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第12話 調子のイイ女



 寿々がはじめて告白されたのは、中学生のときだった。


 次に告白されたのは大学生で、最後は社会人になってすぐのころ。


 三回分の記憶をたどっても、このパターンは、はじめてだった。


 星空の下での告白は、シチュエーションとしてはよくあるけれど、かの有名な清少納言の『枕草子』の一節に「おいおい」と突っ込んだあとで、そこから「好きです」と告白されるとは……つまるところ、予期していなかった。


 それもあって、左近之丞の顔を見つめたまま、なにひとつ言葉がでてこない。


 見合いの日から、ちょうど一か月。


 再会して、半日いっしょに過ごしてみてわかったことは、北御門左近之丞という人は、かなり特殊な除霊をする霊能者で、少し苦めな学生生活を送った帰国子女。


 そのせいか、アレコレ誤解を生じやすい言動が多いけれど、会話をするのは──まあ、苦痛ではない。


 不思議と知れば知るほどに、初対面で感じた左近之丞に対するマイナスのイメージは薄れていく。


 さっき湖を眺めながら、本人がいったように、


『こういう話を……一か月前のあの日、僕はするべきでした』


 そうだったら、どんなに良かっただろうかと寿々も思った。


 顔は文句なしに美形だけど、言動はちょっと困り者な霊能者のことを、少なくとも嫌いにはならなかったし、「地獄に落ちろ」と捨て台詞を吐くこともなかったはず。


 きっと別れ際に「また会いましょう」と約束をして、どこかにデートへ行き、美味しいものを食べて、また次に会う約束をして、何度か目のデートでお互いを分かり合えたとき、恋人になれたかもしれなかった。


 その可能性は、十分にあったと思う。


 でも──心に刻まれたあの日の出来事。


『でもさあ、僕、結婚する気なんて、まだ1ミリもないんだよなあ。相手の写真も釣書でみたけどさあ。これといって……』


 面と向かっていわれたわけではないけれど、あの言葉は存外、寿々を傷つけていた。だれが見ても美形の男に、自分の容姿を卑下されたからなのか、あまりにも面倒くさそうな態度にショックを受けたからなのか。


 ときどき。なんてことはない日常で思い出してしまうのだ。そのたびに、ツキリとわずかに胸が痛む。たとえどんなに「悔いています」と、あの日のことを謝られても、巣食ってしまった負の感情を無かったことにはできない。


 だから、今夜また「好きです」と告げられても、その言葉の力は半減して、あの日に受けた心の傷を消すまでには至らなかった。


 逆に記憶が蘇り、あれもまた、まぎれもなく北御門左近之丞の一面なのだと、寿々のなかで重く、暗く、根付いてしまった。


 たとえば一度くらい、この傷を上手く隠して、左近之丞の好意を受け入れる、ということは出来なくもない。でも、何かをきっかけにして、また傷が疼くかもしれないと思うと、もう一度傷つく覚悟をしてまで、その好意を受ける気にはなれなかった。


 まだ訪れてもいない日のことをアレコレと悪く考えるのは「寿々の悪いクセ」だと、真理愛にはよくいわれるけれど、これまでの自分の男運のなさを考えると、遅かれ早かれ、その日が来るのは目にみえていた。


 だからこそ、今夜の告白に対する寿々の答えは、あらかじめ決まっているようなものだった。


「ごめんなさい。北御門さんの気持ちには、残念ながら応えられません」


 さっきまで心地よかった夜風が、急に冷たくなった気がした。


 自分を真っ直ぐに見つめてくる整った美しい顔が──歪んだ。


 両目に涙が浮かび、あふれた一筋が頬を伝って真一文字に結ばれた口元を通過して、顎筋をとおって消えていく。


 こんなときでも、キレイだなと思った。それにしても、よく泣く人だ、とも思った。


 でも、何度見ても、どんな泣き顔であっても、このレベルの美形ともなれば、「いい大人のくせに」と呆れることなく、鑑賞に堪えられるというのは、羨ましい限りだ。


 それからもうひとつ。こんな美しい男を振って泣かせて、わたしって悪い女ね──と、まるで自分がとんでもなく「イイ女」になった気分にさせてくれるのも、ある意味、美形の良さである。


 見合いの日に傷ついたとはいえ、その日を含めて今日まで、泣いて縋ってきたのは、まちがいなくこの男の方。


 そのあたりがまた、北御門左近之丞という、どこか憎みきれない性質キャラクターとして一役買っている。


 これだけ絵になる男に「好き」といわれて、イイ気にならない女はいないのだから。ここで──あっ、そうかと思った。


 イイ女ではなくて、イイ気になった女。それが、いまの自分だと。


 ストンと腑に落ちた理由は、身に覚えがあったから。それは昨夜から、ほんの少しずつ感じていたことでもある。


 真理愛の件で電話をしたとき。左近之丞は絶対に断らないだろうという自信が、寿々にはあった。


 キレイごとを抜きにしたら、自分に向けられる好意を利用してやろうという目論見もあって、それが済んだらさっさと「さようなら」をするつもりだった。


 意味のない期待は持たせない。そうするつもりだったのに、再会を喜んでくれた左近之丞と食事をしたことも、夜の散歩をして期待を抱かせたことも、すべて寿々が「イイ気になった」からだといえる。


 自分との仲を懸命に修復しようとする左近之丞を見て、悪い気はしないからと、すっかり楽しんでしまった。


 そうして予期していなかった二度目の『告白』を受けて我に返り、「ごめんなさい」と左近之丞を傷つけた。


 一か月前と今日。お互い一回ずつ傷つけ合ったのだから、これでお相子。五分五分でいいじゃない、と。


 これでキレイさっぱりとあと腐れなく、涙を流す左近之丞を置いて立ち去る──それができるのが、本当にイイ女なのかもしれない。


 それができずに、


「ひとつ、提案があります」


 ここで妥協案を示すあたり、わたしもたいがいだな、と思うけれど致し方なかつた。


 それがイイ女にはなれない、イイ気なった女あらため『調子のイイ女』蓬莱谷寿々である。





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