「あれ? ゴミ箱の十四番、また復活してますね」
虚構世界管理部の一角で、職員の一人がモニターを見つめながらつぶやいた。
彼が見ている画面には、アカシックレコードの情報をリアルタイムに示す3D映像が表示されていた。
隣席の職員がコーヒーカップを片手に、横からのぞき込みながら言う。
「ああ、『終末ミステリ談議』のことだろ? 何回消しても復活するから、最近じゃもう放置することにしてるよ」
「それじゃあ、もう気にしなくていいんですね?」
隣席の職員は軽くため息をつきながら返答した。
「そういうことだ。消したって、どうせまた復活するんだから、見なかった振りをするのが正解ってわけ」
「なるほど、分かりました」
若い職員はその言葉に素直に従い、すぐにマウスのカーソルを動かした。
図書室へ入ると、めずらしく北野が一人で本を読んでいた。
「お前がここにいるなんてめずらしいな」
と、日南梓が声をかけながら近づくと、北野は本から顔を上げて返す。
「ずっと部屋にいるのも退屈だから」
「まあ、そうか」
彼女の向かいへ腰かけて、日南は問う。
「でもお前、ずっと眠ってたんじゃないのか?」
「少しは起きてたよ」
北野は本にしおりひもを挟み、テーブルへ置いた。彼女が読んでいたのは、横山秀夫の「ノースライト」だった。
「新しい情報は入ったか?」
たずねた日南へ北野は頬杖をつきながら言う。
「うん、ちょっとおもしろいことになってきた、かも」
「おもしろいことって?」
本の表紙を指先で撫でながら、北野は答える。
「あのね、日南隆二が仲間になってくれるんだって」
聞き覚えのある名前にはっとして、日南は彼女を凝視する。
「それって、たしかオレたちの……」
「うん。日南さんたちの生みの親で『理不尽探偵』の作者」
北野はくすっと笑い、日南を見る。
「彼ね、今恋してるんだって」
「……」
「好きな人の物語、取り戻そうとして『幕開け人』になろうとしてるの」
日南梓は内心ではっとしたが、表情には出さずに黙っていた。
北野はかまわずに続ける。
「しかもそれがね、なんとあの蛹ヶ丘魔法学校なんだって」
嬉しそうに微笑む彼女の気持ちを、日南は瞬時に察した。同時にあの、懐かしい彼らのことが思い出されて、少し胸が切なくなる。
「マジか」
「マジだよ。作者である彼女が望んだことではあったけど、消したら精神的に不安定になっちゃったらしいんだ。智乃と同じ」
そう言うと北野は席を立った。日南へ背中を向け、震える声で言う。
「想像した物語ってね、すべて宝物なんだよ。絶対に失くしちゃいけないものなの。でも、そうと気づかずに消しちゃったんだね。自業自得なのにさ、日南隆二は彼女のために、今度は終幕管理局を裏切ろうとしてるんだ」
「ややこしいな」
と、日南は軽く苦笑する。
「でも、弟たちは簡単に彼を信用しなかった。わたしを殺した犯人を見つけることができたら、仲間として認めるんだって」
現実世界に居場所のない北野を、日南は複雑な思いで見つめる。
北野はわざとらしく明るい声で言った。
「どう? おもしろいことになってきたでしょ?」
「……ああ」
日南は腰を上げると、小刻みに震える彼女の肩を抱きしめた。
「悲劇を繰り返させないために、オレの作者は決意したんだな」
「っ……」
北野が体の向きを変え、日南の肩に頭を埋める。日南隆二がしようとしていることは、かつての北野響と同じだった。
「でも、彼の方にも条件があって……『理不尽探偵』を返してほしいんだって」
「返す?」
日南の背に腕を回し、北野はくぐもった声で言う。
「そう。記憶の核を取り戻せたら、弟に譲った権利を、作者という立場を返すことで決まったの」
「ああ……そうか。今のオレたちを想像しているのは、お前の弟なんだったな」
日南隆二が何を考えているのか、日南梓には分からない。想像する人間が変わったところで変化を自覚することもない。
しかし、現実世界では着々と事態が進んでいることだけがたしかだった。
千葉の部屋へ来たのは二度目だった。
食卓で向かい合って座り、彼の作ってくれた手料理を堪能しながら、日南隆二は推理してきたように話をする。
「昼間も話したように、終幕管理局の中の誰かが犯人だとしたら、その事実を消去した可能性がある。もちろん隠蔽ってことだから、ある程度地位のある人だと考えられるな」
「さっそく検索してみましょう」
千葉は食卓の端に置いていたノートパソコンを手元に引き寄せ、操作し始めた。
真剣な顔でキーボードを打つ彼を見ながら、ふと日南はたずねた。
「前からちょっと疑問だったんだけど、そのパソコンでアカシックレコードの検索ができるってどういうこと?」
ちらりと日南を見てから千葉は答える。
「これは元々、研究のために使っていたものですよ。情報を解読するのに、検索できなければ意味がなかったので」
「じゃあ、終幕管理局とは別ってこと?」
「ええ、そうなります」
そういえば千葉は天体物理学を学んでおり、アカシックレコードもとい惑星インフィナムの調査にも行った人間だ。研究用だと言われれば納得できた。
やがて千葉が喉の奥でうなった。
「ありませんね……日南さんの言う通り、消されているかもしれません」
「本当に?」
と、日南は神妙にする。
「分類としては些事記憶のはずなので、虚構記憶のように細かく検索するのは難しいんですが……それにしても見つかりません」
「じゃあ、やっぱり上層部なのか。となると、敵だから殺した、という動機も成り立ってくるな」
「ええ」
千葉はノートパソコンから手を離し、今度は手首に装着した小型のデバイスを動かした。アドレス帳を見ながら彼が言う。
「上層部となると、まず局長である
「他には?」
「創設初期からのメンバーを含むとすれば、もっと数は増えますが、ざっと三十人くらいにはなるかと」
「うーん、容疑者が多いな。やっぱり上層部に絞って調べた方がよさそうだ」
そう返した日南だが、局長は当然として、部長クラスに近づくのは容易ではない。課長であっても、直属の関係がなければ顔見知りになるのがせいぜいだろう。
すると千葉が平然と言う。
「開発研究部には顔が利くので、僕が調べますよ。虚構世界管理部の方とも知り合いになりましたし、川辺部長についても調べられるでしょう」