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第8話

 西園寺はとぼけたように言った。

「え、そうだっけ?」

「ほら、駅前のでかい店だよ」

 と、日南梓は思い出させようとして昔話をする。

「お前、あれもこれも読みたいって、いつも時間かけて選んでたじゃねぇか」

「ああ……そうだったかも」

 西園寺が苦笑を向けてきて、日南は横目に彼を見つつ言った。

「しかも一度として犯人当てられないし」

 ムッとした顔を向ける西園寺だが、即座ににやりと口角を上げて言い返した。

「日南だって、毎回当ててたわけじゃないだろう」

「まあな。けど、おもしろい本を見つけたらお前に貸してやってたな」

「うん、俺も何回か貸した覚えがある」

 と、西園寺がしゃがみ、下部の棚を見ていく。

「楽しかったな、あの頃」

 日南がしみじみとつぶやくと、西園寺は顔を向けてにこりと微笑んだ。

「ここでなら、またあの頃みたいにできるよ」

 そうかもしれないと日南は思った。仕事に追われていた日々からはとうに遠ざかった。ここでは時間だけでなく、本もたっぷりある。

 日南は気になった本を一冊手に取ると、西園寺へ体を向けた。

「じゃあ、約束な。おもしろい本見つけたら、絶対に教えろよ」

「ああ、もちろんさ」

 言いながら西園寺も本を一冊選び、腰を上げて日南を見る。

 虚構の存在でありながら共有できる過去があることを、不思議に思う気持ちがないわけではない。しかし、本を通じて絆を深め合った事実は信じられる。

「で、何選んだ?」

 と、日南はにやりと笑いながら問いかける。

 西園寺が手にした本の表紙を見せた。

「俺はこれ、道尾秀介の『向日葵の咲かない夏』にした」

「え、まだ読んでなかったのか?」

「うん、評価が高いのは知ってたんだけど……で、日南は?」

「ああ、オレは北森鴻の『メイン・ディッシュ』だ」

 西園寺がぱっと目を輝かせた。

「それ、すごくおもしろいよ! ああ、でも日南の評価は厳しいからなぁ。どうだろう」

 と、すぐに困ったような顔をし、日南はくすっと笑みをこぼす。

「読んでみりゃ分かる。それじゃあ、また後でな」

 一足先に日南は歩きだし、自分の部屋へ向かった。心の中で、早く本を読みたいと思う気持ちが高まっていた。


 日南隆二はAIの力をフル活用して、プログラムの書き換え作業に取り組んでいた。複雑なアルゴリズムは使用していないものの、コードの一行一行を注意深く確認しながら作業を進めていく。

 プログラムの書き換えが一通り完了すると、日南は再度AIに間違いがないか徹底的な見直しを依頼した。

 結果、作業が無事に完了したことが確認された。日南は姿勢を直すと大きく伸びをした。

 それから手首のデバイスを起動させ、千葉へメッセージを送る。プログラムの書き換えが終わったことを知らせ、明日の定時後に見てもらいたいと打ち込んだ。

 返信は数分後にやってきた。田村を連れて見に行くと書かれてあり、日南は安堵の吐息をついた。


 翌日、長尾課長はいつも通り早々に帰っていった。

 残された日南は一人きりのオフィスであくびをして、ふと正面の机を見やる。

「……」

 一坂は今日も休んでいた。メッセージを送れば返信があるが、あまり元気ではない様子だ。あらためてカウンセリングの話をしてみたが、ここ最近は起き上がるのも辛いらしく、外へ出ることさえ彼女には難しくなっていた。

 ふいに扉が開き、聞き覚えのある声がした。

「お疲れさまです」

 はっとして日南は笑みを返す。

「お疲れさま。二人とも来てもらっちゃって悪いな」

「いえ、いいんです」

 千葉が田村とともにこちらへやってきて、日南はさっそくパソコンの画面へソースコードを表示させた。

「これなんだけど、大丈夫そうかな?」

 二人はそれぞれに床へ鞄を置くと、左右から画面をのぞき見た。

 やがて千葉が「これでいけると思います」と言い、日南はほっとした。

「それなら、これで――」

「いや、記述がまどろっこしくてダメです」

 唐突に田村がダメ出しをし、日南はびくっとする。

「ちょっといいすか?」

「う、うん」

 日南は彼がやりやすいように千葉の方へとずれて、正面に立った田村がキーボードに両手を置く。

「ここ、こっちの方がいいです」

 あっという間に修正してみせた田村に、見ていた千葉が「その手があったか」と感嘆かんたんする。

 日南も納得して田村へ言った。

「すごいな、田村くん。君もプログラム組むの?」

「ガキん頃にシステム組んでただけっす」

 返しながら田村はウェブブラウザを開いてFipsyへのログインを進める。

「何のシステム?」

「位置や角度を自分で選んで、国際宇宙ステーションから観察可能な天体を正確に表示させ、より多くの天体を見つけた方が勝ちっていうゲーム」

 日南はとっさに理解が追いつかず、千葉が通訳するように口を出す。

「こいつ、宇宙育ちなんです。コロニーができるまでステーションの方にいまして」

「そ、そうなんだ」

 説明されても日南は腑に落ちない。田村についての謎が深まる一方だ。子どもだったとはいえ、ただただ負荷の高いゲームなど普通であれば作らない。

「はい、できた。もうプログラム突っ込んでおいたんで、動くかどうかやってみてください」

 田村がキーボードから手を離し、日南は椅子を元の位置へ戻した。

「えっと、これ押せばいいのかな」

 マウスでボタンをクリックし、補助AIの動作を開始させた。

 数秒の処理の後、自動的にデータ入力が始まった。

「お、いけそう!」

 日南のいつもやっている仕事が圧倒的な速さで進んでいく。補助AIへの指示が的確だったのだろう、思い描いていたよりも素晴らしい出来だった。

「ありがとう、田村くん」

 と、日南が振り返ると誰もいなかった。

「あれ?」

 見ると田村はいつの間にか荷物を持って扉へ向かっており、千葉が困ったように笑う。

「すみません、ただ素直じゃないだけなんです。悪く思わないでやってください」

「あ、うん」

「それじゃあ、失礼します」

 頭を下げてから千葉は急ぎ足で廊下へ出て行った。

 再び一人になったところで日南はつぶやく。

「変わった人だなぁ……宇宙育ち、だっけ」

 おそらく日南や千葉とは違う育ち方をしてきたのだろう。とはいえ、無言で帰っていくことはないだろうに。

 日南は少し胸をもやもやさせつつ、画面へ再び向き直ってマウスを握る。すぐにボタンをクリックして、補助AIの動作を停止させた。

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