあ、男は貴様のように根が悪い人間ではなかったから、女の言うとおり、ちゃんと籍に入れてやり、披露もし、それこそ本当にれっきとした『妻』として扱ったさ。女はそれまではただの『通過者』だったが、そこで定住する権利を得た。そしてモンスター・パァクの『蛇女』も、それにふさわしく、綺麗な舞台を設定して、自分の妻をただの化け物のようには見せないようにした。そしてそれは当たった」
「いい事じゃない」
「そこまではな」
ホッブスはそう言って、コップの中を再び満たした。
「やがて二人の間には子供も生まれた。子供は女によく似た男の子だった。言葉を喋らなかったのが、父親となったその男には痛々しく思えたのか、だから子供が4つ5つになるくらいまで、ずいぶんと可愛がっていたのを、わしもよく知っている。抱き上げて頬ずりしたり、キスしたりとかよくしているのを見かけたものだ」
「…」
「ところが、子供が5つの時だ。その男が、急な事故で死んだ」
「事故」
「これは本当に事故だ。ただの、事故だ。舞台の袖で、女がショウを演っている時のことだ。…舞台の上から、横梁がどう緩んでいたのか、落ちてきた」
「落ちて」
「それは、本当に、ただの事故のはずだった。だが、それを女が、その瞬間を見てしまった。それがいけなかった。女は、その時、『本物のように見える偽物』の演技をしていた訳だ。ところが、女は『本物』だったから、自分の旦那の危機を見た瞬間、掛け金が飛んでしまった」
「掛け金が… って、念動力の」
「…と皆、団員は思っていた訳だ。団員にはそう言っていたからな。男もそう思っていた。だが違った。女は本当に、『蛇女』だった訳だ」
鷹はとん、と指先でテーブルを一つ叩く。
「女は、髪の毛を念動力で動かしている、のではなく、髪の毛が動く体質だったのさ」
「は?」
「伸びたんだ。その瞬間」
ふと、鷹の目の裏に、同居人の姿が浮かんだ。いつまで経っても、伸びない髪。
「女は、とっさのことに、その落ちてくる横梁をその髪の毛を巻き付けて受け止めようとした」
「そんなこと… できるのか?」
頭にそんな光景を描く。舞台の上のゴーゴン。その蛇の鬘の中から、黒い髪の毛が、生きているかのように突き抜けて。
「できたはずなんだ、と思う。わしもその場に居た訳じゃないから何とも言えんが、見た奴の話じゃ、確かに一瞬、髪の毛に巻き取られた梁は、動きを止めそうになったらしい。だが」
「駄目だった」
ホッブスはうなづく。
「女は悲鳴を上げて男の元に走り、その梁を、持ち上げまではしないが、男の身体から外したらしい。その髪で。既にその時には、全部がとんでもない長さに伸びていたらしい。女が念動力を持っていると思っていた団員達すら、その光景には寒気がしたらしい」
「だろうな」
「女の髪の毛は、四方八方に広がり、そして次の瞬間、男の身体を抱きしめたんだが、その時髪が男にかぶさり、蜘蛛の糸のように巻き付いてくるんでしまったらしい。さすがに誰も近寄れなかったのだが、やがて女の様子がおかしくなった」
「…おかしく? 狂ったのか?」
「いやそうじゃない」
ホッブスは首を横に振った。
「女は、身動き一つしなくなっていた。幕を下ろした舞台に、団員が駆け寄ると、女は、息絶えていたんだという」
「死んだのか」
「死んだ。完全に、死んでいた。男に覆い被さるようにして、抱きしめたまま、眠るように死んでいたらしい」
「何でまた。ショックか?旦那が死んだことの」
「だとわしも思ったさ。当初はな。だがそれでは済まなかった。団員の一人が、変にあちこちを巡って流れ着いた奴で、そいつが、その女の死に方を見て、言った訳だ。『こいつはシャンブロウだ』」
「…シャンブロウ、だって?」
鷹はその時初めて、声を荒げた。
「ちょっと待て、シャンブロウ種は絶滅種の一つじゃなかったのか?」
「わしもそう思う。だが、絶滅は、完全に確認された訳じゃない。広報がそう発表したところで、それこそ、あの女のように、無口な髪の長い美女というだけで、ずっとひっそり暮らしていたりするかもしれん」
鷹は下唇を軽く噛む。
シャンブロウ種。その何処の言葉とも知れないような名前を持つ種族は、現在帝都の公式発表では絶滅とされている。
天使種は、戦争中、ある特徴を持つ稀少種族をことごとく戦争という状況の元、絶滅に追いやっていた。それはその一つだった。
「…そもそも、我々はあの種族について、大したことは知っとらん。長い髪を自由に動かし、その髪で、人間の生気を奪って生きていく人間のある種の変化種。その程度にしか知らない訳だ」
「ちょっと待て、じゃ最初に女がやってきた時の変死体は」
ホッブスは首を横に振った。
「そうかもしれんし、そうではないかもしれん。ただ、その時に、そのことが街の人間の間で思い起こされたのは本当だ。…悪い噂というのはあっという間に広がる。『あの女はシャンブロウ種だった』『あの女はここに来る時に船員の生気を食って生きてきた』あげくの果てが、『あの女は亭主を殺した』」
「そうなのか?」
「わからんさ」
ホッブスは再び首を横に振った。
「とにかく亭主が死んだのは事実だし、その時女も死んでしまったから、何がどうしてああなったかなんて、誰も知りようがない。男が女をシャンブロウ種だと知っていたかどうかすらわからん。それを知っていた上で女房にしたのか、全く知らなかったのか、さっぱりだ。ただ、その疑問が一通り過ぎ去った時、次の問題が発生した」
「次の問題」
「子供だ。あの男の子供、ということは全く問題にならなかった。とにかくあの女の産んだ子供だ、ということだけが問題になった。何と言っても、あの子供は、あの女にそっくりだった。それが連中の神経に障った」
「女がシャンブロウなら、子供もそうではないかと」
「そうだ」
鷹は目を軽く細める。
シャンブロウ種が絶滅したことに関しては、その種族に対する知識が少ないにも関わらず、批判の声が他の稀少種族に比べ、さほど上がっていないことを彼は知っていた。
「つまり、女同様、子供も化け物ではないか、と。モンスター・パァクの連中がそう言い出した訳だね」
念を押すように鷹は言った。その口調にホッブスは軽い寒気を覚える。
「仕方なかろうて… 何せシャンブロウと言えば、人間の生気を食って生きている、というのが通説だ。それは貴様も知っているだろう」
「ああ一応ね。だけど本当にそうなのか、俺は知らないし、本当にそうだったところで、それが絶滅の理由になるとは思えないね」
吐き捨てるように彼は言った。
「俺達は生きるために他の生物を食ってる。生きるためでなくても、戦争が起これば同じ種族でも、食いもしないのに、ただ無意味に殺す。生きるために殺すのと、どっちがましなのやら」
まあいいさ、と鷹はそう言って言葉を切った。
「で、そのいたいけな化け物の子供に対して、この街の人間はどうした訳?よってたかって、両親を無くしたばかりの子供を、ついでに抹殺しようとした訳?」
「しようとはした」
「ふうん」
「…だが逃げられた。…しかも逃げ込んだのは、うちだった」
「ほぉ」
とととん、と鷹はテーブルの上に指を走らせる。
「さすがにわしゃ困った。どうしたらいいか困った。殺すのは嫌だった」
「優秀な傭兵だった君がねえ」
「昔のことだ! それにわしも一応知っていた。よく買い物に来ていた。それが、いきなり化け物だからと言って、よってたかって殺そうとする連中に渡せるか?」
「それで、俺がちょうどやってきたから、ちょうどいいって渡したと」
「そうだ」
「体のいい厄介払いだね、ホッブス君。君は俺がその化け物に生気を吸い取られて殺されるとは考えなかった訳?」
「考えた。考えたさ。だが」
「まあ賢明な選択さ。おかげで俺は君に貸しができたしね」
ふふん、と彼は口元を上げた。
「そして俺はあいにくぴんぴんしているよ。あれは元気だよ。綺麗になった。一度連れてこようか?きっと嬉しがるさ。自分を助けてくれた優しいおじさんってね」
「よしとくれ!」
ぶるぶる、とホッブスは全身を震わせた。
「ま、そんなことはしないさ。俺も大事な相棒をそんな街に行かせたくはないからね。連れてはこないよ。そのかわりもう一つ聞きたいことがあるんだがね」
「…な、何だ」
「これだよ」
その手の中には、先刻ディックがレ・カで見せた顔があった。