雑貨屋の店の棚から、様々なものが一斉に転がり出す。缶詰が転がる。本が飛び出す。瓶詰めのソーダが割れて赤い染みを作る。小麦粉の袋詰めが、何かの拍子に裂けて、辺りを白く染める。転がりだした卵が、床に奇妙な模様を描く。
……ひどい音だ、と鷹はにやりとしながら手のひらを額に当てる。そして、その中心に自分の相棒の姿を見つけた。
蜘蛛の巣、という言葉が彼の頭をよぎる。
腰くらいの長さで編まれていた髪は、その瞬間、辺りのあらゆるものという物に絡まり、引き上げ、……そして落とした。
それだけのことなのだが、鷹はちら、とかつての戦友を見る。ホッブスは頭を抱え、うぉぉ、と声を上げていた。
「どうしたの?」
オリイは髪を長く伸ばしたまま、ふっとホッブスの方を見る。
「……しゃ、しゃべれるのか……」
「あいにく、喋れるんだよ」
「貴様、堕ちたな!」
ホッブスは鷹に向かって叫ぶ。
「堕ちた、ね」
なるほど、そういう言い方をする訳か、と鷹は妙に納得する。
「そう言いたければ言えばいいさ。それよりこれは何だ?」
彼はそう言いながら一つの樽のフタを拳で突き破った。そのまま思い切り蹴り倒す。ごとん、と音を立てて転がった樽からは、がらがらと銃が滑り出した。
「……最新式の、コルノー型か」
彼はその一つを拾い上げ、状態を確かめるとふらり、と銃身を上げた。そしてその銃口をホッブスに向ける。
「武器取引くらい今でもするだろう?」
「ずいぶん新しいね」
「常に新作を仕入れておくのは商人の基本だろう!」
ふふん、と笑って、鷹はもう一つの樽を蹴り倒した。ざらざらと時限発火式の爆弾がその中から何セットも転がり出す。
「これは、余りじゃないのか?」
そう訊ねた時だった。
ホッブスの巨体が一瞬視界から消えた。床に転がった銃の一つを取り、そのまま不安定な体勢のまま、セーフティを解除し、彼に向かって引き金をひいた。
鷹は反射的に飛び上がっていた。吊り電灯に片手で掴まると、空いた方の手で、数回続けて引き金を引く。ホッブスはくるくる、と器用に床の上を転がると、それまでの如何にも老境に差し掛かった様な態度は何処か、一度反動をつけると勢い良く立ち上がった。
がしゃん、と棚の薬瓶が、音を立てて弾けた。
「やっぱりあの時殺っておけば良かったんだ!」
ホッブスは叫ぶ。そしてその銃の照準が素早くオリイに向けられた時、鷹は身体を大きく振って、反動を付け、ホッブスに蹴りかかった。
うぐ、と声を立てて、巨体が床に沈められる。片方の足で身体を、片方の手で喉を押さえ込み、そしてもう片方の手にしている銃で口に濃厚なキスを加える。かたかた、と歯が金属に当たる音が聞こえてくる。
「あの爆弾は、何処に仕掛けるためのものだ?」
ホッブスは溜まってくる唾液をぬぐうこともできずに、首を横に振った。
「ああこれじゃ喋れないよな」
銃口を引き抜くと、ついた唾液もそのままに、それを相手の額にぴたりと当てる。
「言ってみろ、言え」
へっ、とホッブスは口元に笑みわほ浮かべた。こいつは困る、と鷹は思った。こういう笑いをこの状況でするということは。
「オリイ!」
ふら、と相棒は髪を大きく辺りから引き上げると、彼の側に近寄り、なあに、と問いかける。
「この強情なおじさんに一つお仕置きをしてやってくれない?」
「まずそう」
まあそう言わずに、と鷹は体勢一つ変えずにうながす。
「しかたないね」
オリイはそうつぶやくと、とりあえずの様にざっととりまとめた髪の一束から手を離した。途端にその髪は、相棒が押さえつけている昔なじみの首にゆっくりと絡まり始める。
「や……」
ホッブスは悲鳴を上げた。よく見ると、オリイの髪が触れている所が急速に赤く腫れつつあった。
「ドライフラワーになるかい? ホッブス。いや君だったら、いいところジャーキーだ。サラミソーセージだ。それにしては元の死亡が多いから、出来はよくないかもしれないぜ」
「や、やめろ…… 止めてくれ!」
するする、とオリイの髪は次第に力を増して行く。
「止めろ! 止めてくれ! 話す、何でも話すから……」
「……最初からそう言えばいいのに」
鷹はそう言いながら、銃を外し、よっ、とホッブスの身体を起きあがらせた。そして髪を外しながら、オリイはぼそっと言った。
「時間のむだ」
髪を外した首は、一面真っ赤になって。何なんだ、とそれを見て鷹は思う。そしてふと髪の一房を掴んで、くるくると指に巻く。別段手には異常はない。何してるの、という顔で、オリイはくっ、と首を傾げる。髪がそこからするり、と抜けた。
「本当のことを、話せよホッブス。よぉく判ったろ? 俺達はお前を殺すことくらいいつだってできるんだ」
「……糞!」
ちっ、と口を拭いながらホッブスは小さく叫んだ。
「で、爆薬を何処に仕掛けたんだ?」
「言ったところで、もう手遅れだと思うがな」
鷹は相棒の方をちら、と見た。相棒の髪はいつでも準備ができている様だった。
「手遅れかどうかは、俺達が決めるよ。さっさと言えよ」
「……貫天楼だ」
何、と鷹は思わず問い返す。
「貫天楼、だって?」
「そうだ、貫天楼だ」
「何故そこなんだ。何もそこで無くても、効果的な…… いや、じゃ別のことを聞こうか。何で、仕掛けた」
「理由か。理由なんて簡單だ! 我々は、奴らが憎い。今でも憎い。俺はお前が嫌いだ。天使種が嫌いだ。天使種が憎い。だがお前を俺は知っている。そう簡單に死なないのを知っている。だとしたら、閉ざされた所で爆破するのが一番簡単だろう!」
ああもっともだ、と鷹は思う。天使種を卓実に殺すなら、首を落とすか、爆破が一番簡単なのだ。
「貫天楼の、何処だ?」
理由をあれこれ聞くのを彼は止めた。また聞いた所で仕方が無い、というのもあった。確かにホッブスは自分と戦地で戦っていた頃も天使種を毛嫌いしてはいた。だがそこに憎しみがあったか、というとやや疑わしい。あくまで違和感の続きの嫌悪感だった様な気がする。
だがこの今眼の前にいる元戦友はも、明らかに、天使種自体を憎んでいる様だった。
何が起きたのかは知らない。年寄りの偏屈がそうさせたのかもしれない。だがそれは自分の知る所ではないのだ。知って何ができる訳でもない。またする気も無い。それこそオリイの言うとおり「時間のむだ」なのだ。
「もう一度聞こうか。貫天楼の、何処だ?」
彼は答えないホッブスに重ねて訊ねる。はははは、と相手の口が大きく開いた。
「わしゃ知らん。わしゃ知らんよ! わしの役目はここまでだ。取り付けるのは別の奴がやるさ。わしは知らん。知らんよ!」
ああそう、と鷹は立ち上がると、ホッブスの足下めがけて銃の引き金を弾いた。ずん、と低い音がして、木製の床に、穴が空いた。そしてそれを放り出すと、彼は相棒に向かって行くよ、と呼びかけた。
だが扉を出ようとした時だった。おい、とホッブスの声がしたので鷹は振り向く。何かがふわ、と投げられる。彼はそれを器用に受け取ると、手を広げて見る。
カラフルな髪ゴムのパッケージがそこにはあった。
「長生きしろよ、ホッブス」
「ふん、貴様の死体を見つけて踏んづけてやるさ」
鷹はそれを聞くと口元をきゅっと上げた。そして相棒の肩を抱くと、改めて扉に手をかけた。
*
「どうしちゃったのかしら、オリイ君ずっと来ないわね……」
その被のDear Peopleの編集部は静かだった。皆出払っていた。ドーソン女史は、自分の担当する記事の資料を傍らに、かたかたと原稿を打っていた。
だが一人で居ても、つい言葉が口をつく。そして言ってしまってから、ああやだ、と口を押さえる。
もう三日、無断欠勤しているのだ。
そして今日もまた、来る気配はない。彼女は静かな仕事場のにこの静けさを持て余していた。
ところがその静けさは、一瞬にして破られた。
扉が大きく開く。
「オリイ君?」
彼女は声を上げる。だが入ってきたのは、可愛らしい同僚だけではない。
「ドーソンさん…… ディックさん、何処?」
「オリイ君、喋れる様になったの?!」
「今はそんなこと、言ってる暇は無いんです、すいませんがお嬢さん、ディックさんの行き先を知りませんか?」
「お嬢さん? 冗談は止して下さいな。あなた誰? オリイ君の、友達? いきなり来てこれは無いんじゃないの?」
「ごめん…… このひとは、俺の」
オリイはたどたどしい言葉で喋る。彼女はその続きを聞きたくはあった。だがどうも言葉を見つけられそうになさそうなオリイの様子を見ると、ああいいわ、と手を思わず挙げてしまう。
「友達? 恋人? まあどっちだっていいわ。ディック? ディックに何の用事なの?」
彼女はすっと顔を上げて、鷹の方を見る。どうやら説明はこちらにさせた方が良さそうだった。
「確か彼、貫天楼の工事監督と知り合いと聞きました。貫天楼に危険が迫っている。ぜひ彼を通して、危険を知らせたいんだ!」
「危険」
ドーソン女史は、その言葉を繰り返した。
「危険って」
「爆発物が、仕掛けられた可能性が高い。しかもその犯人の狙いは、帝都から来る皇族だ」
「ちょっ、ちょっと待ってよ……」
いきなりそんなことを言われても、と女史は頭を抱える。
「いえあなたにどうこうしろって訳じゃないんです。ただ、だから、工事監督に知らせなくてはならないから、とにかく、ディックに知らせたいんです。教えてください」
「え、ええ……」
女史は大慌てで、ディックの現在の居場所のメモに目を移した。そして数字をたどりながら、通信の№を入れる。
「あ、もしもし?」
「な、何だって?」
通信の端末の向こうからの知らせに、ディックは大声を上げた。その時彼は、やっと立ち退きが完了して、工事に入りつつあった地雲閣の事務所に居た。
彼はぱっとシェドリスの方を向くと、ぱたぱた、と手招きをした。シェドリスは何だ何だ、という様に見ていた書類を置く。
「一体、それは誰が言ったの、女史」
『えっと…… ほら、この二人』
女史は身体を斜めにして、二人を画面に入る様にする。
「君は」
「君は」
二人の声が重なって、ディックは反射的にシェドリスの方を向いていた。視線が急に合ったので、ディックは驚いた。そして黙った。
だが更に驚くことに、シェドリスは次の瞬間、ディックをその場から押しのけたのである。
「シェドリス……?」
「どういうことだ、君!」
その声に返す声が、画面の中から聞こえる。確かこれは、オリイの連れだった男だ。あの特徴のある声には聞き覚えがある。
『ホッブスを覚えている?』
「ああ。ここへ来て、最初に行った。理由は判るだろう?」
「ホッブスに、会っているのか? シェドリス!」
「今君とその話をしている暇はない。……ああ君、それで、奴がどうした?」
『奴が組んでいる奴らが、貫天楼に爆発物を仕掛けたらしい。店に余りの時限発火式がごまんとあった。あれを余り、と言うとしたら』
「……何処に仕掛けたか想像がつかん!」
『俺は別に皇族が死のうが何だろうが知ったことじゃないし、それはあんたもそうだろう。だがこのままでは貫天楼が爆破される。それだけはあんたは阻止したいだろう?』
「……君に言われるのは非常にしゃくだが、確かにそうだ。僕もユタ氏がどうなろうが知ったことではないが、あれが壊されるのはたまらなく嫌だ」
『そりゃあんたは、そうだろうな』
画面の向こうの男は、やや意地悪そうに笑った。
『あれはあんたとサーティン氏の記念だからな』
何だって?
ディックは目を思い切り広げた。
『いい加減潮時だ。あんたはディックに言った方がいい。あんたはシェドリスじゃない。そして』
「やめろ!」
ばん、と彼はデスクを叩いた。小型の端末は、その震動でぐらり、と揺れる。
「なるほど言わされるのは好きではない。だが、他人に自分のことを先に言われるのはもっと嫌だ」
『損な性分だね、お互い』
「言われたくないね、第七世代君」
何の話だ、とディックは思った。この目の前に居るシェドリスは、シェドリスではないというのか?
もっとも、その名前が果たして本当にその人間を指すのか、というのはひどく曖昧なものである。そう言われて初めてその人間は「そう」なるのだ。
自分だってそうだ。ディックと名乗ってはいる。確かにその名前と同じ名前を持っていた。だがここに居る自分はかつてここに居たディックを名乗っているのだ。
「そうだディック、僕はシェドリスじゃない。君が昔会った、シェドリス・Eは僕じゃあない」
「……それじゃあ君は、一体、誰だと言うんだ?」
「ナガノだよ」
低い声が、背後から聞こえた。
「監督……」
「悪いな、北の外壁の塗装のことについて相談があったんだが…… それどころじゃなさそうだな」
「ええ、それどころじゃあない。すぐに何とかしなければ」
シェドリスはデスクに手をついて立ち上がった。
『協力する。入り口の通行許可を出してくれないか』
「判った。何とかしよう。……僕らも急ごう。……あ、ディック、君は残ってくれ」
「何で俺が!」
ディックは思わず叫んでいた。
「ここまで来て、つまはじきっていうのか?」
「……いやそうではない。……だが危険なんだ。君が向こうに行ったところで、何もできない」
「何だよそれ」
ひどく腹が立ってくる。ぷ、と通信回線を切りながら、それでも冷静な顔をしているシェドリスに対して、ディックはひどく腹が立ってくるのを感じた。
「それに、何だよ、俺はまだ君が何であるか、も聞いていない」
「記者さんよ」
サイドリバー監督は、腰に手を当て、重い声で彼を止めた。
「今はそんなこと言ってる場合じゃあないだろ? そんな話は後でもできる」
「ディック、俺は君に必ず話す。それに僕はまだそれ以外にも君に告げなくてはならないことだってある。だから、君はここで待っていてくれないか。ここには誰かしらいないと困るんだ」
そしてシェドリスは、彼の両肩に手を置いた。
「判って欲しい」
薄青の瞳が、真っ向から彼を見据えた。ディックは黙ってうなづいた。