うつむき加減になりながら一坂は話す。
「誰かに自慢できるような人生じゃないし、何もうまくいかないし、凡人以下のつまらない人生でした」
「よく分かる。努力はいつも裏切られるし、生きてくだけで精一杯で……でも、モブなりにも人生はあって」
一坂の絵に視線を戻し、日南隆二は楽しそうに笑っている探偵を見つめる。
「俺が『理不尽探偵』を書いていなければ、きっと、一坂さんと出逢うことはなかったんだろうなって、今、ふと思いました」
物語の墓場で探偵たちが生きていなければ、渡たちや千葉たちと知り合うこともなかった。主人公になるべくは彼らの方だが、日南は彼らの人生に添えるかすみ草の一枝になれたら、それでいい。
「そうですね。私も蛹ヶ丘魔法学校を作っていなければ、きっとこうして、日南さんのそばにいることはなかったでしょう」
やわらかく言いながら、一坂が日南へそっと寄りかかる。
日南はうなずき、しばらくそうして、二人静かに寄り添っていた。
「消去した記憶の位置って、記録されてるんでしたっけ?」
室内へ入るなり、日南は渡にそう質問された。
きょとんとしながらも日南は返す。
「ああ、むしろそれが俺の仕事だけど」
「そうでしたか。じゃあ、探してください」
「何を?」
「智乃の物語のあった位置です。それと同様に他二つの位置も」
「それはいいけど、何で?」
「あれ、千葉くんから聞いてませんか?」
きょとんとする渡へ日南はうなずいた。
「うん、まだ何も聞いてない」
「そうでしたか。えーと」
渡がどう説明したものかと言葉を探している間に、奥の部屋から東風谷が言った。
「量子テレポーテーションの時に、観測する必要があるんですよ。そのためにあらかじめ位置を特定しておくことで、観測しやすくするんです」
簡潔な彼の説明を聞いて、日南は何となく理解した。
「そういうことか。たしか、智乃さんの物語が消されたのは三年前だっけ?」
「ええ、そうです」
「物語のタイトルは分かる? それがあれば見つけられると思う」
渡はソファへと移動しながら、古い記憶を呼び起こす。
「たしか……白と黒のカコトピア、です」
日南はすぐにデバイスを操作してタイトルをメモした。
「ありがとう。さっそく明日から探してみるよ」
「よろしくお願いします」
いつものように二人並んでソファへ座り、日南は鞄から一枚の紙を取り出した。
「一坂さんから絵を受け取ってきたよ」
と、渡へ差し出す。
受け取った渡は絵を見つつ、立ち上がって東風谷の横へ立った。
「へぇ、上手いじゃないですか」
のぞき込むようにして東風谷も言う。
「この画風、わりと好きだな」
彼女の絵が受け入れてもらえたことにほっとして、日南は言った。
「それじゃあ、その絵を使うってことでいいな?」
「ええ、もちろんです。純人、あとでスキャンして保存しといて」
「了解」
と、東風谷は渡から絵を受け取って、デスクの端へそっと置いた。
ベッドで横になって本を読んでいると、北野がやってきた。
「聞いたよ、日南さん。ノートパソコン、修理しちゃったんだってね」
日南梓は少し照れくさくなりながら起き上がった。
「ああ、自分でもビビってる」
と、本にしおりを挟んで膝の上へ置く。
「すごいじゃん。物語、書くんでしょ?」
北野はテーブルに置かれたノートパソコンを見つけると、興味津々な様子でながめ始めた。
「うん、そうなんだけどな……」
日南はたまらずため息をつく。
「え、どうしたの?」
と、北野が振り返り、日南は言った。
「西園寺が相談に乗ってくれるって話だったんだけど、あいつ、このタイミングで京極夏彦にハマりやがった」
「あっ、すっごく分厚いやつだ!」
「よく知らんが、まだ読んだことのない本を見つけたらしい」
日南は言いながら、手にした文庫本へ視線を落とす。
「読み終えるまで待ってって言われたけど、いつになるんだって話だよ。まったく、頼りになるんだかならねぇんだか」
辟易して再びため息をつくと、北野がそばへ寄ってきた。
「それで日南さんも読んでたんだね」
「ああ。読むのも勉強になるからな」
すると北野が「何読んでたの?」と、隣へ腰を下ろした。
日南は表紙を彼女へ見せながら返す。
「米澤穂信の『本と鍵の季節』だ。けっこうおもしろいぞ」
そう言ってからふと、図書室でのことを思い出す。この本の隣に初めて見るタイトルが並んでいたのだ。
「でも、これに続編が出てたのは知らなかったんだよな」
北野が首をかしげながら聞く。
「どういうこと?」
「奥付を確認したんだが、どうやらオレたちのいた二〇二二年より後になって出版されたらしいんだ。つまり、オレたちの知ってるわけがない作品がここにはある」
「それじゃあ、この世界は……」
「おそらく二〇二二年より後に想像されてる。一番新しい本を見つければ、きっとその頃だって判明するんだろうが、さすがにそこまではな」
苦笑する日南へ北野は言った。
「そうだよね。確かめてみたいけど、どれが新しい本なのかなんて分からないよね」
西暦何年の設定なのか確かめたことはないが、置かれている本はいずれも経年による日焼けや擦れが見られ、新品同様のものは一冊もない。北野が言うように、新しい本がどれなのか探すのは難しかった。
「考えてみれば西園寺だって、京極夏彦の作品は全部読んでるはずなんだ。それなのに読んでない本があったとなれば、そりゃあ読んじまうよな」
好きな作家の新作ほど心惹かれるものはない。その気持ちは日南にもよく分かった。
すると北野がひらめいたように言う。
「もしかしたら、この世界が想像されたのってわりと最近なのかも」
ちらりと彼女を見やりながら日南は返す。
「最近って言っても、四年前には『創造禁止法』だろ?」
「だから、それが施行される直前だったのかもしれないよ」
はっとして日南は気づく。
「そういえば、ここは復活したんだったな。覚えている人がいるから、消されても思い出す人がいて、その度に復活する」
「うん、それはきっと新しい物語だから。新しいからこそ、何度消されても記憶に残ってる人がいて、復活を繰り返してきた世界なんだよ」
北野の言葉に納得し、日南は「そういうことだな」とうなずいた。