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第14話 サイドリバー監督、サーティン氏双方から語られるナガノ

 扉を開けると、何か何処かで嗅いだ匂いがした。何だっただろう、とディックは思う。


「おう、よく来たな、記者さん」

「すみません、いきなり押し掛けて…」


 ディックは恐縮する。だが目の前のサイドリバーはそんな彼の背をばん、と叩くと中に迎え入れた。


「まあ固いことは言いっこなしだ。あんた等の雑誌は、こっち来てからまだ大した時間は経っちゃいないが、女房は重宝しているようだ」

「あ、ありがとうございます」

「食事はしてきたか?してなかったら食っていけばいい。それともお前さんも女房持ちかい?」

「まあそんなものですが」


 彼は言葉を濁した。できれば、彼女をそういう言葉でくくってしまいたい自分も居るのだ。言葉一つの問題じゃないか、という気もする。だがその一つが重要なこともあるのだ。


「でも彼女も仕事が忙しいですから…どっちにしても、今日は一緒に食事はできないんですよ」

「ふうん。じゃ食っていきな」


 そう言ってから、サイドリバーは急に顔を近づけ、声のトーンを落とした。


「…実はな、今日の料理は客人が作ってるんだ」

「客人?」

「…ったくうちの総監督は、すぐにややこしい事を俺に押し付ける」


 総監督。シェドリスのことだろうか。そういえば、と彼は耳を澄ませる。台所から聞こえる女性の声は複数だった。ずいぶんと楽しそうな様子に、娘が一緒に住んでいるのだろうか、と彼も一瞬考えたが、どうもそういうことではないらしい。


「ほれ、お前らがこないだ連れてきた、あの地雲閣の住人が居たろ?」

「あ?はい、居ましたね。責任持ってお嬢さんを探すから、と…」


 確か名前はアナ・Eとか言った…


「で、だ。奴ときたら、その女性は神経が不安定だから、ちょっと預かっていて欲しい、だ」

「は」


 ディックは目を丸くする。サイドリバーの太い眉が、やや露骨なまでに寄せられる。


「…まあいいけどよ。奴のことだ」

「ずいぶんとシェドリスと仲がいいんですね」


 不意にそんな言葉がディックの口から漏れる。途端、サイドリバーの表情が露骨に嫌そうなものになった。そしてよしてくれ、と彼は吐き捨てるように言う。


「ま、来いや。女どもが食事の支度をしていてくれるうちに、こっちも話を済ませようや」

「…はい」


 そして言われるままにディックは居間へと通された。この街でよくある期間賃貸住宅のままに、サイドリバーは薄い草編みのカーペットの上に直に座り込むと、棚から口の部分に布の巻かれた瓶を取り出した。その中の色からして、どうやら果実酒らしい。


「あなたっ! まだ食事前なんですからねっ!」


 サイドリバーは思わず肩をすくめる。どうやら食事前の飲酒は奥方に止められているらしい、とディックは気付く。そしてこの監督が、どうやら奥方には弱いらしいということも。


「…客なんだぜ… 少しくらいいいだろう?」

「だったら思い切り割って下さい。はい、炭酸水。これは冷えてる方が美味しいの。はい氷。すみませんね、お食事は素面で取ったほうが美味しゅうございますのよ」


 奥方はそう言って、両手に炭酸水の瓶と氷の入った器を二人の前に置いた。歳の頃は監督と大して変わらないように見えるのだが、ずいぶんと元気な人だ、とディックは感心する。


「…ま、あいつがああいうからな。それにまあ、自分で作ったものにはやっぱり愛着が湧くらしいな。俺が何も考えずにちゃんぽんにして呑もうとすると、途端に『駄目!』だ」


 だけどそうやってぶつぶつと言うその口調は、決して悪いものではなかった。むしろ仕方ないな、と言いたげな、何処か照れと優しさが混じったものに彼には感じられたのだ。

 そして奥方の言ったように、濃い色の果実酒を炭酸水と氷で割ったところ、コップの中の液体は、明るい、色鮮やかなものに変わった。


「それで、記者さんよ」

「ディックです」

「そうディック、俺に聞きたいことがあるって言ったな。何だ? 俺は回りくどいのは好かん。さっと聞けさっと」

「さっと、ですか」


 ディックは少しばかり考える。自分は一体まず何を聞きたいと思っていたのだろう。


「…サイドリバー監督は、昔、このコロニーをプレィ・パァクにする時に、直接製作に加わったスタッフだったんですよね」

「ああそうだ。おかげで今の今まで、こうやって借り出されてる」


 胡座を組み、だがちびりちびりと監督は果実酒をすする。

 この人には、確かに、回りくどい言い方は逆効果だと彼は思う。できるだけ率直。それがどうもこの「現場」監督には正しい姿勢であるように思えた。


「俺は、今サーティン・LB氏についての…人物伝のようなものを書こうとしてるんですが、どうしても、その中で、この…あなた方の関わっている、このルナパァクを作った時代に関して、よく判らないことが多いんです」

「彼について? や、俺達もよくは判らなかったよ」

「でもあなたは計画から加わっていたんでしょう?」

「よく調べてるじゃないか、記者さん」

「ディックです」

「そうディック。そう、俺は確かに計画段階から加わってはいたがな、あまり口出しをした方じゃない。計画を立てるよりは実行する方が得意だったからな。俺はやっぱり当時も現場監督だった。机の上でかりかりとやってる方の計画に関しては、旦那とナガノ、それに何人かの連中に任せたよ」

「…そのナガノさんのことなんですが」


 ず、とコップの中身をすする音が彼の耳に届く。氷がからん、と音を立てた。


「ナガノのことを、聞きたいのか?」

「はい」

「結局、それが聞きたいんだな?」

「…はい、すみません」


 彼は何となく顔を伏せる。妙に、この監督の前だと、下手なことは言えない様な気がするのだ。それはどちらかというと、父親ではないが、父親の前に出たような気分によく似ていた。自分の本当の父親は、とうの昔に記憶の彼方だ。その記憶も大した量は無い。


「別に謝ることはないんだよ? 聞きたいなら聞けばいい。言えることなら言ってやるよ。別に隠す程のことでもない。だが、実際俺も大したこと知っていた訳じゃない」

「と言うと?」


 ディックは首を傾げた。するとサイドリバーは、コップを持ったままふと天井を見上げる。


「何って言うかなあ… 変な奴だ、と最初に思ったね」

「へ、変な奴?」

「そう、変な奴だった」



「変な奴だったよ」


とサーティン氏はひどく可笑しそうに言った。彼は鷹の予測に対しては、曖昧にどうかな、と言っただけで、自分自身におけるナガノ・ユヘイという人物の思い出を語り始めた。


「当時、私はとりあえずこのチューブを中心とするコロニー群の、基本的な形を作り上げたばかりだった。私はさすがにその成功に気を良くしていたね。何と言っても、まだ私も若かった。三十代に入ったばかりぐらいだ。人手不足という訳ではなかったが、面倒な仕事だったのは事実だったので、私を雇った先輩も、誰もしたくなさそうな事業を押し付けたのだろう」

「『先輩』はD伯ですね?」

「よく調べてるじゃないか。情報は大切だよ。侵入者君」


 生きている年数的には、自分の方が上のはずなのに、鷹は自分が押されている様な気がしていた。判っている。そういうことは問題ではないのだ。


「そして、その成功と共に、次の手を模索すべく、私はあちこちを回り始めた。様々な星系をね。そこで成功しているもの、このウェストウェストには無いもの、そういったものをできるだけ探して、私はそれをどう取り込めるか考えたものだ。そんな折りだ。ナガノに出会ったのは。そして私は彼をウェストウェストに連れて帰った」

「何処で…」


 サーティン氏は黙ったまま、微かに笑った。


「彼は変な奴だったね。知っていることはよく知っているくせに、私達の持つような常識が無かった。例えば若いくせに、ずいぶんと古いことにばかり興味と知識を持っていて、どうしてそんなことを知っているのか、そしてどうしてそれが好きなのか、我々にはさっぱり判らない。…ルナパァクに関することを私に伝えたのも、彼だった」

「そうなんですか?」

「そうだ。彼は実にその辺りの歴史について、よく知っていた。もっとも、後で調べるとあちこちにほころびはあるのだがな」


 くっくっ、とサーティン氏は笑う。ひどくそれは楽しそうな笑い声だった。


「楽しい日々だったよ。彼と一緒に仕事をした、あの日々は。私もまだ若かった。スタッフも皆若かった。何処の誰とも知らないような相手であっても、とにかく能力があれば私は登用した。そういう場所であって欲しかったんだ、私自身。私自身が、かつての職場で味わった、ひどくもどかしい気持ちを、きっとそこで昇華させようとしていたのかもしれない。いやそれはどちらでもいいな。とにかく、才能のある奴らが、どうしようもない場所で押しつぶされていくのを見るのが嫌だった。あちこちに居たそういう奴らを集めて、私はルナパァクの計画をスタートさせたんだ」

「ではあなたがあの期間、何処にも見あたらなかったのは」

「単純に、私はあちこちに行っていただけだよ。他意は無い。だから、ナガノだけじゃない。他にも、何処のその類の世界ではそうそう知られていない奴が居るはずだ。何故君は、ナガノにこだわる?」

「言ってもいいですか?」

「言ってみたまえ」

「…あなたが数少ない過去の映像の中で、彼を見ていたからですよ」


 なるほど、とサーティン氏はつぶやいた。



「俺にしてみりゃ、歴史好きで、古いもの好きで、そして妙に腕の立つ奴、という印象があった」


 サイドリバーはゆっくりと語る。その間ににも、台所から流れてくる香りは、ディックの胃袋に襲いかかる。きゅう、と腹の虫が鳴ったので、思わず彼は手で押さえる。サイドリバーをそれを見てにやり、と笑った。


「で、奴もまた、結構大食いだったな」

「大食い… ですか?」

「ああ。その割にはさっぱり太らないんで、当時周りに居た女の子のスタッフはずいぶんと恨めしそうな顔で奴を見ていたな。もっとも奴は、そんな周囲なんぞ全く目には入ってなかったが…」

「そういうもんですか?」

「奴は仕事熱心だったからな」


 …何の根拠もなく、ディックの頭に、「嘘だ」という言葉が浮かんだ。

 ふと彼の中に一つの疑問が浮かぶ。


「…そういえば、サーティン氏も結婚は」

「そーいえば、しなかったようだな。馬鹿な奴だ」

「馬鹿… って」


 ディックは思わず問い返す。さすがに雇用主に対するそういう言葉がこの男から出るとは思わなかったのだ。


「だってそうだろう? そうだと思わないか?」

「…いや、でも俺はまだ未婚だからよくは判りませんよ」

「未婚だ既婚だってことじゃないんだよ? 記者さん」

「ディックです」

「そうディック、所帯を持つ相手が居るかいないか、ということだよ?あんたは確かに未婚かもしれんがな、それはあくまで法律とかそういう面のことだろ?そういうことじゃないんだよ」

「…と言うと…」


 彼は語尾をぼかす。一体サイドリバーは何を言おうとしているのだろうか。酔いが回りやすい体質なのだろうか、薄めた果実酒なのに、監督の顔は既にほんのりと赤い。


「…だからって、ずっと一人で居ることなんて、無かったのによ」


 え?


 独り言の様だった。独り言に違いない、とディックは思った。


「ま、いいさ。そんなのは奴らの勝手だ。俺の知ったことじゃない。それでいいっていうなら俺は知ったことじゃない。だがなあ…」

「あらあらまあまあ」


 奥方が顔を出す。そしてすっと手を伸ばすと、夫の手からさりげなくコップを取り上げる。


「何だよまだ半分残ってるじゃないか」

「先にごはんですよ。せっかくのお客様が作ってくれているんですからね。ちゃんと味を見てくれなくては私は嫌ですからね」


 そういう訳でごめんなさいね、と言って監督の奥方は、ディックからもコップを取り上げた。無論彼は快くそれを手渡した。サイドリバーはちぇっ、と舌打ちはしたものの、怒っている様子はない。

 ディックはそんな二人の様子を見ると、何となく胸の中が暖かくなるような気がする。本当に。

 長い時間を一緒に過ごすことの強さのようなものを、彼等のような年代の夫婦を見ていると時々感じることがある。もちろんそれは、どれだけ素晴らしいものに見えても、現在の自分達に当てはめることはできない。時間というものがそこには必要なのだ。

 だけど、自分達がそうなるには、少しばかり、難しいものがあるような気もした。

 自分はサァラの中の、足りなくてあがいているものを埋めてやりたいと思った。彼女が居ることで、自分の中のすき間が埋められるような気がした。今も、それは感じている。だけど、それは砂漠に水を撒くようなもので、一瞬だけ埋められたような気になったとしても、ずっとそれが続く訳ではない。

 それはそれでいいのかもしれない。少なくとも自分に関してはそうだ。失った故郷への思いは、この地で暮らす忙しさの中で、次第に薄れつつある。

 忘れる訳ではない。ただ、それは、遠い日の出来事として、懐かしく思うものに変わっていくのだ。

 だがサァラの中にある空洞は、そういう類のものではない。彼女は知りたがっている。自分が誰なのか。何処で生まれて何処で育ったのか。

 そしてどうしてここに居るのか。

 足下がふわふわするのだ、と彼女は言っていた。背中が時々嘘寒くなるのだ、とも言っていた。毎日の忙しい仕事に追われている時はいい。だがそんな時にも、ふっと気を抜くと、そういう瞬間が来るのだ、と。

 だから、自分はそんな時には、少しでも彼女を掴まえていてあげたいと思うのだけど。眠れない夜や、予期しない暗闇に脅える時には、その華奢な身体を抱きしめていてやりたいと思うのだけど。


「…どうしましたの?」


 不意に、金属の輝きがディックの目を打つ。丸いスプーンが、自分の目の前に置かれて、彼は我に帰った。奥方の声ではなかったので、彼は思わずそちらに目をやった。


「アナさん」

「覚えていて下さったの? 記者さん」

「は、はい…」


 先日とは違って、ずいぶんと穏やかな調子でアナ・Eは彼に微笑みかける。


「お口に合うかは判らないですが…」

「貴女が…」


 大きな鍋が食卓の上に置かれる。四角いテーブルのそれぞれの辺に深皿とスプーンが並べられていた。奥方は鍋のフタを開ける。途端に、ふわりと独特の香りが立ち上がった。


「あれ?」


 ディックは思わず声を立てていた。


「どうなさったの」

「この料理… 貴女が、って言いましたよね」

「ええ」


 アナはうなづく。そうだ確かに、この匂いには覚えがある。


「…アナさん、ご出身は何処ですか?」

「私?」

「何だい、唐突だなあ」


 監督は呆れた顔をしてディックを見る。


「…いえ、何か変わったスパイスだなあ、と思って…」

「ああ、この料理のことね。私の故郷では珍しくもないものなのだけど。…って御存知?」


 ディックはうなづいた。確かそこは、戦争中に結構な損害を受けた所である。


「まだ若い頃だったけど、そこから逃げ出して、ここまでやってきたのね。そしてあの子が生まれたのだけど…」

「大丈夫ですよ、必ず見つかります」


 慌ててディックは付け足す。


「そうよね。見つけなくてはね。あの子は私をずっと待っているはずなのだから」

「そうですよ。絶対…」

「お前… いい奴だなあ、記者さん」


 ディックです、と訂正する気力はもう彼には無かった。

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