扉が勢い良く開いたので、ぼんやりとしていたオリイもはっとして顔を上げた。そしてどうしたの、という視線で帰ってきた相手を見る。
だが鷹は一直線に端末の方に向かうと、電源を入れた。起動するまでの時間ももどかしそうに、長い指はデスクの上を叩く。
ようやく現れた検索画面に、彼は一つの名前を叩き込む。
ナガノ・ユヘイ。
変わった名前だ、と聞いた時には思っただけだった。だが、どうやらこの名前はそれだけではないらしい。
だが、どうもその名前だけでは、検索条件が充分ではないらしい。ち、と彼は舌打ちをする。
『知ってる』
目の前に現れた手は、そんな言葉を綴った。
鷹は相棒を思わず見上げた。先日のことなど、何も無かったような、平然とした綺麗な顔が、そこにはあった。
「知ってる?」
『ディックの資料の中にあった』
「それを今すぐつなげられるか?」
『無論』
どいて、という様にオリイは鷹と席を変わった。白い手が、慣れた手つきで回線をつないで、そしてパスワードを打ち込む。向こうのオフィスで仕入れた情報を、彼はある程度はメ・カに写し取ってきたが、まだ情報の羅列に過ぎない部分は、外部の一般業者のデータバンクにコピーし、保管してあった。
ひどく簡単なことだが、それは案外盲点である。何しろ、当のデータを盗まれた相手は、それが別段重要な情報だとは考えてはいないのだから。
だが、情報というのは、内容ではなく、使い様なのである。どんな有効な情報でも、意味が無い者にとっては、ただの単語の羅列だ。そして、必要な者には、それは。
オリイは出た、と言う様にうなづく。
キーを叩く手が止まり、ふっとため息をつく。
出来ない時には、出来ないんだ。彼は自分自身にそんな言い訳をしてみる。どうしても、ある時点からのサーティン氏の行動を見ると、混乱するのだ。
チューブを作り、コロニーを増設し、そしてその停まるコロニーごとに、何らかの特色を与えた。そこまではいい。歌劇団も作った。それもいい。
だが、その後が。
ルナパァクを計画したあたりから、彼の行動には謎が多くなってくる。
彼は自分の立場を、ある過去の人物と重ね合わせていた様なふしがある。まだ地球に人類が住み、宇宙に出るなど、夢のまた夢だった様な時代。
だがどんな時代にも、新しい事業を任せられた事業家は居る訳である。彼は自分の指針を、現代ほど物事がスムーズに進む訳ではない過去に求めた。
いや無論、現代とて、物事は全てスムーズに進むという訳ではない。要は基準の違いなのだ。当時は国というレベルだったものが星域になり、都市というレベルが、一つのコロニー、一つの地域を指す様に、広がっているだけなのだ。
実際、当時の人間が、一日に進むことのできる距離というものは、現在の常識からすると微々たるものである。進むことができる距離の伸びは、そのまま人間の居住圏の伸びと比例しているのかもしれない、とディックは思う。
自分の立場にしてもそうだった。さしずめ、自分は当時に照らし合わせると、一つの国から別の国へ亡命したジャーナリストという役割か。ただし決して合法的ではないが。
サーティン・LBが求めた過去の指針は、ある小国の、地方大都市において、新しい電気軌道を動かした男にあった。
当時のその大都市圏において、電気軌道は主に国の所有ではなく、企業の私有だった。他の地域と違い、そこはかつて首都が置かれた地域に近い、ということから、中央政府に対して独立独歩の気運が大きく、それがそのままその地を走る鉄道に反映されていた。
もっとも最初からそうだった訳ではない。その国においては、そもそも私有鉄道も「国の管轄下に置かれる予定で作られるもの」だった。だが当時の企業はそこを、独立した線路を持つ「鉄道」でなく、道路に敷設する形で作る「軌道」という名前で、全く別のものとして出発させた。
特にサーティン氏が自分を重ね合わせていたと思われる人物の会社など、その最たるものだったらしい。
その会社の軌道は、決して国有鉄道の線路と直接連絡する形にはならなかったという。それどころか、当時天下の権力でもあった国有鉄道を、わざわざ跨ぐ形で高架線を作ったくらいである。ほとんどそれは中央政府に対する挑戦であったとも言える。
国有鉄道において、その都市の名前をつけた主要駅と、ほぼ同じ所に全線の発着所であるターミナル駅を作ったが、そこにはその都市の名ではなく、その元々あった場所の名をつけたという。他の私有鉄道の駅もそれにならった。そして、決して国有鉄道の駅との間の連絡通路には屋根をつけなかったという。
また、その人物は、駅とつながるターミナル・デパートをその国で初めて作ったことでも知られているし、お抱えの歌劇団と劇場、そこから発展して、中央に芸能部門にまで手を伸ばしたとされている。
「…無茶苦茶なアイデア・マンであり、実業家であり、行動家だったんだな…」
ディックはため息混じりにつぶやく。そんな人物をお手本にしたい気持ちは判らなくもない。何せ今は混乱の時代だ。何かするのも困難ではある。だが、混乱の時代だからこそ、何かまだ使用があるのではないか。平和に治まって、膠着してしまう前に。
だが、ルナパァクについては。
この人物は、遊園地に関しては、決して際だった成功はしていないのだ。確かにその後、事業の一環として一応遊園地はできている。だがそれは決して主流ではない。
サーティン氏の場合、ルナパァクは結構な位置を占めている。そうでなくて、わざわざ、そこに住み着いていた人間達に別の居住空間を提供してまで、そこを再び復活させたいと思うだろうか?
ルナパァク、という地名は、当時その都市にできた大規模な遊園地から取っている。それは事実だ。ただし、それを作ったのは、サーティン氏の敬愛するその人物の会社ではなく、同じ大都市圏にある、別の私有鉄道会社だった。
理屈は同じである。そこに行くべき場所を作ることによって、軌道に乗る人々を増やす。それは遊園地だろうが、デパートだろうが、劇場だろうが温泉だろう学校だろうが居住地だろうが同じである。
当時、他に三つの大きな会社があった。皆が皆、それぞれの手持ちの区域において、様々なアイデアを出し合い、しのぎを削っていた。
そしてその中の一つが、その都市の南側に、その遊園地を作った。ディックは知らないが、シェドリスの認識はそこで一つ違っているのである。
それは当時、その国が技術という点において、追いつけ追い越せ、とやっきになっていた国にあった、大がかりな遊園地を真似たものだった。近くに動物園も作り、真ん中にはその当時では国内で一番高い塔を作り、そこからロープウェイを渡す。当時の人々にとっては、そんな高い場所から空を渡るようにして降りていく乗り物は珍しかっただろう。
昼は昼で、子供を連れた家族が行き来し、夜は夜で、電飾の輝く遊園地は、大人の遊び場となる。
そういえば、とディックは思う。よく考えてみれば、遊園地、という存在自体、長い間全星域において、忘れかけられていたものだったのだ。
戦争の最中だったのだ。ずっと。そんな中では、昼間ひなたの「遊び」は決して奨励されるものではない。
だからだろうか、とディックは思う。
当時ではなく、今この時に、彼が、遊園地コロニーを復活させようとするのは。
…サーティン氏はそのルナパァクの建設において、自分ももちろんだが、数名の主要スタッフでチームを作った。
その時のスタッフの中に、先日彼が会ったサイドリバーも居た。
だが、主に建築という実行面において活躍したサイドリバーより、ディックの調べる中では、際だって目立った人物が居た。
それがナガノ・ユヘイである。
ところが、この奇妙な音のつながりを名前に持つ彼について調べ出すと、やはり混乱が起こるのだ。
そもそも、このナガノ・ユヘイという人物は、ここで急に出現するのだ。今まで、何処をどう調べても、その名前は出てこない。デザイン関係や建築関係、その下の近辺関係学校の名簿にもその名は出てこない。一体何処をどうやってサーティン氏に近づいたのかも全く謎なのである。
フォートもムーヴィも殆ど残されていない。残っているとしても、それは遠目であったり、後ろ姿であったり、サーティン氏の陰になっていたり…とにかく姿という姿を隠しているようにも見えた。
だがそれほど謎な存在にも関わらず、当時既にこのウェストウェスト星域ではひとかどの人物として知られていたサーティン・LBは彼を重用した。
もっとも、この時期、サーティン氏自体の行動にも謎が多かった。
彼の動きを年代ごとに追っていくと、時々空白の時代がある。このルナパァク建設の前も、その一つの時期に当たる。一年近く彼は表舞台に顔を出していない。だからナガノ・ユヘイと出会ったとしたら、その時間であるとも考えられる。
実際、彼はこの空白の時間の前まで、遊園地建設のことなどまるで公の場では口にはしていないのだ。ずっと心の裡に秘めて、暖めてきたアイデアである、とも考えられるが、その空白の時期に、いきなり考えついたとしてもおかしくはない。
そしてふと、ディックの脳裏に、あの現場監督の姿が浮かび上がる。サイドリバーは。
彼ならナガノ・ユヘイについて何かしら知っているかもしれない。
ディックの手はすぐに通話機に伸びていた。
*
その時、その部屋の主は、自分の身に起こったことをすぐには理解できなかった。
お静かに、とその声は告げた。ひどくよく通る声だった。暗い、寝室の闇に、その声はひどくよく通った。
誰かが居る。それだけでも信じられなかったのに、それだけではない。
その侵入者は、まだ半分目を覚ましていない自分に、ナイフを突きつけているのだ。
気配は無かった。そして、屋敷や部屋の周りを警護する犬も部下も、一言も無い。
「聞きたいことがあります。それに答えてくれれば、あなたに危害は加えない」
カーテンのすき間から入り込む衛星光が、侵入者のシルエットを映す。細身の男だ。
「…何を聞きたい」
こんな時には、言うべきこと、言えることはさっさと言ってしまうに限る、と部屋の主は思っていた。どんな情報も、所詮は命に比べれば、大した問題ではない。後で取り返せばいいだけのことだ。
彼は自分の屋敷の警備を過信していた訳ではないが、ある程度以上のレベルは保っている、と信じていた。彼にはかつて敵が多かった。そして今も、味方と同量の敵が存在ということは認識している。怖れている訳ではない。知っているのだ。
知っていれば、ある程度の警備は必要である。だがある程度、で良い。それ以上の敵であれば、それは警備というレベルで自分を守ることなどできない。別の手が必要となる。だがそれ以下に対しては、過剰でない程度の牽制にはなる。
その程度には彼はわきまえていた。
「私に言えることなら言おう。だから、そのナイフを下ろしたまえ、侵入者君。私の警護の者はどうした?」
「なかなかいい腕をしている。だが相手が悪かった、と言っておきましょう」
「自信家だな。私は自信のある者は好きだ。灯りをつけてはいけないのかな?」
「別に構いませんがね。後であなたが厄介事に巻き込まれたくないなら、見ないほうがいいですよ、サーティン・LB総裁」
ナイフが離れる気配がある。サーティン氏は手を自分の周りにぱらぱらと振ってから、寝床からゆっくりと身体を起こした。
「こんな方法で私にコンタクトを取ってきた者をもう一人知っているよ」
「ええ、判っています。あなたの元で、シェドリス・Eを名乗っている彼でしょう」
「そうだ」
あっさりとサーティン氏は答える。その姿がはっきりと見える訳ではない。だが衛星光にもゆったりとした姿で話をしようとしている姿は、鷹にも判った。ずいぶんな度胸だ。声の調子は、その記録にある年齢よりは少しは若くも感じられるが、それでも既に、中年と呼ばれる年代の終盤にあった。
「彼は、誰なのです」
「君は、誰だと思うかね」
逆に問われて、鷹はふと戸惑う。何なんだこの落ち着きようは。確かに人並み外れた何かを持った人物だとは感づいていたが、この事態で、侵入者に逆に質問できる度胸は並外れている。
「…では、当たっていたら、彼について、話していただけませんか?」
「条件によるな。君は、彼が私にとって危険だと思っているのかね?」
「俺は別にあなたがどうなろうと知ったことではないですが、あなたを狙う側には、黙っていられないのでね」
ふふん、と笑う気配がする。
「…帝都は、ウェストウェスト星域におけるあなたのこのチューブの寡占状態を面白く思わないのでしょう?」
「よく知っているじゃないか。確かにそうだ。帝都政府は、このウェストウェストにおいてLB社の力が増していくことに関して面白くは思っていない」
「だけどD社なら構わないのですか?」
「D社なら構わないのだろうな。都合がよかろう。…だがさし当たり、まだ君に答えるべき問題ではない。君はまだ、私の問いに答えていない。答えてみるがいい。私のシェドリスは、一体君は誰だ、と思ってるのかい?」
「無論本名ではないですね」
「それは当然だ。君達の本名は名乗れないのだろう」
そんな事まで、彼はこの男に話したのか、と鷹はやや驚く。自分はオリイにすら話していない。無論マルタにも。マリーヤは知っているのだろうか。夫の本当の名前を知っていたのだろうか。
「…では俺の見当を言いましょう」
「うむ」
「彼は… シェドリス・Eを名乗る我々の種族の一人は、かつてあなたのもとで、ナガノ・ユヘイと言いませんでしたか?」