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第2幕 蛹ヶ丘魔法学校

第1話

 日南隆二ひなみりゅうじは扉の前で緊張していた。今日から終幕管理局総務部記録課で働くことになったのだ。保護という名目の監視からは逃れられたが、終幕管理局はまだ自分を手放したくないらしい。

 条件がよかったことや諸経費を局側が負担してくれるということで話に乗った日南だが、やはり初めての場所、初めての仕事には緊張がともなう。少人数の部署らしいとは聞いているが、うまくやっていけるか不安だ。

 勇気を出して職員証を扉脇の端末へかざした。自動的に扉が開き、日南は中へ足を踏み入れる。

「おはようございます」

 声をかけると、室内にいた白髪まじりの男性と小柄な女性が振り返った。

「おはよう、日南くん」

「おはようございます」

 二人が笑顔で迎えてくれたことにほっとし、日南は彼らのいるデスクへと近づく。

「えっと、今日からお世話になります、日南隆二です」

「記録課の課長を務める、長尾和直ながおかずなおだ」

「主任の一坂律子いちさかりつこです。よろしくお願いします」

 二人ともいい人そうだ。長尾課長は気さくな雰囲気で、一坂は日南と同年代に見える。肩まであるさらさらのストレートヘアが印象的な女性だ。

 わずかに緊張から解放される日南を見て、すぐに一坂が席を立った。

「日南さんの席はそちらです。パソコン操作はできるんですよね?」

「あ、はい。できます」

「じゃあ、まず起動させてください」

「はい」

 日南は彼女の真向かいの席に腰を下ろし、すぐにパソコンの電源を入れる。

 一坂がそばへやってきて、モニターにホーム画面が映ったところで口を開く。

「記録課という名前の通り、わたしたちがやっているのは記録です。アカシックレコードのどこにどのような情報があったのか、記録に残しているんです」

「わざわざ記録を?」

 と、日南が聞き返すと一坂は言う。

「はい。ちょっと不思議に思われるかもしれませんが、効率よく情報を消去していくのに必要な作業なんです」

 彼女が「ちょっと失礼しますね」と、マウスを右手に握って丸いアイコンをクリックした。

「これが現在のアカシックレコード、惑星インフィナムをリアルタイムに映した3D映像です。情報が目に見える形で表されているの、分かりますか?」

「ええ、緑色になってるやつですよね」

 球体を覆うようにして大量の緑色の光が散らばっていた。

「そうです。ただし、リアルタイムと言ってもおおよそです。正確な情報ではなく、あくまでも視覚的に表示させているだけでして、これで確認するのは緯度と経度、そして時間度です」

「時間度?」

 聞き慣れない言葉に日南が首をかしげると、一坂は教えてくれた。

「古い情報ほど下の方、つまり核に近い部分にあるんです。新しい情報は上の方にあるわけですが、アカシックレコードに反映されるまではタイムラグがあるんです。

 なので、この画面で見るべきは、先ほども言ったように緯度経度、そして時間度となり、どこが片付けられたか記録することで、消去の効率を上げているんです」

「はあ、なるほど」

 まさに裏方の仕事だと日南は感じた。どの位置にあった情報を消去したか、事前に把握していれば仕事の効率が上がる。記録課はそれを支える仕事だ。

 一坂は説明を続けた。

「ちなみに情報にはいくつか種類がありますが、それらすべてがごちゃまぜになってアカシックレコードに記録されています。なので、こちらでそれらを分ける必要があります。くわしいことはまた後で話しますね」

 次に一坂は表計算ソフトを起動させ、フォーマットを表示した。

「これがテンプレートです。緯度、経度、時間度の記入が主ですが、内容が分かる場合はそれも記録してください。簡単でいいですよ。たとえば……」

 一坂は先ほどのリアルタイム映像へ戻り、端にあるボタンをクリックした。

「ここのボタンを押すと、受信データが表示されます」

 黒い画面にプログラミング言語のような文字列がずらりと並ぶ。

「これは業務課の、通称『幕引き人』の人たちが消去した情報です。これが午前と午後、一日二回送られてくるので、ここから欲しい情報を抜き出します。

 えっと、これは物語の墓場にあったやつですね。緯度110.2、経度90.5、時間度2020.6とあるの、分かりますか?」

 示された部分を見ると、たしかにそれらの数字が並んでいた。

「はい」

「内容はここに書いてあります。今回のは……ああ、物語のタイトルで大丈夫ですね。クロスオーバーマンションだそうです。

 では、これらの情報をテンプレートに記入してみてください」

 と、一坂がマウスから手を離す。

 すぐに日南はマウスを取り、先ほどの表計算ソフトを表示させて記入を開始した。

「これでいいんでしょうか?」

「はい、完璧です」

 画面を見た一坂がうなずき、少し困ったように笑ってみせた。

「これをひたすらやるのが私たち、記録課のお仕事です」

 彼女の言葉の裏に含まれた感情を察し、日南も笑みを返す。

「分かりました。難しくはないですが、ちょっと退屈ですね」

「単純作業ですものね。急ぐ仕事でもありませんから、自分のペースで進めて大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」

「では、もう一人でできますか?」

 問いかける一坂へ日南は確認する。

「俺はずっとこの、物語の墓場のデータを記録すればいいんですよね?」

「ええ、そうです。私は懐旧のデータを記録するので、物語の墓場は日南さんにお任せします。とりあえず、十件ほど記録できたら教えてください。私がチェックしますので」

「分かりました」

 日南はうなずき、さっそく仕事を始めるべく画面へ目を向けた。


 昼休み、日南は長尾と一坂に連れられて食堂へ来ていた。

 長尾課長の隣に座るのが嫌だったのか、それとも気を遣われたのか、一坂は自然と日南の隣へ腰を下ろしていた。

 昼食を進めつつ、日南は長尾の話に耳を傾ける。

「実際はまだまだ未知なことが多くてねぇ。それでもある程度区別はつけないとならないから、現時点では六種類に分けてあるんだ」

 すかさず一坂が口を開く。

「個人的な思いや感情、記憶などを『懐旧記憶』と呼び、個人の想像や勘違いなどの改変された記憶を『無意義記憶』、創造された物語を『虚構記憶』と呼びます」

「歴史的な出来事は『人類史記憶』、取るに足りない個人史は『些事さじ記憶』、睡眠時に見る夢を『泡沫うたかた記憶』って言うんだ」

 残り半分を長尾が説明し、日南は「なるほど」とうなずいた。仕事上、必要になる知識であると同時に、個人的な知的好奇心も刺激されて質問をした。

「それで、主に消去しているのはどれなんですか?」

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