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第7話 G君、自分に対する視線に気付く

 やれやれ、という気分でGは店の扉を開けた。

 朝もここで食事して、昼もまたここ、では芸が無いが、彼は一所に落ち着く場合、食事の場所をある程度固定させる趣味があった。それはあの「後宮」の惑星でもそうだった。あの時には彼はイェ・ホウの中華料理店にちょくちょく通っていた。時には泊まっていた。

 ここがそういう場所になるかどうかはまだ判らなかったが、ともあれ、ここが常連も多く、毎日安定した客が入る「普通の」店であることは間違いなかった。情報収集にはこういう店が一番いいのだ。

 カウンターにかけると、置かれた氷入りの水をぐっと飲み干す。きゅうっ、とその冷たさが、喉にしみいる。


「お疲れ。大変だったろ?」


 店主タバシは一杯飲んで、とん、とその場に彼が置いた杯にお代わりの水を注ぐ。からん、と氷が動く音がした。ああ暑かった、と彼はその杯を頬に当てる。今日は深い青だった。その色はGにあの海の色を思わせる。


「大変?」

「銀行強盗。ちょうどかちあったんじゃないのかい?」

「よく知ってるね」

「ラジオでやってたからね」


 そう言ってタバシは棚の上に置かれた大きな受信機を指す。木製のボディに大きなスピーカーのついたそれは、今は何も語らない。


「今はつけてないんだね」

「ここのラジオ局はずっとやっている訳じゃあないもの。昼ごはん何にする?」


 話を聞いていたらしく、調理場から白い作業着を羽織ったイアサムが大きな木杓子を手に問いかける。


「いつもやってる訳じゃない?」

「何も放送しない時間が多いんですよ。朝時間の中の六時間、とか。それがいつなのかさっぱり判らないから、下手すると一日中何も流さない日もある」

「へえ」


 そう言えばそうだったかな、と彼は思う。


「だからスイッチはいつも入れっぱなしなんですがね。…それがさっき、いきなりがりがりとやりだしたから、何だと思ったら、都市警察からの知らせだったという次第」


 なるほど、と彼はメニュウブックを広げ、粒子の粗い写真を見てその一つを指した。


「あ、それね。だったらすぐできるから、ちょっと待って」


 イアサムはそう言って再び中へ引っ込んだ。


「ミントティでも如何ですかね」

「まさか甘くしてないだろうね」

「甘いですけどね。でも慣れますよ」


 反論する気も無く、Gはそれでいいよ、とミントティを頼んだ。水の入っていた杯を取ると、それをさっと流し、店主はそこへミントティを入れた。銀色のポットに入った熱い茶が、杯の中にこれでもかとばかりに詰め込まれた氷の上にざっとかかる。するとその瞬間、さっとさわやかな香りが漂い、しゅんと音がした。

 甘い、と口をつけた瞬間彼は思った。だが不思議と、その甘さは気にならなかった。この暑さのせいだ、と彼は思った。この暑さが、強烈な甘さを平気にさせてしまうのだ。


「ところでお客さん、あの方はお知り合いですかね」


 タバシは小声で彼に問いかけた。何、とGは返す。


「あれですよ、あれ」


 窓際の席をタバシはそれとなく指す。ちら、と彼は後ろを向いた。


「そういえば何か入った時から妙な視線を感じてたけど」

「それは鋭い。何か入ってきた時からあのおにーさんは、お客さんのことを見てましたよ」


 何だろう、と彼は首を傾げた。

 見覚えは… さっぱり無い。しかも割といつも何かしらに感じる、通りがかりが自分に対する視線とも違う。

 そもそも彼は自分が他人から注目を受ける容姿だということは自覚している。その姿形がとりあえず周囲一般よりは整っていること、何処かしらその動きが人を引きつけること、声がどうも色気があること。

 そういったことを自覚しているからこそ、それを利用して彼は何かと今までのトラブルに対応してきたのだ。

 それが努力して身につけたものではないから余計に、武器としなくてはならない。努力して身につけるものというものは、隠すことがそう難しくはないが、もって生まれたものというのはそれが難しいものである。今更自分を醜悪に見せようとは彼はこれっぽっちも考えていなかった。

 しかしそれはさておき、そういった周囲の視線と、どうも今自分の背中や首筋あたりに漂っている感じ、は何処かが違う。何が違うか、というと彼もまた説明がしにくいのだが… 何かが違うのだ。


「どうします?」

「どうしますって」

「その気がありそうですかね」

「別に俺はその気が全くない訳じゃあないけど、全く知らない奴と節操なしにする訳じゃあないよ」

「そうなんですか?」


 そう、と彼はうなづく。別に隠す程のことではない。

 けど。


「そう見える?」

「うーん… そう見える、という訳じゃあないですが」


 やや歯切れが悪い。と、中から大きな皿を持ったイアサムが出てきて彼の前に料理を置いた。


「というよりは、サンドさんは、何か誰からも一度してみたい、って感じにさせるんじゃないの?」

「は?」


 くすくす、とイアサムは笑みを浮かべる。


「言うねお前」

「だって、そう思うもん。タバシあんたはそう思わない?」

「うーん…」


 タバシは少しばかり考え込む。無意識だろうか、口ひげを何度か撫でる。そのひげを見ながら、そういえば自分の同僚にもそういう人物がいたよな、と今更の様にGは思い出す。

 「伯爵」と呼ばれている彼の同僚もまた、いつもひげを絶やさなかった。彼は場合に応じて姿を変え名前も変えるのだが、「伯爵」という称号とそのひげだけは消すことはなかった。

 そう考えているうちに、「伯爵」という存在イクォールひげ、と一瞬彼は思いついてしまい、ぷっと吹き出した。


「…そ、そんなおかしいかな」


 タバシは自分のことを笑われたと思ったか、慌ててGに訊ねる。違うよ、とGは手を振る。


「知り合いのことをちょっと思い出してさ」


 そう、知り合い。「同僚」の中で、おそらく伯爵は、Gにとって一番馴染み薄い存在であるかもしれなかった。

 確かに事あるごとにその屋敷に滞在して話をすることはあったが、かと言ってあの連絡員の様な親密な関係になることはない。それが遊びであっても、意味があっても無くても。

 何となく、そこには距離を感じるし、別に近づけようと思わなかった。

 何故だろう、と彼は思う。

 これが連絡員の愛人でもあるあの中佐だったら予想がつく。Gはあの自らを盟主の銃と呼んではばからない男に関しては、ある種の敬意と同時に距離を置いている。敵には回したくない、とその戦いぶりを見るたびに思う。コルネル中佐には迷いが無い。

 「盟主のため」という大義名分は連絡員と変わらないし、連絡員の方がその思いは強いと思われるのに、その行動の迷わなさに関しては、中佐の方が連絡員よりずっと強い。

 もっとも、中佐は連絡員がどうこうした、という場合においては、何よりも情が先行している様な気がするのだが… まあ彼も胸にぐっさりとあの長い爪が刺さるのはごめんだったので、それを口にしたことはない。

 ある意味一番「いい同僚」なのかもしれない、と時々は思う。「仕事」の面では信用ができるのだ。無論それだけに、その標的が自分になった時には一番恐ろしいのだが。自分が天使種でなかったら、確実に殺されるだろう。いや、天使種であっても、本気で来られたら、自分に勝ち目はないだろう。

 「伯爵」は。

 彼がヴァンパイアだ、ということはGも聞いている。それ故に、天使種でもない生身なのに、盟主とは長いつきあいなのだ、と。

 ヴァンパイアのことは彼はよく知らない。いや、この時代、「吸血鬼」の伝説は既に無いと言っても良い。だからGにしても、伯爵が自分の正体を告げた時も、だからそれがどうした、という感じが無くもなかった。それは相手にとってはやや不本意な反応かもしれない。しかし仕方が無い。

 伯爵によると、彼が吸い取るのは血液ではなく、精気なのだという。だったらあの内調局員の相方であるシャンブロウ種と何処か近いものがあるのだろうか、とも考える。

 だが伴侶によってその生存年数が違うシャンブロウ種とはやや違う様にも思われる。それに、そもそもシャンブロウ種が天使種の軍によって狩られたのは、それが「融合型」の進化を遂げた種であったからだった。

 天使種は自分たちもまたその「融合型」であったことから、同様の進化を遂げた種族を狩った。

 だとしたら、そもそも系統が違う生物だ、ということも考えられる。位相の違う生命体なのかもしれない。たった一人の。

 考えてみれば、そんな者ばかりではないか、とGは思う。彼らMMの幹部構成員は、普通の人間とはかけ離れている者ばかりだった。能力がどう、という以前に、生物として。

 その「違う」部分が、人を引きつけているのだろうか。Gは時々そう思うのだ。

 もっともそれは「時々」である。いつもそんなことを考えていたら、動きがとれない。その件について、大切なことは、とにかく自分は何かと見られる存在である、ということである。

 食事が大半終わっても、何やら首のあたりに視線を感じる。しつこいな、と彼は思った。

 だから、食べ終わった時、彼は席を立った。



「おいもうそろそろ戻ろうぜ」

「…いや、もう少し」


 ネイルはいい加減時計を気にし出す。


「そろそろ始まるぜ」

「あ、ああ…」

「俺は別にいいんだけどさ、お前は祈りの時間じゃなかったっけ?」


 日が中天に差し掛かる頃だった。店の中でスイッチを入れっぱなしなラジオからがりがり、と音がし始める。


「五分前だぜ」


 けたたましい、何処か古めかしい音楽がやがて流れてくる。この音楽が終わるまでに、祈りの体勢をとらなくてはならないのだ。

 元々の発祥の地では一日に五回行われていた祈りも、宇宙に出てからはその回数は場所によりまちまちである。この地でも、今では朝と昼と夕べにしか行われない。だがそれだけに、その時間には、その信仰を持つ者は真摯な姿勢で行う。

 かつては聖地の方角を向いたというが、今ではそれは無い。聖地ははるか彼方の、人類が捨てた惑星である。それを求めて行く者も無い。よって、現在の祈りの方角は太陽にある。


「…ちょっと出てきます」


 ムルカートは立ち上がり、外へ出た。外にもまた、あちこちに取り付けられたスピーカーにより、けたたましい音楽が鳴り響いている。

 残されたネイルは、杯に半分残った自分の飲み物をすすると、窓の向こうに居る相方の様子を眺めていた。信仰を持たない者にとって、その行動は不思議と言えば不思議である。


「よくやるよな」


 ふと、そんな言葉が口から漏れた時だった。


「やっはりそう思います?」


 低い甘い声が、ネイルの耳に届いた。


「おや」


 にこやかに笑う青年が、ネイルの目の前に立っていた。Gだった。


「何か、俺に御用ですか?」

「いや、あなたのお連れの方が、俺に御用なのではないですか?」

「連れが?」


 ちら、とネイルは窓の外を見る。外でも内でも、ラジオから祈りの声が流れている。頭を地面にすりつけるようにして祈る相方の姿がネイルの視界に入った。


「そうなんですか?」

「ずっと、見られていたような気がするんですが」

「なるほど。でも彼はあの通り今祈りの最中なので、少し待ってくれませんかね?」


 にこやかにネイルは笑い、今まで相方が座っていた席をすすめる。人懐こい笑いだ、とGは思う。初対面の相手が一発で気を許してしまうような、無邪気にすら見える笑いだった。

 どうぞ、と場所を変えたGに、イアサムはとん、と飲み物を出す。


「そちらも、何かもう一杯如何ですか?」

「いや、仕事中だし、相方が戻ってきたら、出るから」

「かしこまりました」


 手を胸に置いて、イアサムはそのまま奥へと戻っていく。


「でも確かに、何かあなたが入ってきたあたりから、彼は気にしてましたね」


 ネイルはさらりと言う。そうですか、とGは答えた。


「仕事中なのですか?」

「ええ」

「差し支えなければ、何のお仕事か…」

「都市警察ですよ」


 ひら、とネイルは服の裏地を見せた。白い、そのあたりで皆が着ているような服なのに、裏地に、刺繍で縫い取りをした布を貼り付けている。


「取り外しができるんですがね」


 そう言ってぱち、と取り付けているスナップを外してみせる。Gはその動作にくす、と笑う。


「旅行の方には、ここの習慣は奇妙に見えませんか?」

「そうですね。確かにこんな風に祈りを捧げるところは、さすがに俺も見たことはない」

「ここだけですね」

「そうなんですか?」

「今では対象が一つである宗教なんてものは、殆どの地ではないでしょう?」

「そういうものですか。よくご存じですね」

「いや、俺も聞いた話です」


 さらり、とネイルは答える。


「でも、今はその対象が、神ではなく天使に移った、ということなのかもしれませんね」


 Gはその言葉にふと眉をひそめる。


「ああ、ちょっと口がすべった。内緒ですよ」


 そしてまた人懐こい笑みを浮かべる。Gもまた、それにつられて口元がゆるむ自分を感じた。

 最後にベルの様な音が響いて、ずっとひざまづき、頭を地に付けていた人々が立ち上がる。店の外で祈りを捧げていた客が一人二人と戻ってきた。

 その人々の列に混じって戻ってきたムルカートは、視界に入ったものに気付くと、思わず目をこすった。

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