それから他愛もない話を30分ほどしていたとき。真理愛の電話が鳴った。
「あっ! たっくんだ!」
たっくんとは、真理愛の年下の彼氏のこと。
嬉しそうに電話で、
「もうすっかり元気になったよ~ 色々心配かけてゴメンね~」
いつもよりワントーン高い声で話す真理愛は、その後「……えっ、もちろん、OK! わかった!」と、いそいそと切った。
「たっくん、仕事が早く終わって今日中に帰ってくることになったよ。それで、駅で待ち合わせして、ご飯行くことになったから。で──」
わかりやすい表情で「準備があるから」という真理愛に、何の準備だと不機嫌に問えば、
「もう、寿々だってわかるでしょう! 色々あるのよ。わたしの彼氏、まだ若いから、うふふ」
若いからなんだ、とさらに問おうとした寿々は、まだ飲みかけのコーヒーカップを真理愛に奪われ、背中をグイグイと押されて、左近之丞とともに、5分後にはマンションから追い出された。
親友の頼みだからと、顔を合わせづらかった元見合い相手に連絡して、迷惑な手紙と御朱印の継続を受け入れてまで除霊をお願いしたのに。
左近之丞にしたって、昨日の今日で呼び出され、霊視して、格闘して、除霊して、高価な護符までプレゼントしたのに。この扱いだ。
帰り際、玄関ドアの前で、
「キタミン、お世話になりました。寿々、ありがとう。次回の飲み代は、わたしが奢るからね!」
あれがなかったら、友情に大きなひび割れが発生するところだった。
それでも「まったく、調子がいいんだから」とプリプリしながらマンションからでてきた寿々とはちがい、
「無事に憑き物がとれて良かったですね」
左近之丞はご機嫌だった。
その理由はというと、
「地縛霊なんかに好かれる幽霊顔の真理愛さんがいなかったら、こうして寿々さんとは会えませんでした。しかも、あの玉輿の婆さん……あっ、玉依さんがいないときに憑かれてくれるなんて、タイミングも申し分ない。怒られそうですけど、お憑かれ様です~と申し上げたいです」
半分以上、悪口に聞こえなくもない。
そうして来客用の駐車場に停めておいたドイツ製の車までやってくると、
「あの、寿々さん、無事に真理愛さんの除霊もできたことですし、我々もお疲れ様ということで、いっしょに食事でもいかがでしょうか」
かしこまった左近之丞から、お誘いを受ける。
「……いいですよ」
その誘いを受けた理由はというと、今日いちばん緊張した面持ちの左近之丞が、寿々の返事を待つ間、両手の拳をブルブルさせながら唇まで震わせていたからだ。
「それじゃあ、どこに行きましょうか」
「じつは僕、予約をいれていまして──」
そういわれて車で連れてこられた場所は、まさかの『高砂ホテル』だった。
しかも、あの時の女性従業員に「蓬莱谷様、お待ちいたしておりました」と出迎えられたうえ、特別室に案内されたのは、さすがに予想外だった。
九月第1週の土曜日から、ちょうど一ケ月後。
時間こそ違うけれど、分厚い座布団が三枚重ねられた上座の座椅子に座らされた寿々は、
「申し訳ありませんでしたっ!」
前室にて畳に額をこすりつけ、土下座する北御門左近之丞を、引き
り顔で見下ろしていた。一か月前の見合いとは、見事に立場が逆転していた。
オーソドックス代表のチャコールグレーのスーツを着て、下座でひれ伏す男と、白シャツにワイドなデニムパンツで、上座から殿様ばりに見おろす女。
時代劇好きならば、あのお
そこに「失礼します」と前室の奥から声がして、あわてて寿々は殿様座布団を二枚脇に投げ、目の前にある座椅子を指差して「はやく座って!」と左近之丞に命じる。
「おそろいですか」と仲居さんが入ってきたときには、なんとか一般的な会食前の雰囲気を装うことができた——が。
お茶を淹れる仲居さんの前で、
「間近でみる寿々さんは、まさに
「密室では眩し過ぎて凝視できません。ちょっと目隠しをしてもいいですか」といきなりネクタイをほどき、自分の目を覆いはじめた左近之丞は、
「あっ、僕、視えなくても大丈夫です。なんでも出来ます。逆に視えない方が感度も鋭くなって、いろいろ高まるというか。いつも以上のポテンシャルを発揮できます。それに持続力もあるので、1時間でも2時間でも問題ありません。寿々さんのためなら、いくらでも御奉仕できます」
と、仲居さんの想像をおおいにかきたて、おおいに誤解を招く、最悪の言葉選びをしてみせた。
目隠しで感度が高まる美形の男と、あまりのことに真顔になってしまった女。
この室で、これからいったい何がはじまるのかと、興味津々な仲居さんと目があった寿々は、ちがうんです、と首を振ってみせたが、ベテランの風格漂う仲居さんは「大丈夫です」といったあと、そっと奥座敷に顔を向け、寿々にささやいた。
「あれでしたら蓬莱谷様、お食事の前に、少々お時間をいただきまして奥座敷にお布団のご用意をしておきましょうか。どうぞ、お気になさらず。特別室でのことは口外しないのが当ホテルの──」
そこまで聞いたところで、
「そのような気遣いも布団も無用です! 本当にちがいますからね!」
強めに否定した寿々は、左近之丞の顔に手を伸ばして、ネクタイを剥ぎ取る。
「アンタも余計なことしないっ!」
しかし、寿々が触れた瞬間。
「──んアアッッ! 寿々さん、ハアァ、いい……この感じ、もっと触って」
あられもない声と淫靡な吐息を発した左近之丞のせいで、特別室はより一層、ただならぬ雰囲気となった。