それでは次のニュース、と画面が告げたので、ふっとディックは斜め前に顔を上げた。
「今回の御訪問の旅程が公式に決定しました」
やっとか、と彼は立ち上がり、オフィスの窓際に置かれた受像器の音声を少し大きくする。何だ何だ、と周囲のスタッフ達も仕事の手を休め、画面に見入った。
「…皇兄ユタ氏の当ウェストウェスト星域における御訪問の順は、ウェストA区から始まり…」
次々にこの星域の母星の大陸の地名が読み上げられていく。無論テロップもその脇に流れている。
ここルナパァクのあるコロニーの地区は、ウェストアウトJ区と呼ばれている。ただし今では名前だけ残り、コロニー本体は無い地区も多い。J区は残った方だった。だがルナパァクはそのJ区の中心ではない。あくまで中心はプラムフィールドだった。
プラムフィールドはチューブのターミナル・コロニーであると同時に、J区だけでなく、ウェストアウトの殆どの中心でもある。ルナパァクはその中心都市につけられたおまけの様な存在だったのだ。別段無くても良いが、あると楽しい、甘い菓子のような。
そして甘い菓子だったからこそ、攻撃からまぬがれたのだ。
現在のこの街は、甘い菓子どころではない。
「…最終地として、ウェストアウトJ区、プラムフィールドにて式典を開催致します。その際の出席者は次のようになります」
名前がずらずら、と並ぶ。ずいぶんと盛大なものだ、とディックは思う。
「オリイ君、ちょっと今やってるニュースが終わったら、同じニュースにつないで保管しといて」
やはり端末に向かう作業の手を休めていたオリイに、ディックは声をかける。オリイはうなづく。
「何、夕方にはペーパーが出るじゃない。そのほうが一気に読めるわよ」
「と俺も思うんだけど、ついついね」
ふうん、と言いながらドーソン女史も腕組みをしながら画面に視線を飛ばす。
「あら、サーティン氏も、来るのね」
「え?」
「ほら、出席者一覧。サーティン・LB氏じゃない」
ゆっくりと流れる文字は、確かにLB社の会長の名を示していた。
「何、わざわざ来る訳? 本星から」
「でもまあ、あのひとチューブの総裁であるからその可能性はあった訳よね。プラムフィールドだったら、まあそれなりに重みはある訳だし」
「人口とかは大したことじゃないけどね」
「そういう問題じゃないんでしょ。実際プラムフィールドは、確かに人口は多くないし、住民のための都市って訳じゃあないわよ。どっちかというと、旅行者とか、近くの居住専門コロニーに住む人々が休みに行く様な所になってるわね」
「うん。実際サーティン・LBはチューブを通した時、そういう客の足と金を向けさせようとして、プラムフィールドを整備したはずなんだ。繁華街にしても、各種の専門店街にしても」
「あら、調査の成果がだんだん出てきたみたいね」
「うるさいね」
ディックは肩をすくめた。ちら、と見ると、オリイは言われた通りに、ニュースを配信しているネットにつないでいた。これで後のニュースを多少見落としても大丈夫だろう、という安堵感が広がる。
「それで? もう少しちゃんと詳しく、調査の結果を聞きたいものだわ」
「それは、下世話な興味? 知的関心?」
「どっちも。どっちも大切だわよ。記者にとってはね」
女史はくすくす、と笑う。
「へいへい。では何処から話しましょうかね、お姉さま」
「まずはサーティン氏がウェストウェストに来たくんだりから聞きたいわ。確か彼、出身はこっちではなく、むしろ現帝都に近いほうではない?」
「そう。現帝都に近い星域出身。とは言え、まだ彼がこっちにやってきた時点では、そこに住んでいるからというのは大した問題じゃないんだ。確かにもう戦争も末期だったしね。そろそろそこに住むことに特権がつく時代に変わりつつあったけど、彼が離れた時点ではまだそうではない訳よ」
「確か、銀行か何に勤めていたんだっけ」
「その銀行。…まあ最初はコネだね」
ディックは片方の眉をぴっと上げる。
「え? そうなの?」
「うん。彼は現帝立大学… まだ彼の時は、前身のウェネイク総合大学だったんだけど、彼はまあ… 一応経済を学んでいたんだけど、どっちかというと、興味関心は、経済よりは、歴史や文学にあったほうだったらしい」
「歴史や文学ぅ?」
女史は眉を寄せた。
「元々、ウェネイク総合大に入ったのも、彼自身の意志というよりは、家族の勧めが強かったらしい」
「勧めねえ。勧めでそんなとこ行けちゃうんだ」
「だから頭はいいってことだよ。で、卒論はと言えば、『辺境星域における経済と文化の進度の差異におけるユレケン戦の影響』」
「…何よそれ」
「つまり、…俺も中身読んだ訳じゃないから、資料によるけどさ、惑星ユレケンの惨事ってあったよね。あれが辺境星域にどういう経済的・文化的影響を与えたか、というのを、実に独自の視点で書いてあった、らしいんだ」
「…訳判らないわね」
はぁぁ、と彼女はため息をつく。
「私はそういうややこしいタイトルつけるのは嫌ね。も少しすぱっと行くわ」
「ふうん?例えば?」
「『ユレケンは遠く波打つ』」
「却下」
ディックは手をひらひらと動かし、まだ何か言いたそうな彼女をあえて無視する。
「…で、まあそのユニークな論文書いて卒業したサーティン氏だけど、さすがになかなか職が見つからない。この場合の職っていうのは、彼の家とか一族にもふさわしい、っていう意味だよ」
「ってことは、何か彼がいいな、と思った職でも、一族が嫌って言えば駄目ってこと?」
「何かそういう地方だったらしいね。でまあ、そういう土地が息苦しくなったのか、サーティン氏は、とにかくこの地から出られるならいいや、という具合で、知人に頼み込んで、このウェストウェスト星域に新しくできた、イルミナイト銀行の支店に入った訳だ。まあ彼の知人…先輩とかだったら、彼がどういう所なら就職しても構わないのか、よく知っているからね。一方のサーティン氏は、なりふり構ってられなかったと」
ぱら、とディックは資料ファイルの一つを開く。時にはこういうアナログな集積法の方が、資料が出しやすい部分もある。彼が広げたファイルの中には、ウェストウェストに最寄りの星域のニュースのプリントアウトが入っていた。
「仕事はまあまあ。まああまり銀行における金稼ぎに積極的ではなかったけど、こんな風に、近くの星域の新聞社に文章の投稿や、時にはちょっとしたコラムの連載なんかも持ったりして、結構気楽にやっていたみたいだ」
「…それってすごく優雅ってことじゃない?」
「実家が大きいところだったって言うからね…」
まぁったく、と女史は両眉を上げる。
「ところが彼にも転機が訪れた」
「転機?」
「でもまあ、それでも結構その銀行には居たらしいね。7~8年ってとこかな。だからまだ三十代に行くかどうかって程度なんだけど…その時に、また最初の仕事を紹介してくれた先輩が、今度は別の会社に誘った」
「それがMA電気軌道?」
「そ。つまりは、LB社の前身。彼は当初、そこの雇われ社長だったんだ」
へえ、と彼女はうなづいた。
「社長になったいきさつまでは知らなかったわ」
「うん。まあ結構彼に関しては、その後の業績のほうが華々しいから、あまりそのあたりまでは気にする人は少ないしね」
「でもそんな、銀行の方はわりとぱっとしなかったのに、その先輩も思い切ったことしたわね」
「というか、銀行って体質に合わない、って思ったんじゃない?」
「組織に?」
「うん」
うなづくと、ディックは部屋の隅にあるキッチンに歩き出した。あ、私にもお茶ちょうだい、と女史は声を飛ばす。すると私もあたしも、と女性達が次々に声を上げる。そして俺にもな、と編集長までが言うので、彼はははは、と乾いた笑いを立てながら、ケトルに水をある程度入れてコンロにかけた。
「オリイ君は何がいい?」
ディックは何げなく訊ねた。すると端末に向かっていたオリイははっとして立ち上がる。あ、そうか、とディックは近づくオリイが何かを探していることに気付く。棚の一つの扉を開くと、ディックはストックしている茶やドリンク類のもとを指し示す。
「ごめんごめん。ここにレパートリーがあるんだけど」
ぶんぶん、と二度首を縦に振ると、オリイは棚の中に手を入れて、オレンジ茶を取り出した。ほいほい、とディックはそれを受け取る。
数分して、オフィス内で数種類のドリンクや茶を配るディックの姿があった。
「ほいオレンジ茶。君もちょっと休みなよ」
「そうそう。根詰めると綺麗な顔が台無しよ」
そして女史はオリイを自分の隣の空いた席にと呼び寄せる。
「で、続き続き。どうなの?」
「ちょっと待ってよ、俺にもコーヒー呑ませてってば…はいはい続きね。何処まで話したっけ」
「MA電気軌道の雇われ社長になったとこから」
女史は手にココアの入ったカップを持ち、答える。オリイのオレンジ茶と、ディックのコーヒーと、三つ巴の香りが一気にそこに広がる。
「まあはっきり言って、当時MA電気軌道は、大した会社じゃなかった訳だ。チューブ自体が、あまりぱっとしない交通機関だったからね。むしろ船のほうが多かった」
「そういえばそうよね。わりと最近なんだ。チューブで簡単に行き来できるようになったのは」
「うん。それまでの船も便利は便利だったんだけどね。ただ、結構空象に左右されるだろ、船って」
女史と、そして話に耳を傾けていたオリイもうなづく。
「チューブは一度その軌道さえ作ってしまえば、そういう心配が少ない訳よ。だから、距離の短いコロニー同士の交通や、ちょっとした行き来には、このほうが便利だし、安定すればコストも低くなる。もっとも、他星域ではどうかな。あくまでここが、コロニーが近接している星域だから、ってことがあるからね。ただ当時は、逆に、その他の星域の事情をそのまんまこの星域の開発に持ち込んでしまっていたから、違うことをする奴がいなかったってことになるかな」
「その時点では、軌道はできていたの?」
「いや、計画段階。で、サーティン氏は、まだ当時は母星に居たんだけど、その時全部のコロニーをざっと回って、これは成功する、と思ったらしい」
「アイデアはあったの?」
「軌道を作ろう、っていうのは、彼のアイデアじゃなかったみたいだけど、それをどう使うか、は彼のアイデアだったようだよ」
「例えば?」
「安価な住宅コロニーの建設」
「…そんなの作るだけでずいぶんなコストじゃないの」
「いや、宅地分譲は、それをちゃんと目的にして、母星だけでなく、他星域にも告知いたから、結構な利益にはなったんだ。何と言っても、当時はとるものもとりあえず逃げ出す人も多かったからね。だから、まあある程度の収入に合わせた、それでいて、ちゃんと分割払いもきくような、さ…」
「…そりゃまあ、当時は、『完全に安全な場所』なんてあって無いようなものだったからね…」
「そ。だから、仮の宿、という発想の人も多かったらしく、だけどそこは一応ちゃんと『自分の家』だろ。その点と、それにまあ元々この星域が、さほどに被害を受けていなかった所だ、というのがあったね」
「結局は受けてしまったけどね」
「そ。だけどとりあえず、その時点で、この星域は当時のアンジェラス軍から攻撃を受ける理由が無かった」
ふうん、と傍らのオリイがうなづいているのを、女史は感じる。
「ま、だから後は、チューブを作り、コロニーを増設し、その停まるごとに特色を増やした、っていうのが大きいね。例えば、LB大劇場とそのお抱えの歌劇団」
「あれは有名よね」
「あれは、元々、そういう風に場所を使うつもりはなかったらしいね。ただ、当初やろうと思った施設が失敗したので、その代わりにそうしたらしい。そしたら意外に当たったんで…」
そう。そこからはとんとんと行ったのだという。ところが…
言葉を止めた彼に向かって、女史は続きをうながす。
「ごめん女史、ここで止まってるんだってば」
「あらそう? それじゃあ仕方ないわね。それじゃあほら、この子にも手伝ってもらって、ちゃんと資料整理しなさいね」
そしてよろしくね、と言いながら彼女はぽん、とオリイの肩を叩いた。
ディックが口を濁したのは、そこから先のサーティン氏の足取りが不透明であるからだけではない。そこまでが割合簡単に、さっぱりとした足取りとして追うことが可能なことに対して、その後が、どうにも入り組んでいるからだった。