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第8話 連絡員の無意識の迷い、流されようと感じるサンドリヨン

「どうよ」


とにこにこしながら連絡員は相手の杯に飲み物を注いだ。


「さあて」

と注がれた相手はそれを取ると、わざとらしくゆっくりとストローですする。


「どう向こうが出るか、が問題だよな」


 白い布の下で、赤い髪が影の様に揺れる。似合わないと言えばこれほど似合わない格好は無い、と連絡員は自分の愛人に対して思う。

 自分は、と言えばそのあたりは棚に上げているが。まあまんざらでもないな、と中佐は思っていた。何故かこの連絡員は、軍服もこんな地方の衣装もあっさり馴染ませてしまう。


「それで、表向き、あのコテージの奴は何なのさ」

「表向き、はただのリゾート野郎さ。それは確かだ。見事なまでにな」

「裏向きは?」

「まあ俺の表の仕事的には、あの家主は今この惑星内で広がりつつある『逃がし屋』の疑いがかかってるらしいな。付け足しのようにさ。都市警察の資料にはそうあったが」

「逃がし屋、ね。それは多少不穏だな」

「多少な」


 ずず、とわざとらしく中佐は杯の中身を吸い尽くした。そしておかわり、と目の前の自分の愛人にそれを突き出す。


「それも女専門だ」

「となると、二つ意味が出てくるね」

「ああ」


 人混みの中での会話はごく小さな声か、時には声を立てずに行うのが、彼らの常だった。


「一つは、経済的側面… これが広がれば、踏み倒すのを前提に、女を担保に金を借りる者が増える、ということ。もう一つは、それまでの意識が変わる、ということかな」

「いずれにせよ、あまりこの惑星には都合のいいことじゃねえな」


 そうだろうね、キムはうなづく。


「この惑星は、このままであって欲しい、というのがMの考えだ」

「そうらしいな」


 それが何故なのか、はこの二人の口からは決して出て来ない。取り立ててその理由は必要なことではないのだ。Mの要望であるなら。


「ただし今回はさすがに帝都政府の利害とも一致するな」

「それは仕方ないでしょ」


 当たり前の様にキムは言う。


「仕方ない、か?」

「そう。仕方ないんだよ」


 なるほどね、と中佐は肩をすくめる。彼は彼で、M率いる「MM」という反帝国組織と帝都政府との絡まりに気付いてはいた。それが矛盾する関係に一見思えるようなことである、ということも。


「あんたはさ、いいね」


 テーブルに両肘をついて、キムはやや身体を乗り出す様にして手の上にあごを乗せる。


「何を今更」

「あんたは迷わないからさあ」

「俺は、ということは、誰かさんは迷ってる訳かよ?」

「迷ってるね。我らが可愛い同僚君は」

「Gか」


 キムはうなづく。


「彼、今ここに居てね。強引に動こうとすれば動く術なんて幾らでもあるくせに、何かと理由つけて動かないんだぜ」

「ふうん?」


 もう一杯、と更に杯を突き出す。キムは呆れて、ポットのふたを開けてみせる。中身は既に空だった。仕方ねえなあ、と中佐は手を挙げて、カフェの店員にポットの代わりを求めた。


「聞いてくれる?」

「お前が言いたいんだろ?」

「確かに。俺が言いたいんだね。じゃあ聞いてよ。あいつ、例の奴と寝てたんだ」


 だから? という様に中佐はその金色の瞳で続きをうながす。


「今ここで、じゃないよ。こないだの仕事の時。惑星ペロンでさ」

「…」


 中佐は腰のベルトにつけたポケットから煙草を取り出す。

 それはいつもの強いものではない。一応この土地のものだった。紙巻きとしてはポビュラーなものだった。それに黙って火をつけて、彼は連絡員の話を聞いていた。


「何か、あんまりじゃない、って感じがしたのよ」

「あんまり、ねえ」

「なんかひどく、嫌な感じがしたんだけどさ」

「ふうん。それで、キム君としては、裏切り者をどうしたいと思った訳?」

「どうしたものかな、と思ってる」


 ふう、と中佐は煙を吐き出した。


「相手の方を見つけだして殺れ、とは伝えておいたけどね。こんなことが続く様だったら、奴自身が殺られるのを待つみたいなもんだよね」

「別に俺は奴がどうなろうが知ったことじゃねえがな」


 くい、と半分吸いかけた煙草を皿に灰皿に押しつける。


「別にいいじゃないか。裏切ったなら、始末したらどうだ? マトモにやりあえば、お前の方が勝てるだろ」

「どうかな。俺には時間制限があるし」


 それだけじゃねえだろう、と中佐は言おうと思ったが、やめた。

 結局、キムはGを殺したくなどないのだ。簡単すぎる程の答えが、この自分の愛人の言動一つ一つからこぼれているのが中佐には判る。気付いていないのは、本人だけなのだ。厄介なものだな、と中佐は思う。

 ある意味、Gより板挟みなのはこいつなのかもな、とわざとらしい程にずるずる、とストローでコップの底の底まで吸い尽くしてしまいながら彼は考える。

 こんなことをしても、大して嫌そうな反応を示しもせず、ただ曖昧に笑っているだけ、というのは、このレプリカントにしては重傷だった。

 中佐は盟主MとGの関係については良くは知らない。自分が生まれる以前の過去のことなど、全く知らないし、知る気も無い。彼にとって大切なのは、現在であり、現在が連続して形作る未来でしかない。

 過去何があったか、などということは大した問題ではない。本当に大切な過去だったら、それは現在に確実に反映させるものであり、自分があえて探らなくても勝手に向こうから姿を現すものだ、と中佐は思っている。

 現に、この目の前の愛人に関してはそうだった。

 このレプリカントの過去は必要だったから彼の前に姿を現した。そういうものなら、中佐は真っ向から受け止める。逃げるつもりもなければ、避けるつもりもない。そこにあるのはまぎれもない現実であり、避けようが逃げようが、いつか自分が相対するものだからだ。

 そして、その結果として自分という存在が完全破壊されたとしても、それはそれで致し方ないことだ、とも。

 もっとも中佐はせっかく地獄の手前で引き戻されたのだから、できるだけしぶとく自分は生き抜いてやろう、とは考えているが。

 ただ彼は、前からやって来るものから逃げていたところで仕方が無い、と思うのだ。必要なものなら、どんなに時間をかけたところで、いつかは真っ向からやってくるものなのだ。

 Gはそこからずっと時間を稼いでいる様にしか彼には見えない。実際、中佐はGと盟主Mが相対している所を殆ど見たことが無い。というより、記憶を取り戻してからこのかた、GはMと顔を合わせたことが無いのだ。

 故意的に避けている、と連絡員は中佐に言ったことがある。

 間接的だ。連絡員の追跡を避けている、というのが中佐の聞いた内容の全てである。だが彼らの地位において、そんな行動をとること自体、危険なものであるのは間違いない。それでもMはそれを大目に見、キムはその都度探しに行く。

 まるでそれが必要であるかのように。


「別に俺はお前の仕事、には口出す気はねえがな」


 中佐は自分の斜め前の愛人の頬をくっ、と自分の方へ向ける。


「仕事だ、と思うならそのつもりでやれよ」

「それは」

「俺は、電波の届かないところまで行ってやる訳にはいかないんだからな」

「…」


 きら、と中佐の首に下がったペンダント状のものにキムは目を留めた。それは発信器である。エネルギーの急激な放出によって、自分が起動できなくなった時の、危険信号を発する。

 結局、この同僚兼愛人は、ぶつくさ言いつつも、いつでもそれを果たしてくれる。命令もあるだろうが、それだけではないことも、キムはよく知っていた。命令だけで、わざわざ表の仕事を慌てて片付けて裏の同僚のために何はともあれ駆けつけてくるなんてことはないだろう。

 だがそれは口に出さない。かわりににやり、とキムは笑った。


「俺はよくばりなんだけど。それでいいのかな。敵さんはやっつけてしまいたい。Gは手元におきたい。あんな見てて楽しいのは滅多にいない」


 ふふん、と中佐は両の口の端を上げる。


「上等」


   *


「いつまでそんな変な顔してるんだよ」

「俺が変な顔してようがネイルには関係ないだろ」


 ムルカートはそう言ってぷい、と横を向く。


「いいじゃないか。お前がずーっと店で気にしてた奴とせっかくお近づきになれたことだし」

「だから…」


 ムルカートはそこまで言って、言葉に詰まる。この同僚に説明してもいいのだが、どう説明したものなのか、彼は非常に困っているのだ。

 はっきり言えば、彼はこう言ってしまえばいいのだ。「前の仕事で、追跡していた相手の知り合い」。それだけで説明は終わるのだ。何もその追跡相手と、今日お知り合いになってしまった人物が何をしていたか、なんて特に喋る必要はないのだ。

 ところがムルカート自身、その光景を見てしまった自分、見とれてしまった自分にこだわってしまっていた。だからつい、それ以上の説明をしなくてはならないのではないか、という強迫観念にかられていて――― しかもそれに気付いていない。

 あの時、祈りの時間が終わって店に戻って来ると、何故か、それまでずっと気になって気になって仕方が無かった人物が、自分の席に堂々と座っていた。しかも同僚と結構仲良く話している。

 これは何ってことだ、と思わず席の横で立ちすくんでいたら、相手はにっこりと笑って、席を取ってしまって申し訳ない、とばかりに低い甘い声でムルカートに話しかけた。

 しかも同僚はこんなことを言うからたまったものではない。


「ほらやっぱり硬直してる」

「やっぱり、ってどういうことですか?」


 あくまで穏やかに、相手は同僚に問いかけた。何故こんなにスムーズに会話ができているのか、さっぱり判らなかった。祈りの時間のほんの僅かな間だというのに。


「こいつね、ずっとあなたが店に入ってきてから気になってたようですよ」


 すると相手はこう言った。


「そんな気がしてましたよ」


 そしてムルカートの方を向くと。


「俺に一体、何の用がありますか?」


 それから自分が何を口走ったのか、ムルカートにはいまいち記憶が無い。

 はっきりしない。いや、無論、仕事で監視していたとか、どんな現場を見てしまっていたとか、そんなことは決して口には出していないと彼は思う。それだけは。そんなことは間違っても口には出さない。出さないぞ、と彼は決意していた。

 だから、代わりにこんなことを言った様な気がする。


「いや、ずいぶんと目立ったから…」

「そんなに目立ちますか?」


 視線が流れて、自分の上に注がれる。花の咲いた様な笑み。低い声は明らかに男のものなのに、どうしてこうも甘く感じられるのだろう。


「目立ちますよ。…ええ。たぶん」

「ふうん」


 それだけ言って、相手はゆったりと二度、うなづいた。

 その様子にぼうっとしていると、同僚はさらりとそこに水をさす。


「おいムルカート、俺そろそろ行くけどさ、お前も少しこの人と話してくか?」

「仕事中なのでしょう? あまりさぼってちゃいけませんよ」

「ええ! そうですよね」


 ムルカートは即座に立ち上がっていた。心の何処かが危険信号を発していた。吸い込まれそうだ、と彼は感じていた。青い、その瞳に、じっと見つめられると、自分の意識が全部その中に吸い込まれて行くのではないか、と思ったのだ。だがそれが何を意味するのか、ムルカートはさっぱり気付いていなかった。

 動揺を気取られないように、と慌てて出て行こうとすると、背中を、ふんわりとした口調の声が抱きとめた。


「まだしばらくこの惑星には滞在しますよ」


 だからどうだと。


「たぶんしばらくはここで食事をするでしょうね」


 だから。



 都市警察の本部へ戻ってきてからも、ムルカートの中では、あの「誰か」の声が頭の中でぐるぐる回っていた。青い瞳が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。

 しかしそれを同僚に言いたくはなかった。それがどういうことなのか、彼には具体的に自分にも説明できなかったが、同僚に言ってしまえば、それがからかいの種となるのは見えていたのだ。


「それにしても、綺麗な人だったよな」


 なのに追い打ちをかける様に、同僚はこんなことを切り出す。


「名前」


 え、とムルカートは同僚のその言葉に反応する。


「あのひとさ、お前名前聞いてなかっただろ」

「あ、そういえば…」


 そしてはっとする。


「別にいいじゃないか。聞かなくたって」

「だけどなー、俺だってあんな綺麗な人の名だったら覚えておきたいと思うぜ?」

「え、ネイルもそう思う訳?」

「俺だけじゃないだろ。誰だって、なあ」


 うーむ、とムルカートはそう言われて考え込む。誰でもそう思うくらいだったら、自分がそう思ってもおかしくはないのではないか。


「そう言えば、もうしばらく滞在するって言ってたなあ」

「…」

「お前また今度行ってこない?」


   *


「妙な人だったねー」


 あははは、と笑いながらイアサムはGに向かってそう言った。

 あれからずっとあのカフェに居て、長い昼をずっと彼は過ごしていた。外に出ても暑いだけなのだ。だったら、幾ばくかの街の情報を耳から受け取りながら、ここでゆっくりと時間を過ごしていたい、とGは思っていた。

 昼は長い。そして暑い。暑いのも湿気が多いのもそう苦ではないが、積極的にそんな中に居たい訳ではない。

 昼の祈りが終わってから、日が沈む頃までは、さほどに店主も調理人も忙しくはない。やって来る客といえば、やはり彼同様、この長い午後を茶や冷たい飲み物を口にしながらの会話に費やす者ばかりなのだから。

 こんな客ばかりでは商売上がったりではないか、と彼など思わなくもないが、朝は朝で食事を取りに来る者も居るし、日が沈む頃になれば、またそこで仕事帰りの男達がやってきたりする。それに、やはり宗教上の関係で、時期によっては、昼間はまるで食事をしないこともあるらしい。なのでもともと、「昼時間」はさほど商売には身を入れないものなのだ、という。

 そんな長い昼は、店主と調理人の息抜きの時間でもあった。その時間を、二人はこの「旅行者」を相手にすることで楽しんでいるようだった。


「妙かなあ?」

「妙だよぉ。あんなに露骨にサンドさんに興味ある顔しておきながら、ぜーったい認めたがらないの」

「そうかな」

「そうだよ。ねえタバシ」

「そうでしょうな」


 ふうん、とGはカウンターにひじを付きながらうなづいた。

 まあそういうこともあるだろう、とは彼も考えていた。

 ただGが気になっていたのは、そのことではない。自分に目を留める者が居るのはいつものことだ。だからそのことではないのだ。

 あの男――― ムルカート、とその相棒が呼んでいたが、彼がGを見る目は何処か戸惑っていた。それがGの醸し出す魅力とか、そんなもののせいだったら話は早いのだが、どうもそれだけではない様にGには思えて仕方ない。

 根拠は無い。勘である。しかし、勘は勘でも、経験に基づいた勘である。誰がが自分を見ている、という感覚はしばしば味わっている彼であるからこそ、その視線の差に気付くのだ。


「気になるなら、また会えばいいじゃない。そのつもりで、サンドさん、あのひとにああいうこと言ったんでしょ?」

「まあね」

「妬けるねえ」


 へ、と彼は思わずイアサムを見た。


「何なのその顔」

「いや、別に」

「あ、俺が子供に見えるから、変な感じなんだ。でしょ」


 図星である。確かにイアサムから、外見と中身は一致しない、と言われてはいる。それは自分に関してもそうなのだし、考えてみればおかしくはないのだが…

 やはり自分や、自分の同族以外の者でそんな例を見ると、やや不思議に思いに駆られずにはいられない。ましてや、成人しない状態では。

 彼ら天使種は、たまに例外はあるが、その能力を最も引き出しやすい年齢で成長も老化もしなくなるので、たいがい成人した状態で止まる。少年少女の姿で止まることは滅多にない。


「損だよなあ」


 ふん、とややふくれっ面になりながら、イアサムはカウンターの、Gの横の席に座り、やはり頬杖をつく。


「そんなことないよ」

「そうかなあ?」

「ああ」

「ふうん」


 子供の様に見えるのも、そう悪くはない、とGは思う。普段だったら自分には無い感情が、ついついこの「少年」を見ていると、湧いてくる様な気がするのだ。


「何見てるの?」


 イアサムはそんな彼の気持ちに気付いてか気付かずか、Gの顔をのぞき込む。


「いや、可愛いなあ、と思って」

「やだねえ」


 露骨に顔をしかめる様さえも。


「本当にさ、子供じゃあないんだぜ?」

「ふうん?」


 目を細めて、Gはつ、とイアサムの頬に指を伸ばした。その先に、するりとした感触がある。本当に、若い肌だ。だがその指を、相手は不意に握った。


「本当に。冗談じゃないんだよ?」


 Gは何も言わずに笑みを浮かべるだけだった。その言葉にじれたのかどうなのか、イアサムはやや不敵そうに口元を上げた。


「試してみる?」

「いいのかい?」

「そう言われてばかりじゃ俺もつまらないもん。俺だってサンドさんのことは結構好きだし」

「結構、かなあ」

「じゃあかなり」

「も少し」

「すごく。すごく大好き。どう?」

「どんなとこが?」

「綺麗だし。声がいいよね。何かあんたの声は、背中を撫でられてる様な気がするんだ。俺の気のせいかなあ?」

「さあどうだろうね」


 声をその様に言われたことは、彼の今までにはそう無い。声と言えば、あの旧友を思い出す。今はもう、敵でも味方でもない立場の、ずっと一緒に居続ける相棒を見つけてしまった、旧友。かつての恋人。

 旧友は、自分の何処かをとろけさせ、力を無くさせてしまう声を持っていた。それが自分のみに効力を発するのか、そうでなく、誰にでもそれが効くのか、実のところは判らなかった。もっともあの旧友は、もし誰にでも使えたとしても、使おうとはしなかったろう。そういう相手だった。

 自分は。Gは思う。この声は、目の前の「少年」を落とすことができるのだろうか。

 危険な誘惑だった。


「今までに、こういう声の男には、会ったことが無い?」

「声そのものは似てる奴も居たかもね。でもあんたの様に、何かこっちの奥の奥まで入り込んできそうな声じゃあなかったよ。あんただから、ということかな?

 サンドさん」

「どうかな?」

「はぐらかさないでよ。俺は結構、かなり、思いっきり本気だけど」

「ありがと」


 そう言って、Gは自分の手を掴む相手の手を取って、その指に軽くキスをした。唇に、やや硬い皮膚の表面が当たる。


「傷だらけだね」

「そりゃあ、調理人はいつも傷と隣合わせだからね」


 ふうん、とGは首をかしげる。


「…でもそろそろ、内緒話を終わりにしないと、仕事にならないかもね」

「じゃあ続きを何処かでしようよ」

「仕事が終わったら? いいね」


 ちら、とイアサムは店主の方を見る。聞こえているのか、いないのか、タバシはのんびりと時々聞こえてくるラジオの音楽に耳を澄ませているようだった。どっさりとした打楽器の音の上に、何処かもの悲しいメロディが乗っている。時計の針が進むにつれ、ねっとりと、色濃くなってくる陽の光に、その音は溶け込んでいた。同じ調子で続くリズムは、ひどくやかましいものなのに、次第に気にならなくなってくる。


「君は。イアサムは何処に住んでいるの?」

「この店の、上。タバシもそうだよ」

「ふうん。じゃあ、仕事が終わったら、俺の今泊まってるとこへ行こうか」


 危険だよ、と自分の中で囁く者は居るのだけど。

 流されよう、と彼は何故か思っていた。

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