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第11話 逃がし屋の巣窟、亜熟果香、彼女達の崇拝するもの

 実際彼は、何がどうなっているのかさっぱり判らなかった。

 同僚が言ったからと言って、どうしてわざわざ彼らの後をついていかなくてはいけないのか、ムルカートにはよく判らないのだ。ただ不審人物であることには変わらないし… 「あの人物」ではあるし…

 どんどん絡まり出す思考の中で、それがいいのか悪いのかさっぱり判らなくなってくる。しかしもし彼が一度頭をぶん、と振って、ややこしい考えを振り落としたなら、答えは一つしかないことに気付くだろう。

 要は、「あの人物」が気になるから、そうせずには居られないのだ。ネイルだって気付いてることに、気付いていないのは当人だけである。


「気付いていたんですか?」

「あんた尾行下手だねー」


 あっけらかんとイアサムは言う。さすがにそう言われてしまうと、面目ない。見張るのには慣れたが、追跡するのは慣れていないのだ。


「ネイルが付いていけ、って言うし」

「それだけ?」


 Gはふっ、と笑う。

 かなり意図的な笑みなのだが、この純情青年にはそこまでは判らない。それがまた、このぼんやりとした薄緑に煙る風景の中で、ひどく似合っているものだから、余計に頭が混乱してきてしまうのだ。


「…それだけ… だと思うんですが」

「ですか?」


 くすくす、とGは笑いながら付け足す。さすがにそこまでされては、ムルカートも多少はからかわれていることに気付く。そしてその様子にGもイアサムも敏感だった。


「ああごめんね。あまり君がマジメで可愛らしいから、ついからかいたくなって」

「…怒りますよ」

「それは困るね。今ここで騒ぎを起こされては、せっかくの場所の相手が逃げるし」


 Gはそう言いながら、両手をぽん、とムルカートの肩に置き、じっと相手の顔を見据えた。


「手伝ってくれると、嬉しいな」


   *


「なぁにやってるんだろーねえ、あいつら」


 ナバタ通りを一望できる最も高い建物である学舎の屋上で、二人の男が地上を見下ろしていた。

 一人は長い栗色の髪を後ろで緩く三つ編みにしている。もう一人は、短い袖にぴったりとしたパンツを履きこなしている。

 言わずと知れた二人だが、今度は完全に旅行者の格好になっていた。


「まあ行くべきとこに行ったって感じかね」

「あ、やっぱ、そう思う?」


 柵の無い屋上の端、うつ伏せになったキムは、その夜でもよく見える目で、三人の男達の行動を眺めていた。

 強い匂いのする煙草をふかしながら、中佐は端の段差に足を掛け、腕を組む。


「で、軍警の側からとしては、実際のとこ、どうなのさ」

「軍警中佐の俺が命じられてきたのは、ここの『逃がし屋』に軍の人間が関わっているらしい、という噂の究明だからな。要は、違うなら違うと判ればそれでいい」

「ふうん。それはそれで単純だね。でも、そんなことが軍には大切?」

「さああ。俺の知ったことじゃあない」

「ふうん。で、ウチの幹部のあんたとしては、何を言われている訳? それとも今回は純粋に軍警だけの用事?」

「…と思ったんだがな」


 中佐は煙草の吸い殻を足元に投げ捨て、踵でぎり、と踏みつぶす。


「違うのかい?」


 キムはにやり、と笑いながら中佐を見上げた。違うんだよな、と薄い唇がそれに答えた。


「当初は、そのつもりだった」

「気が変わった?」

「あいにく、あんなもの引き連れてくれてちゃな」


 長い指が、つ、と下の一人を指す。


「ああ」


 キムは納得した様にうなづく。


「確かにね」


 そして三人が建物の中へと入っていくのを見届けると、二人はひらりとそこから下へと飛び降りた。無論重力制御が多少なりとも靴には掛かっているのだが、それ以上に彼らには行動への慣れがあった。

 そうでなくては、五階あるビルの屋上からあっさりと飛び降りることなどできないだろう。


「それにしても、この街は低い家ばかりだよな」

「見栄えはいいけどね。あんたは嫌い? こうゆうのは」

「いや、そうでもない」


 そう、とキムは答え、そのまま走り出す。三つ編みが跳ねた。

 その横を真っ赤な髪も丸出しに、中佐も走る。本気は出してはいない。彼が本気を出したらキムは追いつけない。それは性能の違いであり、仕方のないことだ、とお互いに納得している。

 しかしそれが全くの仕事であり、必要があるならキムなど抜いて、とっとと現場へとたどり着いているだろう。

 と言うことは、少なくとも半分は道楽だよね。

 キムは内心思う。


「で、逃がし屋ってのは、軍警としては何がまずい訳?」

「逃がし屋自体は、何処にだってあるシロモノだろうさ」


 走りながら、二人は平時と変わらぬ口調で話す。


「ただそこに、もしかしたら、MMが関わっているかもしれない、らしい」

「何を他人事の様に」

「とりあえず俺はそんなことは知らん。おまけに、お前が追っていた男が関わっている、という噂まである。何かおかしくはないか?」

「妙と言えば妙だね」

「とすれば?」


 ちら、と中佐は隣の顔を見る。


「何かが、意図的にその『噂』を流している」


 噂、と軽く言ってしまえばそうかもしれない。

 要は情報、である。何が悲しくて、よりによってあのseraphの幹部が関わっている(らしい)所に、自分達の組織が関わっていると見られなくてはならないのだ。キムはやや不機嫌になる自分を感じていた。


「そんなことして、何か利益があるのかよ」

「まあ、それがどうしようもない馬鹿な集団、だったら、支援している方が馬鹿にされそう、ということはあるな」

「何だよそれ」

「だから逆に、噂、を当人、その集団自体が流しているとも考えられる」

「ハクがつく」

「そういうこと」


 中佐はお、と走る速度をゆるめた。同じ様な白い建物の中で、先ほど見下ろしていた一軒の姿が視界に入ってきたのだ。   


   *


 足音を忍ばせて、三人はそっとその建物の中に入った。

 扉は無論彼らに開いていた訳ではないから、無理矢理開けさせていただいた。

 その手際の良さに、ムルカートは戸惑いの表情を隠せない。Gは小声で、鍵を開けるイアサムにつぶやく。


「さすがだね」

「誉められる程のことじゃないよ」


 二人とも、それが当たり前の様に、くすくす笑いながらそんなことをしている。

 当たり前、のことなんだろうか。ムルカートはどう考えていいか、非常に困る。

 しかし、良く考えてみれば、前の勤務先の署長は、ロゥベヤーガへの赴任を苦笑まじりで告げた。どうしても困ったことがあれば、戻ってくるんだよ、と都市警察の署長にはあるまじきことを言っていた。


「…それにしても、人の気配が無いな」


 Gはつぶやく。確かに、とイアサムもうなづく。それはムルカートにも感じられた。音が、あまりにもしない。ほんの少しの足音すら、響き渡る様に思える。

 扉を開けると、そこはすぐに部屋になっている。灯りも無く、真っ暗だった。人の気配も、音も無い。街灯の明かりが開けた扉から差し込んで、中の様子をぼんやりと見せるが、窓の無い部屋は、それだけでは見渡せない。


「奧に行くんですか?」


 ムルカートは訊ねる。当然だろう、と言いたげに二人はうなづく。


「どうせ来たなら、とことん見なくては意味が無いよね」

「全くだ」


 それはそうなのだろうが。そう思いかけて、ぶるん、とムルカートは思わず頭を振った。

 けどこれは、どう見ても不法侵入じゃないか!


「…ところでそこでごちゃごちゃ言いたいのだったら、君はそこでお帰りね、ムルカート君」

「な」

「そういう気持ちで居る奴に居られると、邪魔なの」


 ずけずけとイアサムは言い放つ。仕方ない、とムルカートは腹をくくった。

 いざとなったら、同僚がそう勧めたと言おうか。そんなことを考える自分が何となく嫌だったが、状況に流されつつある彼には、自分が次第に変化しつつあることに気付かない。

 とりあえずは手探りだった。ぼんやりと足元が見える部分はそのまま進み、次の扉を探す。


「…あれ?」


 誰ともなく、そんなつぶやきが漏れる。甘い香りが、漂ってきた。


「…くだもの?」


 ムルカートはつぶやく。台所が隣にあるのだろうか。


「本物だとしたら、ずいぶんと腐りかけたものが多いんだろうなあ」


 イアサムもつぶやく。確かに、とGはうなづく。濃厚な匂いだった。南国の、果物の香り。

 しかしそれは、この地のものではない。この、乾燥した大地にも根付く木々に実るものでは無い。むしろ、息苦しくなるくらいの緑の中に、鮮やかに赤や黄色の実をたわわに垂らす、そんな。


「…ねえサンドさん、この匂いって、覚えが無い?」

「俺はやったことはないけど、あるよ」

「俺もだよ」


 くす、とイアサムは笑って、目の前の扉に向かって拳を振り上げた。


「息を止めて、ムルカート君」


 え、と彼は思わず問い返す。

 ぱん、と大きな音が響き、扉が開かれた。

 そこから、強烈な程の、匂いが飛び出してきた。 

 む、と思わずGは口を塞いだ。その匂いに覚えはある。そして自分にそれは効かないことも知っている。それでも、ついそうせずにはいられない。そんな匂いが、その広い部屋の中には漂っていた。

 薄暗い、部屋だった。窓もなく、天井に換気扇と通風口があったが、それだけだった。

 その床に、十数人の女が転がっている。寝転がっている、と言った方が正しいだろうか。時々ふらふらと腕や足をしどけなく動かしているところを見ると、眠っている訳ではなさそうだが、ぐったりとして、起き上がる気力は無いようだった。


「…これは…」


 垂らした頭の布を取ると、ムルカートはそれで口と鼻を押さえる。息を止めきってしまう訳にはいかないから、マスク代わりだった。


「亜熟果香だ」


 Gはつぶやく。


「って」

「習慣性のある香だよ。…かなり強い習慣性を持つのに、身体機能にはあまり影響無いから、一時期、ずいぶんと裏で使われたってことだけど」


 やはり頭の布で口をカバーしているイアサムは、多少不鮮明な声で答える。そして彼は、はい、とGにもその半分を引き裂いて渡していた。


「…だあれ」


 寝転がっている女の一人が、まどろみながらも気配に気付いたのか、声を立てる。


「…迎えに来て下さったのですか…」


 女は、顔を彼らのほうに向ける。


「早く、早く、連れて行って下さい…」


 手が、すっ、と伸ばされる。Gは思わず半歩、退く。その手をぴしゃ、とイアサムは振り払う。

 手の代わりに、彼は女の胸元をぐっと引き上げていた。何処からそんな力が出ているのか、屈み込んだイアサムは片手で女を自分の方まで引きつけた。香が女の身体には染みついているのだろう。薄暗い部屋の中でも、露骨に判るくらいにイアサムは嫌そうな顔をした。


「何処へ連れていけばいいんだ?」

「約束の地に」


 するりと言葉が飛び出した。約束の地? Gは聞き慣れない単語に目を細める。


「おっしゃったのは、あなた様ではありませんか… **様…」


 何だって?

 Gは耳を疑った。


「約束の日は近づいております… その時までに、船を用意すると…」


 不意にイアサムは女を転がした。結構強い力が入っていたが、そのまままたまどろみの中に入っていった女には痛みは感じられない様だった。


「驚いているね、サンドさん」

「驚いている? 俺が?」

「その顔の何処が、驚いていないって言うの。だったら、あなたには、あれが見えないということだね」


 イアサムはそう言うと、薄暗い正面の壁を指した。そこには、半身を写したポートレイトに似たものが掛かっている。美しい、非常に美しい、金のくっきりとした巻き毛と、青い瞳を持った、女性にしか見えない…


「イアサム、君は…」

「今日、ここのまとめ役は銀行強盗で捕まったんだよね。だから誰もここをガードする男は居ないんだよ。だから、今しか無いんだよね。それを都市警察も知っている。知っていただろう? ムルカート君?」


 不意に自分に振られたので、ムルカートは戸惑う。彼は全くそんなことを考えてもいなかった。二つの事件につながりなど感じていなかったのだ。


「でもこれで、ここを堂々と捜索できるよ。相棒に知らせたらどう? ぼやぼやしていると、逃げた方の奴がやってくるかもしれない。もっと他に仲間がいるかもしれないよ?」

「あんたは…」

「だから俺は、ただの都市の住民だって」


 ほらほら早く行って、と押し出す様に、イアサムはその場からムルカートを送り出した。わざわざ都市警察の署まで戻ることはないだろうが、外で通信のできる端末を見つけるまで少しは時間がかかるだろう。


「さて、どう思った?」


 するり、とイアサムは口に当てていた布を取り去る。相変わらず、大気の中には強烈な香が漂っている。それは何も変わりはしない。


「平気なの?」


 Gは彼に問いかける。相手のその手が、するりと彼の口に巻かれた布を取り去る。


「あなたが平気な程度には」

「なるほど」


 Gはその手を取る。


「この手に、覚えがあったんだ」


 左手を、右手で握りしめる。


「マーシャイ」


 イアサムはくっ、とGを見上げた。


「いつから、気付いてた?」

「気付いたのは、さっきさ。君の手を取るまで、気付かなかった」

「それはなかなか鈍感だね」


 くす、と彼は笑う。


「俺は結構ヒントを出していたと思うのだけど」

「休暇ボケしていたんだよ」

「それはいけないね」


 そしてふっ、イアサムは正面のポートレイトを見据える。


「本物だと思う?」

「どうだろう」


 Gは曖昧に答える。似ている、と言えば似ている。そのままだ。

 ただ髪の色が違う。印象が違う。


「あれが、マリエアリカの言う『彼女』だよ」

「彼女、ではないと思うんだけどね」

「どっちでもいいさ。女に見えれば。何もその服をはぎとって、玉の素肌を露わにする訳でもないだろ」


 そしてつかつかと奧へと歩み寄ると、イアサムはポートレイトを入れた額を壁から外し、いきなり足元に叩きつけた。

 はっ、とその音に、女達が身体を起こした。だがその視線はのろのろと音の在処を探しているだけだった。何がどう起こったのか、把握できていない。

 把握できたのは、イアサムが、その割れた額のガラス板の下からポートレイトを引き出した時だった。


「…!」


 喉の奧からひゅう、と悲鳴が響いた。

 恐怖は伝染するのだろうか。その声を合図にした様に、女達は、大きなポートレイトを手にしたイアサムに視線を集中させた。


「何を… 何をするのです!」

「何をって?」


 イアサムは、ポートレイトの真ん中を持つ。何をするのか判った一人がやめて、と悲鳴を上げる。だがそんな女達を冷ややかな目で見下ろすと、イアサムは、思い切りそのポートレイトを左右に引き裂いた。

 その中に笑みは無い。

 イアサムはそれを更に二つに裂き、それをまた更に二つに裂いて、ぱっ、と部屋の中に投げた。女達はああ、と声を上げながら、引き裂かれた一つ一つを追い求める。


「所詮は、写真じゃない。どうせなら、本物の誰か様をそれこそ崇め奉ればいいじゃないの。格好悪すぎ」


 イアサムはあっさりと言うと、再び戸口のGの元へ戻る。女達は、ただもう、泣いたり叫んだり、そんなことしか出来ない様だった。

 なるほど、とGはうなづく。


「説明してくれる? マーシャイ」

「喜んで」


 イアサムはにっこりと笑う。そしてGは目の前で起こる出来事に興味も何も無い様に、背を向けた。

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