「結論から言うと、
一拍の間を置いて、マノ君ははっきりと広崎さんが無実であると述べた。
「それはつまり、マイグレーターである第三者の介入があったということか?」
「そういうことです」
相互の解釈に
そして、マノ君がそれに対して解釈違いはないと答える。
「ということは、広崎さんは今無実の罪で捕まっちゃっているってことだよね? だったら、早く釈放してあげないと!」
美結さんが心配そうに声を上げる。
おそらく、その気持ちは皆一緒だろう。
「うん、そうだね。この件については私の方から榊原大臣づてに法務省に掛け合っておくよ。今すぐにとはいかないけれど、できるだけ早く対処してもらうようにお願いしとくね」
広崎さんの一刻も早い釈放は手塚課長が一手に引き受けた。
でも、広崎さんは既に起訴されていて裁判も始まってしまっている。
日本の刑事事件における起訴された場合の有罪率は約99.9%と非常に高いものになっているらしい。
こんな状況で広崎さんをどうやって無罪放免にするんだろうか。
「あの~手塚課長。広崎さんの置かれている立場を考えると無罪になるのは難しいんじゃないでしょうか? 事件発生時に広崎さんが……じゃなくて、広崎さんの体を使った犯人が犯行に及んでいる映像も多数証拠として残されていますよね。それに、もし無罪にできたとしても今度は真犯人は誰なのかという問題に繋がりませんか?」
気になった僕は手塚課長にそう聞いてみた。
「今回のケースだと、そうだねぇ……心神喪失による無罪判決の可能性が一番高いかな。ただ、検察が起訴に持っていく前に一度精神鑑定をして異常なしっていう結果がある手前、かなり強引な感じにはなってしまうけどね」
「え、それだと……」
心神喪失とは、精神の障害により物事の善悪を判断する能力がない状態や判断した通りの行動をする能力がない状態のことだ。
心神喪失が認められると責任能力がないと判断されて刑罰を科すことができないため、無罪判決が言い渡される。
この場合、広崎さんは無罪にはなるけど通り魔的に人を殺したという事実が消えることはない。
「あぁ、無罪になるだけで世間から見れば責任能力を持たないただの通り魔殺人鬼だ。だが、広崎を自由の身にする手立ては現実的問題として他にはない。心神喪失により無罪になったとしても、その後は医療観察法に基づきある程度の期間は措置入院などで拘束はされるだろう。とは言え、何もしなければ死刑か良くても無期懲役になる。それに比べれば幾分もマシだ」
「それは……そうなのかもしれないけど……」
マノ君からの説明を受けても僕はまだどこかで納得しきれずにいる。
「伊瀬の気持ちは分かるが、ここはマノの言う通りだ。言い方は厳しいかもしれないが、広崎光には質の悪い事故にでもあったと思い、割り切ってもらうしかない」
納得できずにいる僕に深見さんが諭すように言う。
「……そうですよね。無実の罪で罰せられるよりは良いですよね」
感情と理屈を切り離して、僕はどうにか自分を納得させた。
僕の返答を聞いた深見さんが話を進めるようにマノ君に目を向ける。
「広崎の記憶をトレースした際に、渋谷のスクランブル交差点付近でマイグレーターと思われる二十代前半の中肉中背の男と広崎が接触していました。事件の凶器となったサバイバルナイフはマイグレーションされた時にそいつから手渡されていたようです」
「なるほどね。だから、凶器に使われたサバイバルナイフの入手経路が不明だったわけか。広崎自身が購入したものじゃなかったんだから、いくら捜査しても足取りは掴めないよな」
当時の事件資料を整理した丈人先輩が合点がいったというように頷く。
「丈人先輩が言った通りです。逆に、このサバイバルナイフの入手経路が判明すれば広崎にマイグレーションをしたマイグレーターに近づく手掛かりとなります。トレースした記憶が曖昧にならないうちにモンタージュを作成しますので、それを参考にドライブレコーダーの映像証拠から捜していくのがよいかと」
「わかった。その件に関しては、その方向で捜査を進めていこう」
マノ君の報告を受けて、深見さんが一つの捜査方針を決定する。
「にしても、本当にこういう時便利だよね~相手の記憶が視れるって」
那須先輩が改めて記憶が視れるという能力の有用性をしみじみと感じる。
「まぁ、一長一短なところはありますけどね」
「あ、ごめん。嫌なことも強制的に視えちゃうんだよね……」
那須先輩はすぐに配慮が足りていなかったと市川さんに頭を下げる。
「大丈夫です。気にしないで下さい。マイグレーターを捕まえるには、これくらいのことはどうって事ないですよ」
那須先輩をフォローしながらも市川さんのマイグレーターに対する強い思いが垣間見える。
「マイグレーターになった人って、必ず八雲と接触しているんですよね?」
「うん? そうだね。今のところ八雲だけが他者をマイグレーターにすることができると考えられているからね。それがどうかしたのかな、伊瀬君?」
「あ、えっと……それなら、八雲がどうやって他の人をマイグレーターにしているのかをマイグレーターの記憶から視ることができるのかなって思ったんです」
「できるぞ」
僕の疑問に答えたのは手塚課長じゃなくて、マノ君だった。
「伊瀬が着任してきた時の事件を例にすれば、マイグレーターだった
「そうなんだ。八雲とマイグレーションをすることでマイグレーターになる……あれ? 八雲とマイグレーションするってことはマイグレーターの田中が八雲の記憶を視ているってことにはならない?」
「その発想は悪くないが、残念ながらそうはならない。八雲とマイグレーションをしたといっても主導権は完全に八雲が握っている。八雲が田中の記憶をトレースできていても、田中が八雲の記憶をトレースすることはできない」
「そう簡単にはいかないってことだね……」
僕の甘い考えは八雲に容易く看破されていたみたいだ。
「マノ、他に報告は?」
脱線していた話を戻すように深見さんがマノ君に報告の続きを促す。
「もう一つあります。ですが、その前に確認したいことがあるので、そっちを先にやらせて下さい」
もう一つ?
広崎さんの事件にマイグレーターが関与していたこと以外に報告すべきことが他にあったけ?
それに、報告する前に確認しておきたいことってなんだろう。
「いいだろう。で、その確認しておきたいことというのは?」
深見さんも見当がつかないようでマノ君に問いただす。
「手塚課長、渋谷スクランブル交差点通り魔事件で突発性脳死体は一つも見つかっていませんか?」
「えっ? 突発性脳死体は……見つかっていないはずだよ」
話を振られると思っていなかった手塚課長が驚きつつもマノ君の質問に答える。
「間違いありませんか?」
「随分と慎重だね。間違いないよ。もし、突発性脳死体が発見されていたなら私の耳に入ってこないはずがないからね。入ってこないことがあるとすれば、突発性脳死体が他の死因として処理されてしまっていた場合だけど、今回の件についてはそういう可能性を含んだものは見つかっていないから突発性脳死体はなかったと断言していいと思うよ」
「そうですか……」
ここでマノ君は言葉を止める。
広崎さんが無実であると伝える際に置いた一拍の間よりも長く、マノ君は考えこむようにうつむいて沈黙している。
そして、自分の中で考えがまとまったのかゆっくりと顔を上げる。
「それが本当なら、あの事件現場には広崎にマイグレーションをしたマイグレーター以外にマイグレーターがもう一人いたことになります」
誰も予想していなかったことをマノ君の口から僕達に言い渡された。