なるほどね、と鷹はオリイが持ってきたデータをスクリーンに浮かべながら、うなづく。
あの後、オリイは女史が言うように、ディックの資料整理を手伝っていたのだ。彼が集めたLB社に関する情報をとりまとめ、分類整理する仕事。
その時に、同じデータを丸ごとメ・カに写し取ってきたのだ。それ自体は、別段手にすることで違法な情報ではない。ただこれだけの情報を、雑誌社という肩書きの無い人間が手に入れようと思うとやや面倒なものが多かったのだ。
「幾つかの時代に、彼は不明点があるね」
オリイはうなづいた。現在に至るまで、殆どの年についてディックは情報を収集しているのだが、数ヶ所に空きがあった。
「まずはこのウェストウェストに来てから銀行勤めをしていた期間…まあ特に書くべき部分が無かったと言えばそれまでだけど」
『友達って誰?』
そう、と鷹はうなづく。
「この『友達』というのが誰なのか、が断定されていないんだよね… 銀行の関係者なのか、このウェストウェスト星域自体に大きな力を持っているのか、そのあたりがはっきりしない。それにそのくらいの知り合いだったら、データが表に出ていてもいいはずなのに」
おそらくは、この星域全体、の方だと鷹は思う。MA電気軌道は、当初この星域のある会社の子会社として立ち上げられたのだが、最初に社長業を請け負った人物がさほどの器ではなかったため、利益は殆ど無かったのだという。
「MA電気軌道は、当初はD社の一部だった。ということは、D社にとって、中枢に居る人間と考えたらいいのか…」
D社は、D伯の経営する会社だった。
正確に言えば、企業体である。その中には数多くの企業が存在する。ウェストウェスト星域に住む人間は、朝起きてまずD製薬の歯磨き粉を使い、D食品から安価で発売されるパンを食べ、昼ご飯をD百貨店のレストランで食べ、夜は、D酒造の直営店でいっぱいやる。そして風呂にはD化学の入浴剤を放り込み、D寝具の毛布にくるまれて眠るのだ。
D社で無いものを探すほうが、このウェストウェストでは難しい。したがって、LB社がそのD社から派生したものであってもおかしくはない訳である。いや、そう考える方が自然なのだ。
「だとしたら、あのシェドリス・Eと名乗っている奴は、何でそんな名を名乗っているんだろう?少なくとも、サーティン氏はそんな名を名乗れば、警戒するだろうに」
『警戒』
「そりゃまあ、身内と言っても色々あるだろうけど…」
鷹はひじをつきながら、顎に手をやる。するとオリイはそんな彼をそっと押しのけると、端末に手を伸ばす。何だ何だ、と思いつつ、彼は別の情報に手を伸ばす。画面に映し出される文字の羅列を見て、鷹はうなづく。
「名士の尊卑分脈、か」
オリイはその中からあっさりとD伯の血統を抜き出した。名士というものは、「公式に」存在を許される身内の存在は公表することが多い。
マルタから情報はもらっている。だがそれはダイジェストのようなものだ。彼女は有効な情報を抜き出して送ってくれるのだが、時には、その抜き出す以前の情報が欲しい時もある。
多いな、と鷹はつぶやいた。現在のD伯は齢64。正子として認められている子供の数は13。そしてその子供の子供が、35。庶子が10。その庶子の子供が8。
「…よくまあこれだけ作ったものだ」
子供が生まれにくい星域の出身である鷹は思わずため息をもらす。まあしかし、あの種族がそんなにぽこぽこ生まれていたら、それはそれで始末に困るだろう、と彼は思う。少ないから、寿命が長いのか、寿命が長いから少ないのか。
画面には、その子供や庶子の名前がざっと映し出させる。その中でシェドリス・Eの名を彼は目で追った。
「ふーん… 確かに彼くらいの年齢だな」
無論この場合、シェドリスを名乗る彼の、本当の年齢は関係はない。あくまで外見の年齢である。現在生存しているなら、27歳。その様に資料からは読みとれる。
『庶子の子供が少ない』
オリイはさらさら、とテーブルに文字をつづる。
「ああ。ま、色々あるんだろ…」
庶子。理由は色々あれど、何度か取り替えられたD伯の正妻以外の女から生まれた子供。その女達が果たして自分の意志でそういう立場になったのかはこの資料からは読みとれない。
そしてその子供達は、庶子の数より少ない。初めから生まれなかったのか、それとも途中で消されたのか。いずれにせよ、良い想像ができない。
そして、シェドリス・Eはその姓が示す通り、庶子の子供だった。
シェドリスの父であるE氏は、ウェストウェスト総合大を出ながら、どうもその後、戦争の方へ自主的に参加したらしく、30代の半ばで消息を絶っている。そしてその後、シェドリスが見つけられたのだが、この母親である女の名前は無い。故意的に削除してあるのは、一目で判る。
そしてシェドリスは、15歳の時にそのD伯宅に引き取られている。だが17歳の時、その消息を絶っている。
『何でだろ』
とオリイは首をかしげる。
確かにそうだ、と鷹も思う。D伯くらいの勢力のある家だったら、数多い子供や庶子にはそれぞれウェストウェスト星域の中に分家を作ってやったところで大した問題ではないだろう。失踪か、誘拐か、それとも…
いかんな、と鷹は軽く頭を振る。やっぱりあまりいい想像ができない。楽観視ばかりするのは決して良いことではないが、悪い想像ばかりしてしまうというのは、気分が滅入っている証拠だ。
「現在の」シェドリスがウェストウェスト星域に出現するのは、5年前だった。シェドリス・Eという人間の消息は、6年間全く空白なのである。
外見的特徴、DNAまで行かずとも、血液型の一致程度の類似があれば、なりすますのも不可能ではないだろう、と鷹は思った。
「問題は、結局、何で彼が、シェドリスをわざわざ名乗っているか、か…」
『サーティン氏は知っているの?』
「彼が、本物かどうかということ?」
オリイはうなづく。
「さてそこだ。さっきから俺も思ってるんだけど、どうも俺としては、『知ってる』ほうに軍配が上がってる。彼が偽物ということをさ」
そしてそうすると、と鷹は思考を進める。
「すると、彼を動かしているのは、サーティン氏だ、ということも考える訳だ」
『何で』
「一足飛びに聞かないように。さてそこがよく判らないんだから。だからオリイ、ディックによくくっついてるんだよ?」
わかった、と言うようにオリイはうなづく。
と、その時不意にフォーンの呼び出し音が部屋内に響いた。マルタだ、と鷹はその音から発信人を聞き分ける。立ち上がり、受信機のボタンを押すと、ふっとそこに彼女の画像が浮かび上がる。
「久しぶり」
『元気だった? 鷹。前に言われた情報を送るわよ』
彼女の言葉に続いて、オリイが眺めていた端末がぽん、と音を立てる。
「ありがとう。相変わらず綺麗だね」
『また何言ってるの。それより、マリーヤからの伝言よ。今回は、別にいざとなったら引き入れなくてもいいから、って』
へえ、と鷹は乾いた声を返す。引き入れなくてもいい、は、いざとなったら殺せ、の言い換えだ。つまり、今回の対象には、さほどの価値を花園の園主は持ってはいないらしい。
この花園の園主に関しても、謎な点は多い。そもそもどうして、天使種以外の彼女が、わざわざ天使種の… しかも「やんごとない」、かつては「偉大なる」と形容された第1世代と結婚し、数年で別れたのか。そして別れてからのちも、その夫だった男を背後に、こんな、逃走する天使種の手助けのようなことをするのか。
彼女にメリットは、無い筈だと思う。
「OK、それは少し気が楽になる」
鷹は両手を広げる。
『でも気を付けてちょうだいよ』
「あ、心配してくれるの?」
『何言ってんのよ。で、他に送る情報はない?』
「ああ、シェドリス・Eの母親に関する情報が欲しいんだけど」
『母親?』
「あれから俺も調べてみたんだけどね、そもそものシェドリスってのは、母親と離れてD伯の所へ行ってる訳じゃない。とすると、母親は、まだこの街に残っている可能性はあるんじゃないかな」
『判ったわ、探してみましょ。他は?』
「今のところはいいよ。あ、マルタ、今日送ってくれた中には、こないだ言ったこと、全部入ってる訳?」
『調べられる範囲でね。…今回はちょっと苦労したわよ。何でいきなりそんなこと聞くのかって思ったわね』
少しばかりの間、沈黙が画面のこちら側と向こう側に流れた。それを破ったのは、マルタの方だった。組んだ手を、顔の前に上げて、軽く目を伏せる。
『何で、あんなことを、あなた知りたいの?』
「必要だと、思ったからね」
『必要。そう、必要だと思ったのね。つまり、そういうことなの?』
鷹はすぐには答えなかった。マルタはそんな彼の様子を少しの間うかがっていたが、やがて同じ言葉を繰り返した。
『そうなのね?』
「そうだ、と言ったら?」
『あなた、私にどう答えさせたいの?』
「別に何も」
『そうやって、逃げるのよね、いつも』
「マルタ?」
『まあいいわ。なるべく速く情報は集めるから』
ふっ、とスクリーンが目の前から消滅する。彼女は次の言葉も待たずに通信を切った。
とん、と背中をつつく感覚に、彼は振り返る。どうする?とオリイは端末を指す。送られてきた情報を見ても構わないのか、と訊ねているのだ。
「ああ、ちょっと待って。俺確認したいことがあるから」
オリイは二、三度うなづくと、肩越しにぐっと鷹の手を取り、いきなり「遊園地」と書き込んだ。
「遊園地? 遊園地がどうしたの?」
『行きたい』
へ? と鷹はさすがに驚いて、思わず身体ごと振り返っていた。
「あのねオリイ、ここがブレイ・パァクのコロニーだったのは昔のことで」
『でも、行きたい』
こう言い出したら相棒が聞かないということは、鷹もよく知っていた。昔からそうだったのだ。大概のことは大人しく聞き入れるのに、オリイは時々ひどく強情になる。
それが逃走中の、生命や行動に危険が伴う時だったらともかく、オリイはちゃんとそうでない時を見計らって言うので、止める理由が鷹には見つからない。
しかもその強情なまでの望みというのが、「このキネマ面白そうだから見よう」「こういう類の店に入ったことないから入ってみたい」程度のものだから、なおさらである。鷹は仕方ないね、という言葉とともに、それにつき合ってしまうのだ。何故なら、オリイの言葉に絡まっているのは、「だから連れてって」という一言なのだから。