「『懐旧記憶』と『虚構記憶』の中でも無価値とされるもの、だね」
と、長尾課長は教えてくれた。
「分子構造とやらが強固で、どちらも勝手に消えてくれないんだ。それに『無意義記憶』や『泡沫記憶』なんかとくらべると、一つ一つの規模が段違いでねぇ。大きな物から優先的に消してるってわけ」
「ああ、そうなんですね」
日南の脳裏に浮かぶのは「幕引き人」である友人、
ふいに一坂がふうと息をついた。
「物語の墓場は『虚構記憶』の中でも、特に価値のないとされるものが集まっていた場所なんです。少し前までは研修の場として使っていましたが、突然、
どこか
「日南くん、その辺の事情についてくわしいんじゃないのかな?」
「えっ、俺は……」
思わずドキッとしてしまった日南だが、たしかに事情はよく知っている。
少し考えてから日南は答えた。
「あの、俺が『幕開け人』と接触していて、裏切ったことはご存知ですよね?」
「うん、もちろん聞いているよ」
長尾がうなずき、一坂は何も言わずに日南を見つめる。
「その時の作戦なんですけど、まず『幕開け人』を増やすために、裏サイトで作家キャラクターを
グレストは閉鎖され、運営していた人物や利用者などが、続々と逮捕されているとニュースで見た。罪悪感を覚えなくもないが、仕方のないことだったと日南は思う。
「そうして集まったキャラクターを、先に『幕引き人』が捕まえて、接触できないようにしたんです。そうして物語の墓場そのものを壊すことで逃げ場をなくす、というものだったんですが」
「『幕開け人』に逃げられちゃったんだよねぇ。追い詰めたはずなのに逃げられた、というのも変な話だけれど」
長尾が軽く笑いながら言い、日南は結論を口にする。
「そうなんですよね。なので、結果的に墓場を壊すだけになってしまったんです」
「そういう理由だったんですね。まったく、これからどこで研修するのかと心配だったんです」
と、一坂が少々機嫌を
「似たような場所が他にもあるって聞きましたけど」
「それはそうですけど、あそこが一番規模が大きかったんです。だからこそ研修もやりやすかったんだと思ってたんですよ」
すると長尾がわずかに声をひそめながら言った。
「君たち、どうして墓場に『幕開け人』が現れたか、知ってるかい?」
「え?」
突然の質問に、一坂と日南は同時に小さく声を漏らし、思わず長尾の方へ視線を向けた。
「どうしてですか?」
一坂が問い返しながら、身を乗り出すようにして答えを待つ。つられるようにして、日南も少し前のめりになった。
「実は今年の春に『幕引き人』を大量募集したんだ。その研修を物語の墓場でやってたんだけど、雇った人数がこれまでより圧倒的に多かったことが遠因だったっぽいんだよねぇ」
二人は目を丸くした。
「解析されたデータを見たんだけどさ、研修で見境なく消去してたことで、墓場のバランスが崩れたみたいでね。想定外の事態が起きたことで、虚構の住人が『幕開け人』になる土台を作ってしまったとか」
「それ、本当ですか?」
一坂が信じられない様子で聞き返すと、長尾はにやりと笑ってみせた。
「ああ、もちろん。ただし、この情報はまだ公開されてないから、誰にも言っちゃダメだよ」
と、話の重さに反し、軽くウインクをして見せる。
日南は苦笑いを返しながらも、心の中では千葉に聞いて確かめたいと思っていた。
残業はしてもかまわないが、長尾課長がいつも早々に帰っていくため、一坂もだいたい定時で上がると言う。
夕方五時に仕事を終え、日南隆二は一坂とともにオフィスを出た。
「日南さんにちょっと聞きたいことがあるんです」
終幕管理局の玄関、自動ドアをくぐったところで彼女が言う。
「自分の想像した物語が消えた時、何か感じましたか?」
「うーん、はっきりとした感覚はなかったですけど」
一坂もまた独身寮に暮らしているため、向かう方向は同じだった。日南は考えながら答える。
「でも、少し気持ちが軽くなったような気はします」
「消えたことで軽く?」
「ええ、そうです。もしかすると、人間の記憶にも容量みたいなものがあるのかもしれませんね。キャッシュをクリアするみたいな感じで、自分でも忘れてしまったような想像を消してもらって、すっきりしました」
日南がそう言って笑うと、一坂は感心したように何度も首を振った。
「そうなんですね。じゃあ、やっぱり……」
小さな声で漏らされた言葉に日南はピンとくる。
「もしかして、消してもらいたい記憶があるんですか?」
小柄な彼女ははっとしてから日南を見上げた。
「い、いえ、そういうわけじゃ……」
と、否定する素振りを見せながらも、考え直して前を向く。
「すみません。やっぱり、隠すのはやめにします」
前方に独身寮の建物が見えてきた。手前に女子寮、奥に男子寮がある。歩くたびに近づく建物が、別れの時間が近いことを告げていた。
一坂はうつむいてため息をつく。
日南が
「あの、実は私もやってたんです」
遅れて足を止めた日南は振り返る。
「まさか、創作を?」
「はい。それを思い出ごと消してもらいたくて、終幕管理局に入ったんです」
まっすぐな目で一坂は言い、ふと頬をゆるめて軽く頭を下げた。
「それじゃあ、お疲れさまでした」
女子寮へ向かって歩き出す背中を、日南は無言で見送った。思い出ごと消してもらいたいという一坂の気持ちが、分かるようで分からなかった。