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第11話 星はスバル



 これも、やはり正直に話すべきだろう。


「禮子さんからの話だったというのは、たしかに大きいんですけど……正直いって、北御門さんの写真をみて、顔に魅かれたのが最大の理由かな」


 その瞬間、左近之丞の赤茶の瞳がくわっと見開かれた。


「つ、つまり、それは! 僕の顔は、寿々さんのお好みに合っているということでしょうか!?」


 べつに寿々の好みというわけでもなく、この顔面偏差値なら、たいていの女子は魅かれてしまうだろう。


 そういう意味で「まあ、そうですね」といったところ、


「よかった……僕にひとつでも、寿々さんに気にいってもらえるところがあって……」


 下唇を噛みしめて、左近之丞は目尻に涙をためた。


「ジムでスパーリングするとき、顔だけは霊力でガードしていて良かったです」


 そうつづけて、そんなこともできるのかと、寿々を驚かせた。


「知らなかった。霊力って、意外と万能なんですね」


 そこでまた、左近之丞は首を左右に振った。


「いえ、まったく万能ではありません。いまでこそ、イヤな霊はボコボコにできますけど、そうなるまでは、なまじ霊力があるせいで、何でも視えてしまって、僕はいつも怯えていました」


「アメリカにも、たくさん霊がいるんですか?」


「うようよしていますよ。ときどき、生者と霊の区別がつかないときがあって、あれはキツかったな。そんなときは、片っ端から神聖なものに縋ったりもしたんですけど、本当に魔除けや祓いの効果がある呪具や呪物はごくわずかで、それだって、より強く禍々しい霊を引きよせてしまうこともあって」


 それは以前、禮子もいっていたような気がする。


『人にしろ、物にしろ。霊力が強いっていうのも厄介でね。場合によっては、そこらにいる霊を引き寄せてしまうんだよ』


 ここまで左近之丞の話を聞く限り、幼年期、思春期と、なんとも生き難かっただろうな、と思う。


「僕が日本に帰国した理由は、呪具や呪物に頼ることなく、自分の霊力で、不浄な霊どもを祓えるようになりたかったからです」


 そうだったのか。


 たしかに、今日の特殊な除霊ぶりを見る限り、積年の恨み辛みが、拳や蹴りに込められ、これまでの鬱憤を晴らすような見事な絞め技でのフィニッシュだった。


 それからまたしばらく、寿々と左近之丞はコーヒーを飲みながら湖畔沿いを歩き、公園を出て、グリーガーデン高原ヒルズにあるレジデンスの前までやってきた。


「えーと、ここなんです。これも禮子さんのツテで住んでいて……」


「素敵なところですね」


「ええ、気に入っています。あっ、上着、ありがとうございました。それから、今日は本当にお世話になりました」


「いえ、いいんです。僕の方こそ、今日はありがとうございました。寿々さんと会えて、食事して、散歩して……こんなにも穏やかで幸せな時間はいつぶりかな」


「おおげさだなあ」と上着を返しながら寿々が笑えば、左近之丞の瞳が一気に真剣みを帯びた。


「おおげさではないんです。今日、真理愛さんの自宅で地縛霊を成仏させてから、僕は一度も霊を視ていません。これはまぎれもなく、僕に近づこうとする不浄な霊たちを、寿々さんの後光が退けてくれているからです」


 そういいながら左近之丞は、周囲をぐるりと見まわした。


「僕はいま、生者の世界に生きている。そう実感させてくれるのは、寿々さんがいてくれるからなんです。霊力で遮断しなくても、悪霊の腐臭も怨念も感じない。月が昇りはじめて魑魅魍魎、幽鬼怪異が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしはじめる夜だというのに、何も気にせずに夜風を吸い込むことができるなんて」


 夜空を見上げて深呼吸を繰り返す姿は、本当に嬉しそうで自然と寿々も笑顔になっていく。


「ねえ、寿々さん。星に願いは届くと思いますか」


「さあ、どうですかね。願い事にもよると思いますが。願掛けなら、玉輿神社がいいですよ」


 星をみつめる左近之丞の口元が、また楽しそうにフッと歪んだ。


「あそこはちょっと。僕が行くと絶対にぼったくられます。願い事ひとつにつき、一千万くらい奉納しろとか、平気でいってきそう」


「あれ、この間、わたしにキャッシュで一千万円払う気だったじゃないですか」


「寿々さんにお支払いするのと、ぼったくり神社に納めるのとでは、僕のなかで価値がちがいますから」


 心底嫌そうな顔になった左近之丞がまた可笑しくて、


「それなら星に願った方がいいですね。どの星にしますか?」


 九月初旬。夏の星座と秋の星座がみられるこの時期。理系の左近之丞は、迷うことなくいった。


「スバル」


「理由は?」


「たくさん星が集まっているから。どれかひとつくらい、僕の願いを叶えてくれるかもしれない。それに、清少納言も『スバルがいい』って、いっていますから」


「清少納言が?」


「はい──星はスバル 彦星ひこぼし ゆふづつ 流れよばい星 すこしをかし 尾だになからましかば まいて──って、枕草子です」


「へえ」


「夕づつは金星ですけど、けの明星みょうじょうではなく、よい明星みょうじょうを選ぶあたり、センスありますよね。でも、流れ星に関しては、おいおいって、ツッコミたくなる。尾を引いていなかったら流れ星じゃないだろう、って思いませんか。でも、清少納言的にはそれはイマイチだったんでしょうね……それで、僕がこんなに早口で、正直、どうでもいいような枕草子だとか、星の話をしている理由はわかりますか?」


 それまで星をみていた左近之丞が急にこちらを向いて、今度は寿々に訊いてきた。


 皆目見当がつかない。星に願いはどうなった? と思っていたら、


「僕はいま、信じられないくらい緊張しています。だから早口なんです。星を見上げても落ち着かない。星の話をしても落ち着かない」


 また左近之丞は早口で話はじめた。


「でも、星に願って叶うなら、僕は天頂に輝く恒星、惑星、衛星、彗星、星雲、星団のすべてに願います。それぐらい僕は——」


 少しだけ潤んだ瞳の虹彩が、星の瞬きにみえたとき。


「好きです。寿々さん、貴女のことが大好きです。僕は、ずっと、貴女のそばに在りたい」


 左近之丞の願いが告げられた。






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