「よっしゃ! やっと使えるようになった!」
日南梓は雄叫びを上げ、ガッツポーズをしてからベッドへ倒れ込んだ。
「ガチで修理が必要になるとか、しかも自分の力だけで直せたとか、考えられねぇよ……」
小説の構想を放ってパソコン修理に費やすこと五日。とうとうノートパソコンの電源がつき、画面が起動した。
「あー……あとで西園寺に知らせねぇと」
ぐったりしながらつぶやき、日南は疲労感から両目を閉じた。今はとにかく眠って、それから知らせに行こうと決めた。
千葉とともに現れた田村は、渡へ向かって分厚い資料の束を差し出した。不機嫌なのか、険しい顔をしながら言う。
「人間の脳に量子システムが組み込まれてるのはガチだ。ずっと昔、アヌンナキが遺伝子改変の時に組み込みやがった」
突拍子のない情報に渡は目をぱちくりさせ、横から東風谷が口を出す。
「そういや、アヌンナキって本当に存在したんだっけ」
「人類の祖だ。あいつらが地球に来て今の人類を作り出した。けど、量子システムを意識的に動かせるのは限られた人間だけ」
「それがパラサイトドリーマーであり、想像力の豊かな人間は、無意識的にアカシックレコードとつながっているらしい」
と、千葉が補足するように言い、渡は彼を見上げる。
「ということは、もしかして僕はすでに?」
「そうなるな。前に僕が話した通り、強く意識すれば特定の記憶の核と量子もつれを結べるはずだ」
強めの口調で言う千葉だが、すぐに田村が口を出す。
「けど、大事なのはそこから先だ。量子テレポーテーションをさせるには観測者がいないとならねぇ」
「観測者?」
渡と東風谷が首をかしげ、千葉は説明する。
「量子もつれの関係にある量子AとBがあるとする。誰かが量子Aの状態を観測し、それを量子Bの観測者に伝える。それから観測をすることで、量子Bは量子Aと同じ状態になる、というのが量子テレポーテーションだ」
「ただし、すでに脳に組み込まれているシステムの仕様によっては、古典的な方法に頼らなくてもできる可能性がある。それについても調べてきたから資料を読め、と言いたいところだけど……」
田村はため息をつき、頭をがしがしとかいた。
「口で説明した方が早いよな。手順はこうだ。まず、パラサイトドリーマーが取り戻したい記憶の核と量子もつれの関係を作る。次に記憶の核を誰かが観測する。それをパラサイトドリーマーに伝えることで、そいつの頭ん中に記憶が戻る」
「それじゃあ、観測者は一人でいいということ?」
東風谷の問いに田村はうなずく。
「ああ、記憶の核がどこにあって、どんな状態にあるかが分かればいいんだ」
「でも、目には見えない小さなものなんだろう? それをどうやって観測する?」
渡の疑問に答えたのは千葉だ。
「たしかに検索して見つけられるものではない。でも、より精密に検索できないか、方法を探しているところだ」
「っつっても、量子もつれさえできれば、あとはどうにでもなりそうだけどな」
半ば呆れたように田村が言い捨て、渡は彼へやや厳しい視線を向ける。
「ちゃんと説明してくれる?」
「だから、脳にある量子システムの性能によるんだよ。あくまでも今渡した資料は、宇宙科学の最先端にいる人間たちが得たものであって、ぶっちゃけると真偽までは分からねぇ。だから、アヌンナキに会って直接話が聞けないか、親父に相談しておいた」
「アヌンナキに会う!?」
東風谷が大げさに驚き、田村はため息をつく。
「会えたとしても、量子システムについて教えてもらえるとは限らねぇ。シュメール語はかじってるから会話に問題はないはずだけど、あんまり期待されると困る」
千葉がじっと、もの言いたげに田村を見た。
渡も東風谷と顔を見合わせ、次元の違う田村に対してどう捉えたらいいか迷う。
「どっちにしても、結果待ちってことだな」
と、東風谷が言い、渡はうなずいた。
「そういうことだね。でも、これだけ科学的な情報がそろってくると、すごいな」
渡は手にした資料へ目を落とし、その様子を見た東風谷が言う。
「ああ、今度こそ日南さんも納得してくれるかも」
とっさに渡は苦い顔をした。
「いや、そもそも宇宙人なんているのかって言われそう」
「オカルトじゃないか、って?」
千葉が言って小さく笑い声を漏らし、つられて東風谷と渡も笑った。
田村は口をへの字に曲げてつぶやく。
「オカルトじゃなくて、もう現実なんだよ」
世界は刻一刻と変わっていく。宇宙に暮らす種族たちとの交流を経て、人類は地球を離れて生きる術を模索しているところだ。
彼らの暮らすスペースコロニーもまた、日々改良に改良を重ねていることを、多くの人々は知らない。
仕事終わりに一坂から連絡があった。日南は終幕管理局を出ると、まっすぐに彼女の部屋を訪れた。
床に座った日南へ、彼女が数枚の紙を差し出す。
「あの、何枚か描いてみました。どれがいいか、分からなくて」
日南はたまらず声を上げた。
「すごい、こんなに描いてくれたんですか!?」
「い、いえ……全然うまく描けなかったし、申し訳ないくらいなんですが」
褒められ慣れていない一坂が困惑の顔を浮かべるが、日南はにっこりと微笑んだ。
そして一枚ずつ絵を見ていく。
「うわあ、まさにイメージした通りだ。あ、でも構図はこっちの方が好きかも」
二人の男がテーブルを挟んで向かい合って座っている。角度や向きに加え、表情や姿勢、小物などを微妙に変えて描かれたそれらを、日南は熱心に見ながら言った。
「ちなみに一坂さんは、どれがいいと思いますか?」
「えっ……えーと」
戸惑いながらも彼女は日南の隣へ座り、一枚を指さした。
「これ、ですかね……?」
日南はまじまじとながめて言う。
「ああ、いいですね。西園寺の表情がいいと思ってたんです」
「でも、探偵さんの方がちょっと、イケメンじゃなくなっちゃったというか」
「そうかな?」
首をかしげてからふと日南は気づく。
「でも、彼は昔の俺だから。設定ではイケメンにしてるけど、別にイケメンでなくてもかまわないんですよ」
一坂がどこか腑に落ちたような顔で日南を見つめた。
「自分を投影したキャラだっていう話でしたね」
「うん。プロの作家になれず、主人公になれなかった俺を、無理やり主人公にしたキャラだよ。どうせ俺はモブなのに、美化しすぎた」
自嘲を込めて日南が笑うと、一坂も少しだけ笑った。
「それなら私だってモブです」