調子のイイ女は、この期に及んで打算的だった。
なぜなら、自宅にあるダンボール箱を思い出したからだ。
告白では動かなかった心が、リビングに積まれたダンボール箱を思い出して動いた──友だちなら、と。
大人になってからの友だちなんて、と思わなくもなかったけれど、交換条件つきで友だちになれば、今夜のうちに、もうひとつの問題が解決すると思った次第である。
「北御門さんの告白に応えることはできませんが、今日、真理愛のことでお世話になって、食事をして、公園を歩きながらお話をして、あの日……最初に会ったときとは印象がだいぶ変わりました」
寿々の言葉に左近之丞の顔は、地獄から天国へと早変わりしていく。
「それで、まあ、月並みではあるのですが、『お友だち』というところから、はじめてみませんか?」
「お、お、おともだちっ!」
一メートルほどの距離をとって立っていた左近之丞は、嬉しさのあまり、かなり前傾姿勢となっている。
右手を突き出した寿々に、これ以上は近づくなと牽制されて、再び姿勢を正したものの、赤茶の瞳はこれでもかと輝きを放ちはじめ、打算的な女の目にはまぶしい。
多少の後ろめたさはあるけれど、ぬか喜びさせる前に、寿々は条件をだした。
「提案というのは、その『お友だち』になるにあたって、わたしと約束して欲しいことがあるんです」
「なんなりと! なんでも、いってください!」
昨夜の電話につづき、これはもう絶対に断らないだろという雰囲気のなかで、寿々はいった。
「毎日送ってくるあの手紙と切り絵ですけど、あれはもうけっこうなので、今後一切、送ってこないで欲しいです」
「ひええええっ!」
夜の空に悲鳴が響いた。左近之丞の表情は、面白いように変化している。
男の胸中ではいま、『お友だち』か『お手紙&切り絵』かの天秤が、揺れ動いているのかもしれない。
そういえば、昨夜の電話でも、『これだけは絶対にいわないでください』と前置きがあって、『寿々さん……お手紙と切り絵だけは、どうかつづけさせてください。お互いのためには、それが最善なんです』とかいっていたので、左近之丞にとっては、あの一方通行な『お手紙&切り絵』が大事なのは、たしかだった。
存外この取引は、ファインプレーだったかもしれない。ただ断るだけでは、のらりくらりと誤魔化されて、延々に送られつづけてきた可能性が高い。
寿々にとっては迷惑で、受取る叶絵や届ける七福にとっては、さらに迷惑であることは間違いないのだから。
「どうしますか?」
決断を迫る寿々に、左近之丞の目はまたしてもウルウルしだした。
「三日に一回では……」
「ダメです」
「では、せめて一週間に一回だけでも!」
切実さは伝わってくるけど、こういうところはキッパリと。
「ダメです」
「ううぅぅぅ」
よほど苦渋の選択なのか。下唇を噛みしめた左近之丞は、寿々に手を合わせた。
「お願いします。どうか、あと一回だけ。いま、超大作を製作中なのです。本当であれば昨日、完成予定だったのですが……不測の事態によって、ちょうどいま、再作成中なのです」
「…………」
そんな超大作は、マジでいらないんだけど。でもまあ、ここらへんが手の打ちどころかもしれないと、調子のイイ女は、もうひとつ、いいことを思いついた。
「わかりました。あと一回だけ受け取ります。これが最後ですよ」
「はい! ありがとうございます!」
「そのかわり、受取りは一か月後で」
「い、い、いっかげつごぉ!?」
「それが不服であれば、もう受取りません」
「そ、そんなぁ」
悲しそうな目をしてもダメだと、寿々はダメ押しをする。
「不服であれば、お友だちの件もなかったことに──」
「い、いい、いえっ! それでいいです!」
「そうですか。では、その間は、手紙と切り絵以外のモノも、決して送ってこないでくださいね。メッセージも不要です」
「…………はぃ」
ついに膝から崩れ落ちた左近之丞はうな垂れ、がっくりと路上に両腕をついて、「ぐぬぅぅ」と変な声をだした。
相当なダメージを受けている様子をみて、四つ這いになった左近之丞のかたわらにしゃがみ込んだ寿々は、
「まあ、そう落ち込まないで。一か月後には、必ず受け取りますから」
その背中をトントンと、軽く触れた瞬間だった。
「うひゃ!」
また変な声をだした左近之丞は、お尻を突き出しながら上半身を思いっきり反らせた。そのポーズは、見ようによっては卑猥でしかない。
「ちょっと! 何してんのよ! ほら立って!」
周囲の目を気にした寿々が腕をとって立たせるも、その際にまた「ああぁぁ、寿々さん、そんなにされたら」と、また誤解を招く声を発する。
すっかり忘れていた。この男、超絶過敏だった。
「もう、何なのよ!」
「すみません。僕、寿々さんに触れられると色々と昂ってしまって……」
「そういうことを口にしない!」
「はい!」
この男と友だちになることに、早くも後悔を覚える寿々だが、ここまできたら仕方がない。ひとまず呼吸を落ち着かせて、左近之丞と向き合った。
「とりあえず、一か月間。わたしとの約束が守れたら、また来月、どこかで会いませんか? 超大作とやらは、そのとき受取りますから」
風はまだ冷たかったけど、
「また、来月……会える」
左近之丞の顔は紅葉よりも真っ赤に色づいた。