次の日、日南隆二は業務課を訪れた。始業前に会っておきたい人がいるのだ。
いくつもあるオフィスの中、六組という表示を見つけて足を止める。
もうすでに相手が来ているといいのだが……と、少し緊張した直後だった。
「どうしたんですか、日南さん」
はっと振り向くと千葉がこちらへ来るところだった。
「千葉くん、君に聞きたいことがあったんだ」
と、日南はほっとして頬をゆるめる。
千葉は慣れた手つきで職員証を機械にかざし、扉を開いた。
「どうぞ、中で聞きましょう」
「ありがとう」
彼に続いて室内へ入り、日南は鞄をロッカーへしまう千葉へたずねる。
「去年、大雨の降った日があったらしいね。その時に事故があったって聞いたんだけど」
すでに出勤していた「幕引き人」たちが、怪訝そうに日南を見てくる。
一方で千葉は目を丸くして日南を見つめたが、開いた口からは何の言葉も出てこない。
「え、何? どうしたの?」
戸惑う日南へ、千葉は平静を取り戻して言う。
「いえ、僕もついこの前、それについて調べていたものですから」
「えっ、そうなの!?」
意外な一致に日南も驚き、千葉はロッカーの扉を閉めてデスクへ向かう。その背中を追いながら日南は言った。
「知ってることがあれば、ぜひ教えてほしいんだ」
「残念ですが、大した収穫はありませんでしたよ。昼休み、食堂に来ますよね?」
と、千葉が日南を振り返る。
「うん、行くよ」
「では、その時にくわしく話します」
「分かった。ありがとう、千葉くん」
幸運なことに調べる手間が省けた。
「それじゃあ、また後で」
「ええ、また」
返しながら千葉が椅子を引いて腰を下ろす。
無事に話がついたことに安心し、日南は早々に立ち去ろうとして扉へ向かう。
すると、扉が開いて田村が出勤してきた。
思わず目が合ってしまい、日南はとっさに「おはよう」と返したが、田村は少し眉間にしわを寄せると、何も言わずに横をすり抜けていった。
気まずい。日南は無視されたことにもやもやしたものを覚えながら、さっさと廊下へ出た。
にぎわう食堂の窓際の席で、日南は千葉と向かい合っていた。田村の同席はなく、久しぶりに二人になれたと日南は安心する。
冷やし担々麺に箸を入れながら千葉がたずねた。
「やはり、北野響ですか?」
「うん、俺がここに来る前の事故だから知らなかったんだけど、車に轢かれて死んだって聞いてさ」
日南は自然とうつむき加減になり、冷やし中華をすする。
「ええ、たしかに被害者の名前です。あの日は降雨装置の試験運転が実施されていましたが、誤作動で大雨が降ったんです」
千葉はどこか遠い目をしながら話し始めた。
「場所は三区の繁華街。午後十時頃、車道に飛び出して死亡したのが北野響でした。彼女は酒に酔っていたそうです」
「他に情報は?」
「ニュースで報道されたのは、被害者が『幕開け人』と称して、終幕管理局に対抗しようとしていたことです」
「どうしてそれが分かったの?」
「警察の発表によると、彼女のデバイスに『幕開け人』としての活動に関する構想が記録されていたそうです。つまり『創造禁止法』に違反する犯罪者であるとし、以降、事故に関する報道は途絶えました」
日南は少し間を置いてから言う。
「それ、事故じゃなくて殺人だったりしないかな」
真偽の判断に迷うように、千葉が少し目を細めた。
「何故、そんなことを?」
「うん。俺の会った『幕開け人』は北野響を名乗っていたんだ。もしただの事故であれば、わざわざ故人の名前を名乗るのはおかしくないか?」
日南の言葉を咀嚼しようとするように、千葉は押し黙る。
「事故に見せかけた殺人なんてよくある話だし、もしかしたら犯人がいるかもしれない。だからこの事故について、少し調べてみたいんだ」
「手がかりはあるんですか?」
「いや。だけど、走り去る人影を運転手が目撃していたらしい、とは小耳に挟んだ」
千葉が
「初めて聞きました。そんな話があったなんて……」
「興味、出てきた?」
「……いえ、ですがあれは事故で」
「それじゃあ、どうして千葉くんは事故について調べていたの?」
日南の質問に千葉はため息をついた。
「虚構世界で北野響の偽物に会ったからです。僕は生前の彼女を知らないので分かりませんが、先輩の土屋さんは彼女を知っていました。以前、同じ劇団に所属していたそうです」
「へぇ、劇団にいたのか」
「なので、何が起きているのか気になって……それだけです」
もう一押しすれば彼の協力を得られると日南は思った。しかし、慎重に言葉を選ばなければならない。
「もし仮に事故ではなかったとして、どうして犯人は捕まっていないんだろう? もしかしたら、国のお偉いさんが犯人かもしれないな。だから殺人ではなく事故として警察は処理した。そうは考えられないかな?」
「まさか、犯人を隠蔽したと?」
「ありうる話だよ。さらに言えば、ここは終幕管理局。事実をなかったことにすることなんて、簡単にできるじゃないか」
千葉は疑いを抱いたのだろう、それとなく周囲を見回した。
「もっと言えば、被害者は『幕開け人』だったんだ。ここの人間なら十分に動機がある。いわば、世界の敵でもあったんだから」
「……そうかもしれません」
日南の言葉に千葉は返した。
「考えてみれば、ただの事故だった場合、被害者のデバイスを警察が見ることなどないはずです。『幕開け人』だったという情報も、わざわざ公表する必要はありません。つまり、警察は事件であることに気づいていた。でも、それを権力で握りつぶしたがために、
千葉の推理に日南はたしかな手応えを感じた。
「それじゃあ、俺と一緒に調べてくれるか?」
「ええ、真実が知りたくなってきました」
鋭い目つきで答える千葉へ、日南は真剣に問う。
「先に聞いておくけど、君の知ってる人が犯人だったとしても、いいんだな?」
少し動揺したのだろう、千葉は目を泳がせてからそっとグラスに手を伸ばした。水を一口飲み、グラスを元の位置へ置いてから、覚悟を決めたように日南を見る。
「もしそうだとしても、身内
力強く、頼もしい言葉だった。
日南は安堵し、にこりと微笑んだ。
「ありがとう、千葉くん」