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Tier77 疲労

 画面とにらめっこを始めてから、そろそろ七時間近くが経とうとしていた。

 休憩を挟みつつと言えども、疲れが溜まっているのは間違いなかった。

 マノ君と丈人先輩はネクタイを緩め、ワイシャツの第一ボタンを開けて椅子の背もたれに寄りかかり何度も伸びをしていた。

 疲労困憊ひろうこんぱいのサラリーマンのようなだらしない恰好に二人はなっているのだけど、どうもその姿が様になっているところがすごいとこだ。

 美結さんや市川さん達も疲れを取るように時折デスクにしながら伸びをしている。

 長時間映像を見ることに自信があると豪語していた那須先輩は僕達のなかで一番最初にダウンした。

 那須先輩いわく、二次元のアニメは何時間でも見れるが三次元の実写となると守備範囲外らしい。

 今は、推しのキャラクターが描かれているアイマスクをつけて休憩をとっている。

 推しのキャラクターに視界を包まれることで回復力も上がるらしい。

 もちろん、ソースは那須先輩だ。


「ふぅ~~」


 見ていた映像の区切りが良かったため、一息ついて僕は目頭を軽く押さえた。

 やっぱり、一番疲れが溜まっているのは酷使し続けている目だ。

 ブルーライトに長時間当たっているせいで目への疲労は増すばかりだ。

 ちなみに、よくブルーライトは目に悪いというけれど実はこれには科学的根拠はないらしい。

 どうしてブルーライトは目に悪いと言われてしまうようになったかというと、夜間にブルーライトを見ると睡眠障害につながるリスクあり、その睡眠障害が視力低下などの原因になることがあるからだそうだ。

 つまり、目が悪くなる原因は睡眠障害であってブルーライトはあまり関係がないのだ。

 睡眠障害につながるリスクも日中であればほぼ問題ないようだ。

 余談だけど、ブルーライトカット眼鏡などの効果も医学的に何の根拠もないらしい。


「あ~もうダメ! これ以上は何も見たくないっ!」


 キャスター付きの椅子を思いっ切り後ろに引いてデスクにうつ伏せになった美結さんがもう耐え切れないとを上げる。

 美結さんのグデ~っとした様子を見て、皆も糸が切れたように椅子やデスクに身をゆだねた。


「皆、疲れも溜まってきたようだし今日はここまでにしとこうか。時間も結構遅くなってきたしね」


 僕達の疲れ切った様子を見かねて丈人先輩が切り上げの合図を出してくれた。

 窓を見ると、丈人先輩の言った通り外はもう暗くなっている。


『はぁ~~』


 今日はこれ以上映像を見なくていいことが分かった僕達からはどこからともなく深いため息が出た。


「それで皆、成果の方は……って聞くまでもなさそうだね」


 僕達の憔悴しょうすいしきった顔を見た丈人先輩は苦笑いを浮かべる。

 成果があれば僕達がこんな疲労困憊な状態になっているはずがない。

 集められた多くの映像は事件発生時からのものばかりで、僕達が探すべき時間発生前の映像は少なかった。

 そのため、手掛かりとなるような映像の発見には至っていない。


「ドライブレコーダーの方はほぼ全滅だな。警察が押収してんのは犯行が映っている映像ばかりだ。犯行前の映像が映っているドライブレコーダーを持っている車両は今頃、日本各地に無数に散らばっているだろうな。それを見つけて押収するっていうのは無理な話だ」


 お手上げだと言わんばかりにマノ君は両手をあげる。


「スクランブル交差点を映した定点カメラからのライブ映像からは手掛かりらしい手掛かりは見つけられなかったよ。カメラの台数も少ないし、死角もあるからどうしも難しいね」


 市川さんもこれといった成果を得られずに肩を落とす。


「アタシの方も全然ダメだった。伊瀬っちの方は?」


「僕も美結さんと同じような感じかな。丈人先輩も似たような感じですか?」


「そうだね。俺の方も成果なしだよ」


 付近の防犯カメラ映像を重点的に調べていた僕達からも他とは大差ない報告があがるだけだった。


「とは言え、映像証拠はまだまだあるからな。こりゃ、長期戦だな」


 パソコンの電源を乱暴に落としたマノ君は椅子から立ち上がって大きく伸びをする。

 そのせいで緩めたネクタイがだらしなく垂れる。


「ちょっと、ネクタイちゃんと締めなさいよ」


 それを見た美結さんが母親が息子に言うような言い草で注意する。


「なんだよ。良いだろう別に。こっちは疲れてるんだからさ」


「良いわけないでしょ。みっともない。丈人先輩だってちゃんとネクタイ締め直しているじゃない」


 たしかに、さっきまでマノ君と同じようにネクタイを緩めていた丈人先輩だったが、いつの間にか綺麗に締め直してあった。

 そんな丈人先輩を見てマノ君は一瞬まずそうな表情をしたけど、すぐにあっけらかんとした顔になる。


「だからって俺がネクタイを締め直す理由にはならないだろう。それに俺は元々、シャツの第一ボタンまでとめてネクタイを締めるのが嫌いなんだよ。息苦しいったらありゃしねぇ」


 マノ君はワイシャツの第二ボタンに人差し指を掛けて下へと左右に引っ張る。


「あ~もうっ! つべこべ言ってないで締めなさいよ!」


 一向にネクタイを締めないマノ君に我慢できなくなったのか美結さんはズカズカとマノ君の前まで歩み出る。

 そして、マノ君のえりを両手で掴むと無理やり第一ボタンをとめにかかる。


「お、おい! 何すんだよ」


 マノ君は襟を掴んだ美結さんの両手をはがそうと自分の手を襟元に持っていくが、無理やり振りほどくわけにもいかずにマノ君の手は宙にさまよう。

 そのため、口では抵抗していても行動には出さないという奇妙な光景になっていた。

 観念したのかマノ君は手を下ろして、目の前で締め直されていくネクタイを何とも言えない表情で見つめる。

 傍から見ると、仲睦まじい新婚夫婦の朝のワンシーンを見せられているような気分だ。

 その間に美結さんはマノ君のネクタイを手際よく締め直して……締め直して?


「うっ! おい、待て! 締めすぎだ! 息ができないだろっ! や、やめろ!」


 気が付くと満面の笑みの美結さんがマノ君をネクタイで絞殺そうとしていた。

 美結さんの締め上げる手をマノ君は軽く叩いてタップアウトのジェスチャーを送る。


『カシャカシャ』


 後ろの方からカメラを連射する音が聞こえたと思ったら、推しのキャラクターが描かれたアイマスクを頭にかけた那須先輩がスマホのレンズを向けて二人の様子を撮影していた。


「お、おい! 勝手に撮るなっ……うっ!」


 那須先輩が写真を撮っていることに気付いたマノ君が止めようと手を伸ばしたけど、再び美結さんに締め上げられ息が詰まったような声を出す。


「う~ん……まぁ、これはこれでありかな」


 撮った写真を確認しながら那須先輩がつぶやく。

 気になって僕が横から写真を覗き込もうとすると、丈人先輩と市川さんも写真を見に来た。

 那須先輩は僕達が見やすいようにスマホの画面をこちらに向けてくれる。

 そこに写っていたのは仲睦まじい新婚夫婦の朝のワンシーンではなく、憎しみを募らせた熟年主婦の朝のワンシーンだった。

 そして、写真の外ではマノ君のうめき声が響いていた。

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