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第7話

 日南隆二は思わず田村を凝視した。思ってもいなかった提案をされ、驚きのままに聞き返す。

「貸してもらっちゃっていいの?」

 田村はつまらなそうにカレー皿に置いたスプーンをいじりながら答えた。

「もうオレ使いませんし、この前のアップデートで量子パソコンにも対応したんで、いけると思いますよ」

「うわあ、ありがとう! 田村くんみたいにくわしい人に相談できてよかった!」

 日南が感激してそう言うと、田村はそっぽを向いた。

「別に。っつーか、仕事で使うんなら上司の承認もらって、こっちに元々あるAI使うことになるだろうし、動作確認で一時的に貸すだけっすよ」

 どうやら照れているらしい。見た目に反していい青年なのかもしれないと思いつつ、日南は昼食に戻る。

 二人の様子を見ていた千葉が微笑みながら言った。

「楓がAIにくわしいなんて知らなかったな」

「機械が好きなのは知ってるだろ。その延長ってだけだ」

「ああ、なるほど」

 ぶっきらぼうに返す田村に怖気づくこともなく、千葉は平然と返している。きっと田村が素直でないのはいつものことなのだろう。

 ふいに千葉が日南を見てたずねた。

「でも、プログラムを作るなんて誰に頼まれたんです?」

 日南はすぐに説明を返す。

「いや、頼まれたわけじゃないよ。ただ、一坂さんが先週から休んでるから、彼女の分の仕事をどうにかできないかと思って」

 千葉は軽く目をみはった。

「一坂さん、具合悪いんですか?」

「うん、メンタルから来てるものっぽいんだけどね、くわしいことは俺にも分からないんだ」

「……そうでしたか」

 千葉の表情が暗くなり、日南は黙って麻婆豆腐丼を食べ進める。

 長尾から聞いた話を伝えてやりたいような気もするが、すぐそばに田村がいる。周りには他の職員たちもいるため、迂闊うかつに口に出したら立場が危うくなるのは自分だ。

「ごめん、千葉くんは気にしなくていいから」

 とだけ言って、日南は食べるスピードをわずかに上げた。


「あれぇ、お客さんだ。すっかり本に夢中になってて気づかなかったよ」

 日南梓たちが部屋へ案内されている最中、色の白い男が廊下に出てきてそう言った。年齢は二十代後半だろうか、痩せていて髪が長く、顔立ちは整っているものの、眠たげなタレ目が印象的だ。手には文庫本を持っていた。

「ちょうどいいところに出てきたな、ユイ」

「うん、すっごくおもしろかったから、ヤツグと感想を共有しようと思って」

 にこにこと笑うユイへヤツグは言った。

「それより、新しく三人もここで暮らすことになった。アズサ、ヒビキ、ユウマだ」

 日南たちはそれぞれに会釈を返し、ユイもぺこりと頭を下げる。

「ユイです。よろしくお願いします」

 するとすぐにヤツグが言った。

「じゃあ、また後でな」

「うん、図書室で待ってる」

 ユイが反対方向へと歩いていき、日南はヤツグへたずねる。

「ここには図書室があるのか?」

「ああ、俺の集めたコレクションだ。ミステリーを中心に、SFやファンタジーなんかも置いてあるぞ」

「へぇ、後で見せてもらってもいいか?」

「もちろん。俺はいつも、あいつとミステリー談議をして過ごしてるんだ」

 途端に日南は目を輝かせた。

「ミステリー談議! オレも仲間に入れてもらっていいか?」

 ヤツグが嬉しそうにたずねる。

「何だ、アズサもミステリー好きか?」

「ああ、好きだ。っていうかオレ、作家だし」

 少し妙な顔をしながらもヤツグは受け入れてくれた。

「そうか。じゃあ、作家先生の話が聞ける貴重なチャンスってわけだ。俺からも頼むよ」

「ああ、ありがとう」

 わくわくする日南の隣で、西園寺もおずおずと口を開く。

「あの、俺も編集者なんで気になるんだけど」

「お、ユウマもか。本好きが二人も増えるなんて嬉しいな。いや、待てよ。ということは、ヒビキもか?」

 と、ヤツグが彼女へ視線をやり、北野は戸惑い半分に返す。

「あ、いや、わたしは……まあ、嫌いではないけど」

「そうだったか。まあ、気が向いたらおいで。いつでも俺たちは歓迎するよ」

 にこりと笑うヤツグへ北野も笑みを返した。

「ありがとう、ヤツグさん」

「さて、案内の途中だったな。こっちだ」

 と、彼が再び歩きだし、日南たちは後について行った。


 部屋にあるのはシングルベッドと机と椅子、そしてクローゼットがあるだけだった。壁も床も天井も、家具まですべて白一色で、地下にあるため窓はない。しかし、不思議と落ち着く空間だ。

 日南はベッドに腰を下ろして一息ついた。

「部屋だ……」

 空気は少しひんやりしているが、壁と天井があるというだけでほっとする。先ほどまで歩いていた荒野とは天と地の差だ。

 日南はそのまま後ろへ体を倒し、ベッドに身を預ける。

 やわらかなマットレスが全身を優しく包み込むようで心地いい。同時に、これまでの疲れが一気に押し寄せるのを感じた。何日も続いた旅の重みからようやく解き放たれたせいだろう。

 少しの間休むことに決めて、日南は自然とまぶたを閉じた。


 夕方になり、日南は西園寺と図書室へ来ていた。

 与えられた部屋の三倍はあるだろうか、おそらくここで一番広い部屋のようだ。ぎっしりと本の詰まった棚がいくつも並んでおり、中央付近に木製のテーブルと二脚の椅子が置かれていた。

「すごいな、本当にたくさんある……」

 収められている本の背表紙を一つ一つ見ていきながら、西園寺が感動した様子でつぶやいた。単行本もあるが、多くは文庫本だった。

 その後をゆっくりと追いながら、日南も言う。

「日本の作品だけじゃなくて、海外ミステリーまでそろってるな。とんでもないところに来ちまった」

「ああ、本当にとんでもないよ。江戸川乱歩どころか、黒岩涙香まで置いてある」

 興奮を隠しきれないように西園寺が言い、日南はにやりとした。やはり作家として本を読める環境はありがたく、子どものようにわくわくしてしまう。

「ヤツグはどれでも好きに読んでいいって言ってたな」

「うん、言ってた」

「お前、何読む?」

「えぇ……選ぶだけでも大変だなぁ」

 楽しそうに言う西園寺にくすりと笑みを返しつつ、日南は手近な棚へ目を留めた。

「そういえば大学時代、よく一緒に書店に行ったよな」

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