西園寺はとぼけたように言った。
「え、そうだっけ?」
「ほら、駅前のでかい店だよ」
と、日南梓は思い出させようとして昔話をする。
「お前、あれもこれも読みたいって、いつも時間かけて選んでたじゃねぇか」
「ああ……そうだったかも」
西園寺が苦笑を向けてきて、日南は横目に彼を見つつ言った。
「しかも一度として犯人当てられないし」
ムッとした顔を向ける西園寺だが、即座ににやりと口角を上げて言い返した。
「日南だって、毎回当ててたわけじゃないだろう」
「まあな。けど、おもしろい本を見つけたらお前に貸してやってたな」
「うん、俺も何回か貸した覚えがある」
と、西園寺がしゃがみ、下部の棚を見ていく。
「楽しかったな、あの頃」
日南がしみじみとつぶやくと、西園寺は顔を向けてにこりと微笑んだ。
「ここでなら、またあの頃みたいにできるよ」
そうかもしれないと日南は思った。仕事に追われていた日々からはとうに遠ざかった。ここでは時間だけでなく、本もたっぷりある。
日南は気になった本を一冊手に取ると、西園寺へ体を向けた。
「じゃあ、約束な。おもしろい本見つけたら、絶対に教えろよ」
「ああ、もちろんさ」
言いながら西園寺も本を一冊選び、腰を上げて日南を見る。
虚構の存在でありながら共有できる過去があることを、不思議に思う気持ちがないわけではない。しかし、本を通じて絆を深め合った事実は信じられる。
「で、何選んだ?」
と、日南はにやりと笑いながら問いかける。
西園寺が手にした本の表紙を見せた。
「俺はこれ、道尾秀介の『向日葵の咲かない夏』にした」
「え、まだ読んでなかったのか?」
「うん、評価が高いのは知ってたんだけど……で、日南は?」
「ああ、オレは北森鴻の『メイン・ディッシュ』だ」
西園寺がぱっと目を輝かせた。
「それ、すごくおもしろいよ! ああ、でも日南の評価は厳しいからなぁ。どうだろう」
と、すぐに困ったような顔をし、日南はくすっと笑みをこぼす。
「読んでみりゃ分かる。それじゃあ、また後でな」
一足先に日南は歩きだし、自分の部屋へ向かった。心の中で、早く本を読みたいと思う気持ちが高まっていた。
日南隆二はAIの力をフル活用して、プログラムの書き換え作業に取り組んでいた。複雑なアルゴリズムは使用していないものの、コードの一行一行を注意深く確認しながら作業を進めていく。
プログラムの書き換えが一通り完了すると、日南は再度AIに間違いがないか徹底的な見直しを依頼した。
結果、作業が無事に完了したことが確認された。日南は姿勢を直すと大きく伸びをした。
それから手首のデバイスを起動させ、千葉へメッセージを送る。プログラムの書き換えが終わったことを知らせ、明日の定時後に見てもらいたいと打ち込んだ。
返信は数分後にやってきた。田村を連れて見に行くと書かれてあり、日南は安堵の吐息をついた。
翌日、長尾課長はいつも通り早々に帰っていった。
残された日南は一人きりのオフィスであくびをして、ふと正面の机を見やる。
「……」
一坂は今日も休んでいた。メッセージを送れば返信があるが、あまり元気ではない様子だ。あらためてカウンセリングの話をしてみたが、ここ最近は起き上がるのも辛いらしく、外へ出ることさえ彼女には難しくなっていた。
ふいに扉が開き、聞き覚えのある声がした。
「お疲れさまです」
はっとして日南は笑みを返す。
「お疲れさま。二人とも来てもらっちゃって悪いな」
「いえ、いいんです」
千葉が田村とともにこちらへやってきて、日南はさっそくパソコンの画面へソースコードを表示させた。
「これなんだけど、大丈夫そうかな?」
二人はそれぞれに床へ鞄を置くと、左右から画面をのぞき見た。
やがて千葉が「これでいけると思います」と言い、日南はほっとした。
「それなら、これで――」
「いや、記述がまどろっこしくてダメです」
唐突に田村がダメ出しをし、日南はびくっとする。
「ちょっといいすか?」
「う、うん」
日南は彼がやりやすいように千葉の方へとずれて、正面に立った田村がキーボードに両手を置く。
「ここ、こっちの方がいいです」
あっという間に修正してみせた田村に、見ていた千葉が「その手があったか」と
日南も納得して田村へ言った。
「すごいな、田村くん。君もプログラム組むの?」
「ガキん頃にシステム組んでただけっす」
返しながら田村はウェブブラウザを開いてFipsyへのログインを進める。
「何のシステム?」
「位置や角度を自分で選んで、国際宇宙ステーションから観察可能な天体を正確に表示させ、より多くの天体を見つけた方が勝ちっていうゲーム」
日南はとっさに理解が追いつかず、千葉が通訳するように口を出す。
「こいつ、宇宙育ちなんです。コロニーができるまでステーションの方にいまして」
「そ、そうなんだ」
説明されても日南は腑に落ちない。田村についての謎が深まる一方だ。子どもだったとはいえ、ただただ負荷の高いゲームなど普通であれば作らない。
「はい、できた。もうプログラム突っ込んでおいたんで、動くかどうかやってみてください」
田村がキーボードから手を離し、日南は椅子を元の位置へ戻した。
「えっと、これ押せばいいのかな」
マウスでボタンをクリックし、補助AIの動作を開始させた。
数秒の処理の後、自動的にデータ入力が始まった。
「お、いけそう!」
日南のいつもやっている仕事が圧倒的な速さで進んでいく。補助AIへの指示が的確だったのだろう、思い描いていたよりも素晴らしい出来だった。
「ありがとう、田村くん」
と、日南が振り返ると誰もいなかった。
「あれ?」
見ると田村はいつの間にか荷物を持って扉へ向かっており、千葉が困ったように笑う。
「すみません、ただ素直じゃないだけなんです。悪く思わないでやってください」
「あ、うん」
「それじゃあ、失礼します」
頭を下げてから千葉は急ぎ足で廊下へ出て行った。
再び一人になったところで日南はつぶやく。
「変わった人だなぁ……宇宙育ち、だっけ」
おそらく日南や千葉とは違う育ち方をしてきたのだろう。とはいえ、無言で帰っていくことはないだろうに。
日南は少し胸をもやもやさせつつ、画面へ再び向き直ってマウスを握る。すぐにボタンをクリックして、補助AIの動作を停止させた。