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第10話

 日南隆二はあるマンションへ来ていた。二階の十三号室の前に立ち、深呼吸をしてからインターホンのボタンを押す。

 応答はなかったが、扉の向こうで気配がした。やがて鍵が外され、ゆっくりと開かれる。

 相手は日南を確認するなり、短く言った。

「入って」

 黙って日南はうなずき、中へ足を踏み入れる。

 奥の方に光が見えた。玄関で靴を脱ぎ、廊下をまっすぐ進み、居間へ入ったところで声がする。

「どうぞ、座ってください」

 しっかりと鍵をかけて戻ってきた相手が、食卓らしき小さなテーブルを手で示していた。

 日南は何も言わずにそちらへ向かい、鞄を下ろしてから椅子を引いて腰かける。

 相手は一度奥へ行くと、仲間を連れてきた。日南と同じくらい背丈のある若い男だ。

「最初に聞きますけど、デバイスの電源はオフになっていますか?」

「うん、ちゃんと落としてあるよ」

「他に位置情報を送信するような機器は?」

「ない。心配なら、鞄の中を見てもらったっていいよ」

 日南の返答に、相手は仲間へ目配せをした。

 仲間は日南に一瞥をくれると、「失礼」と言いながらテーブルへ近づき、日南の鞄を手に取る。

 テーブルに鞄を置いた男は、慎重な手つきで中の物を一つずつ確認していった。隅々まで調べた後、男は短く「大丈夫、発信機もない」と告げる。

「……分かった」

 相手が向かいの椅子に座り、日南は鞄を返してもらう。

 薄暗い部屋の中で先に口を開いたのは日南だった。

「久しぶりだね、北野くん」

「まさか、また会うことになるとは思いませんでしたね」

 いまだ警戒心をあらわに彼が返し、日南は言った。

「長尾さんから話は聞いたけど、あらためて自己紹介といこうじゃないか。俺は日南隆二だ」

北野渡きたのわたるです」

東風谷純人こちやすみとです」

 二人が素直に名乗ってくれたことに安心し、日南は話を進める。

「君たちにいくつか確かめたいことがある」

 渡は落ち着いた調子で返した。

「ええ、どうぞ。答えられることでしたらお答えします」

「まず一つ目は、君が嘘をついていたことだ。何故、北野響と名乗った?」

 整った中性的な顔で渡は不敵に笑う。

「この世にいない人間であれば、追跡しようがないでしょう?」

「でも、それは君の姉の名前だろう?」

「ええ、そうです。僕の双子の姉で、最初の『幕開け人』の名前です」

 最初のという言葉が引っかかったが、いずれ分かることだ。日南は続けて二つ目の質問をする。

「君たちが『幕開け人』になるに至った経緯を知りたい」

 東風谷が渡を心配するように見たが、かまうことなく渡は語り始めた。

「あれは三年前でした。幼馴染の長尾智乃が高所から飛び降りて自殺しました。その少し前、彼女は自分で考えた物語が思い出せないと言っていたんです」

 渡の目はまっすぐに日南を見ている。

「僕や姉さんもまた、彼女の物語を思い出せなくなっていました。何が原因か、その時はまだ分かりませんでした。でも、親友を失った姉さんは真相を知りたいと思い、一人で調べを進め、やがて『幕引き人』の存在にたどりついたんです」

 東風谷が渡から視線をそらす。

「終幕管理局が智乃の物語を、勝手に価値がないと判断して消去した。それが姉さんの出した結論でした。

 同じ頃、記憶に核があるという論文が発表されました。そこから記憶の復元が可能ではないかとの仮説が立てられ、今も研究が続けられています」

 日南は黙って話を聞いていた。

「姉さんはそれに賭けました。智乃の物語の核を取り戻し、復元させようと考えたんです。核を見つけ出す方法として、アカシックレコードを破裂させることにしました。そこで『幕開け人』を名乗り、終幕管理局に対抗することを決意しました」

 渡はまばたきをして吐息をつく。

「ですが、そう決めて一ヶ月も経たずに、姉さんは事故で死にました。酒に酔って車道に飛び出したところを車に轢かれたんです」

 ここへ移住する前のことだったため、日南にとっては初耳だった。

 東風谷が神妙に口を開いた。

「去年の四月六日、三区にある繁華街でのことでした。夜の十時を過ぎた頃で、あの日は降雨装置の試験運転がされていたんですが、誤作動を起こして新東京全域に大雨が降ったんです」

 その光景を想像して日南は伏し目がちになる。

「ですが、あれは事故ではなく殺人です」

 と、渡が語気を強めて言う。

「警察では事故として処理されましたが、轢いた車の運転手が、走り去る人影を目撃しているんです。その人影に押されて飛び出してきたように見えた、と」

 日南は上目遣いに渡の表情をうかがった。

「それなのに、警察は捜査をしなかった?」

「ええ。きっと、国の上層部が握りつぶしたんでしょう。このことから、事実を隠蔽いんぺいできるような人物が犯人であると、僕は考えています」

「ひどい話だ……」

 ごく自然に言葉が漏れた。

 渡は日南をちらりと見てから続ける。

「姉さんが『幕開け人』だったと判明したのもよくなかったようです。『創造禁止法』に違反する人間であると分かり、世間は同情から一変してさげすむようになったんです」

「そんな、理不尽なことが……」

「ええ、そうですよ。理不尽なんです」

 渡は言葉に力を込めると、握りこぶしでテーブルを強くたたいた。

「法律に違反したからって、死後に蔑まれる理由はない。ましてや姉さんは被害者なんだ。ただ智乃の物語を取り返して、復元したかっただけなんだ」

 目に怒りをたぎらせて渡は言う。

「だから僕は、姉さんの後を継いで『幕開け人』になったんです。姉さんが果たせなかったことを、僕が果たす。必ず智乃の物語を取り戻して見せる」

 日南はゆっくりとうなずいた。

「ありがとう、君たちの気持ちはよく分かった。それで、虚構世界に姉さんを作ったんだな」

 渡は気持ちを落ち着かせるようにまぶたを閉じた。

「ええ、そうです。僕がかつての姉を想像し、『幕開け人』として行動させているんです」

「終幕管理局で使っているRASは、さすがに手に入らないのでね。苦肉の策でしたが、これがなかなか上手く行きまして」

 と、東風谷が明るい調子で言う。

「いろいろ試しているうちに、虚構世界で消えかけた物語を再生させられることに気づいたんです。俺たちは『最初の一行』と呼んでいますが、対象の物語の設定やストーリーを理解し、それにふさわしい一文を与えるんです。すると消えたはずの登場人物が戻って来る」

「どういう理屈かは分かりません。でも、これは『幕開け人』にしかできないことです。僕らはこの方法で、アカシックレコードを破裂させようと考えました」

 日南は状況を理解した。

「それで俺と接触したんだな」

「ええ、そうです。日南さんの『理不尽探偵』が『幕開け人』になってくれましたから」

 これでだいたいのことは分かった。しかし、日南にはまだ言うべきことがある。

「それじゃあ、俺に『理不尽探偵』を返してくれないか?」

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