目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第9話

 夜も更けてきた午後八時、日南梓はダイニングで北野と夕食をとっていた。

「物語のことは虚構記憶とも呼ばれててね、いくつか種類があるんだ」

 温かいスープを飲みながら北野が言う。

「誰もが知ってる有名な物語。書籍化されたけどそこまで有名ではない物語。書籍化されていないけれど、知ってる人が大勢いる物語。それと、作者にも忘れ去られた物語」

「それで、ここは?」

「書籍化されてないけれど知ってる人がいる物語、だと思う。というのも、ここはゴミ箱の十四番の端っこなんだ」

 思わず日南は苦い顔になる。

「何日も歩き続けたような気がしたが、まだ抜けてなかったのか」

「うん。一度消されたけど、誰かがまた想像おもいだして復活した。そしてそれを、何度も繰り返しているのがここなの」

「ヤツグとユイの物語、か」

 と、日南は複雑な思いで口にする。

「調べた感じだとけっこうファンがいたみたい。二人の登場人物がミステリーについて話をしているだけなのにね」

 少し皮肉っぽく北野が笑い、日南は手にしたビスケットをかじる。

「愛されてるんだな」

「うん……」

 北野は伏し目がちにうなずき、日南は小さく「理不尽だ」とつぶやいた。

 日南梓は作家としてはまだ新人で、デビュー作はあまり売れなかった。担当の編集者には評価してもらえていたが、世間とのずれは確実にあった。

「有名になれる作品はほんの一握りだ。大勢の人の目に触れても、評価されずに埋もれていく作品なんて数えきれないほどある。どんなにいい作品でも、見つけてくれる人がいなくちゃどうにもならねぇ」

 北野は黙ってスープをすする。

 口に入れたビスケットを飲み下してから日南は吐き捨てた。

「運だと言われればそれまでだけどよ、そんなもんで決められたくねぇよな」

「どの物語も平等に素晴らしいはずなのに、ね」

 空になったスープ皿をテーブルへ置き、北野が日南へ微笑みかける。

「時間は有限だから、わたしがどれだけそう思っていても、結局わたしの目に入らない物語がたくさんある。すくおうとしても指の隙間からこぼれ落ちて、価値がないとみなされてしまうの」

 人間である限り、みんな同じだ。物語は増えすぎた。だからこそアカシックレコードは破裂の危機を迎え、終幕管理局や「幕引き人」たちができたのだと日南は今になって理解した。


 翌朝、日南隆二は始業前に長尾へ告げた。

「データ入力の自動化プログラム、完成しました」

「思ったよりも早かったねぇ」

 と、長尾は少々驚いたように返し、日南は真剣な表情のまま言う。

「ええ、くわしい人に助けてもらったので」

「そうか。それで、問題なく動くんだろうね?」

 長尾がにこりと笑ってたずねると、日南はうなずいた。

「もちろんです。人がやるよりも早いですし、補助AIが優秀なので、エラーが出ても自動修復してくれます」

「それならもう、人は必要ないね」

「ええ、タイマーを設定することも可能なので、誰もいなくても問題ありません」

「素晴らしい」

 満足気に何度も首を振り、長尾は一枚のメモをポケットから取り出した。

「行っておいで」

「はい」

 しっかりとメモを受け取って、日南は背筋をピンと伸ばし丁寧に頭を下げた。


「探偵っていうのはな、頭がいいだけじゃダメなんだ」

 図書室に設置された椅子に座り、ヤツグが一席打っていた。

「知的で頭の回転がよく、天才的なひらめきをするのは前提条件であって、そこにプラスしてこそ個性が生まれる。それが魅力的な探偵ってもんだ」

「けど、それだとヤツグの好きな神津恭介はどうなるのさ?」

 向かいでユイが首をかしげ、ヤツグはすぐに言い返す。

「ああ、作者の高木彬光も盛りすぎたと言ってたな。だが、その盛りすぎこそが個性だろう」

「現実味がないよ」

「それは……うーん」

 腕組みをして考え込んでから、ヤツグは近くで聞いていた日南梓へ意見を求めた。

「アズサ、お前はどう思う?」

「そうだな。探偵にもいろいろあるが、何がどう魅力的かっていうのは、結局読者の好みだろう。安楽椅子探偵もいれば、現場に現れて隅から隅まで調べるようなやつもいる」

「僕はねぇ、どっちのタイプも好き」

 にこにこと笑いながらユイが言い、ヤツグは呆れたように笑う。

「結局それじゃないか。ユイは何でも好きだって言う」

「だって好きなんだもの」

「やれやれ。で、アズサの推し探偵は?」

 と、再び視線を向けてくる。

「うーん、やっぱり火村英生かな。っていうか、有栖川有栖が好きなんだよな」

 そう言って笑う日南を見てヤツグがたずねた。

「新本格か。じゃあ、綾辻行人は?」

「ああ、館シリーズは全部読んだ」

 ヤツグが感心したように首を振り、さらに日南へ問う。

「法月綸太郎は?」

「そっちも好きだ。あと我孫子武丸も」

「僕は岡嶋二人かなぁ」

 ユイが口を挟み、日南はヤツグの椅子の背もたれへ肘を置く。

「井上夢人なら西園寺が好きだぜ」

「え、そうなの?」

 目を丸くしてからユイはそわそわし始めた。

「だったら、さっそく話しに行っちゃおうかな?」

「ああ、きっと喜んで乗ってくれるぞ」

「分かった!」

 ユイが席を立ち、いそいそと図書室から出て行く。

 日南は空いた席へ腰かけ、ヤツグへ顔を向けながらにやりと笑った。

「あいつ、子どもみたいでおもしろいな」

 ヤツグが目を細めてくすりと笑う。まるで保護者が愛おしそうに子どもを見る時のような、やわらかい表情だ。

「そうだろう? 可愛いから一緒にいて飽きない」

 その言葉に日南は、彼らの間にある深い愛情と信頼を垣間見る。恋愛とは違う家族や兄弟のような関係に、少しだけ憧れを覚えた。


 新東京エリア二区を縦断するバスの中、窓際の席で日南隆二は静かに目を閉じていた。

 脳裏に浮かぶのは、もう消えたはずの「理不尽探偵」だ。当時の自分をそっくりそのまま自己投影し、少しだけ美化した存在だった。

 小学生の頃にシャーロック・ホームズと出会い、中学生になってからはミステリー小説を読み漁った。特に日本の新本格にのめり込み、有栖川有栖や法月綸太郎らに感化され、自分もペンネームを主人公に与えた。

 物語の中でさまざまな事件に遭遇させて、自分ならどうするか考え、文章に落とし込むのが楽しかった。しかし「理不尽探偵」は数多あまたあるウェブ小説の中に埋もれ、感想もつかず、更新を続けても閲覧数がほとんど動かなかった。

 公募に出しても一次通過すらできなかった。かといって、自分の作品の何がどうダメなのか、分からなくて迷走した。そのうちに嫌気が差して、物語の中にいる彼をまともに見ることができなくなった。

 今となっては申し訳なかったと心から思う。もっとちゃんと向き合っていたら、きっとこんなことにはならなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?