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第14話 暗雲


 午後八時を過ぎた公園に、浮かれた男がひとりいた。


 高原ヒルズ方面からライトアップされた人工湖に現れ、


「首の皮一枚! いや、薄皮一枚つながった! やったあ~」


 散策路を飛び跳ねるように闊歩している。


 夜のデートスポットである公園には、湖畔を眺める恋人たちがいたり、ベンチで肩を寄せ合いながら愛を語らう男女が点々といたりするが、男は現在、何も目に入っていなかった。


 バンザイをするように、明るい月に両手をむけた男は、


「嗚呼、どっかの神様、知らない仏様、たいして信じていなかった八百万の神々様、今回ばかりは感謝します!」


 不敬極まりない言葉を口にしながら、前方不注意の三回転ターンを決めた。


 その途中、手をつないで歩く恋人たちに接触して、つながれた手を断ち切ったことにも気づかない。


 迷惑なターンのあとは、ほどよい暗がりのベンチで良い雰囲気になりつつある男女の頭上を、


「Yay!  I did it !  Oh my God !  That’s amazing ! いやったあ~」


 やたらと発音の良い英語を叫びながら、まるでハードルのように飛び越えていった。


 浮かれ喜ぶ迷惑な金髪に、奇異の目が集まりだしても、男が気に留める素振りはない。


「ああ、はやく、こい、こい、約束の日。指折り数えて、あと四週間。寝ても醒めても貴女のことを想う~」


クルクル、クルクル~ ステップ、ステップ、ジャンプ! ジャンプ!


 元来、男は周りの目など気にする性格ではなかった。周囲に好かれようが嫌われようが、何と思われようがどうでもいい。自分が良ければそれでいいタイプだった。


 それぐらい協調性に欠ける男で、友人と呼べる相手はアメリカにひとり。腐れ縁が日本にひとりいるだけ。


 恋愛面においても異常なほど淡泊で、気が向いたときに「今からいい?」と呼んで来てくれる人なら、だれでもいい。行きずりも悪くない。


 さらにヤルことヤッたら「さっさと帰って」と、露骨に態度で示すタイプで、それが嫌なら「僕なんか、相手にしなければいい」と悪びれもしない。


 博愛主義者のアメリカの友人は「サコンは、愛を知らない」と呆れ、日本にいる腐れ縁からは、「そろそろ呪い殺されればいいのに」と会うたびにいわれた。


 しかし、そんな男が───ついに、愛に目覚めた。


 日々、悪霊怪異に精神を消耗させていた北御門左近之丞が、欲してやまなかった後光を放つ女性に、ついに出会うことができた。


 二十九歳にして一瞬で恋に堕ち、彼女のそばに在りたいと、なりふり構わず願ったものの、これまで愛をないがしろにしてきた男は、ここで天罰を受ける。


 彼女と出会う数秒前。あまりに軽率で不用意な言葉を、男は発してしまった。それにより彼女の怒りを買い、「地獄に落ちろ」と唾棄された。


 それから一か月。


 一生の不覚を悔やむ男が、まさに地獄のような日々を過ごしていたとき、彼女からの一報がはいった。


 そして今夜。昂る気持ちを抑えきれず、二度目の求愛をして「ごめんなさい」とされた。今度こそ奈落に突き落とされたと思ったそのときだった。


 ──『お友だち』というところから、はじめてみませんか?


 奇跡が起きた。


「また、来月……会える」


 これはもう、狂喜乱舞しても致し方なかった。しかし公園を出て、駐車場に停めていた車に乗ったとき、左近之丞の頭は急激に冷えた。


 もう、絶対に失敗は許されない。


 あの日の過ちを繰り返すことがあってはならなかった。


 浮かれている場合じゃない、と身を引き締めた直後。今度はどこからともなく、得体の知れない気配が押し寄せてきて、背筋にひんやりとしたものが這い上がってきた。


 なんだこれは?


 同業者の霊気ではなく、悪霊どもの気配でもない。いまだかつて感じたことのない感覚だった。いていえば悪寒に近い。


 フロントガラス越しに外を霊視してみても、広い駐車場には何も視えなかった。


 いまいちど周囲を見渡した男・左近之丞は、最後に夜空を見上げた。


 ついさっきまで秋の星座が瞬いたのに、いまはもう何も見えないほどの暗雲がたちこめていた。月も星も輝きをはばまれ、夜の帳が一気に落ちたような不穏さ。何か不吉なこと。悪いことが起きる前触れのような気がする。


 たとえば、自分の恋路を阻むような何者かが現れるような──


 左近之丞の赤茶の目が剣呑に光る。


 首の薄皮一枚つながったこの状況で、できれば荒事は避けたいが……


「まあ、いい。どこからでも来い。人の恋路を邪魔するヤツは、古今東西、馬に蹴られて死ねというが、僕の恋路を邪魔するクソ野郎は、この世とあの世の狭間でいたぶり尽くして──呪い殺す」


 呪詛を込めて呟き、ハッとなる。


「ダメだ! こういうところが寿々さんに嫌われる原因かもしれない。こんな乱暴な言葉をまた聞かれたら……」


 高砂ホテルでのトラウマが一気によみがえり、「ひゃぁぁぁぁ」と悲鳴をあげた左近之丞の全身が総毛立つ。


 車内の暖房を最大値にしてガタガタと震えながら、


「自制、自粛、自戒、自重、節度、節制、抑制、謙虚、心頭滅却!」


 オリジナルの印を結びつつ、気を鎮めた。


 冷や汗がこめかみをつたう。油断をするとすぐに本性が、むくりと鎌首を持ち上げてしまうのが、とても厄介だ。


 ここ数年の悪い生活態度と悪癖習慣は、いつなんどき自分の首を絞めるかわからないと、左近之丞はおののく。


 これをなんとかしないと……


 その夜。高原山の山頂にある実家『北御大社』に帰った左近之丞は、真理愛の自宅で強制成仏させた地縛霊を「在るべき処にさっさと逝け」と手荒く祓い、宮司である父親に、一か月ほど奥院で修練することを伝えた。


 左近之丞としては、厳しい修練とみそぎを通して、己のけがれを祓い、大社での規則正しい生活によって、少しでも悪癖が改善すればと思ってのことだった。


 しかし、有り余る霊力を持ちながら、金にならない神事には指一本動かそうとしなかった三男が、「大社の神事にも参加する」といいだして、もしや狐が化けているのでは思った父親は、


「左近、しっかりしろ! 今、父さんがっ!」


 憑いた狐を落とそうと、息子の背中に高速で『犬』と三回書いて、力の限りに叩いた。


「──んなッ! 痛ってええええなっ!」


 寿々のことで頭がいっぱいだった左近之丞は、狐落としの呪法に気づかず、いきなり背中を殴打されたことで、反射的に父親を首投げしていた。


 合気道をたしなんでいる父親もまた、反射的に受け身を取って転がると、互いの闘争本能に火がつく。


「バカ息子の憑き物を祓ってやろうとしているのに、親に対してその態度はなんだ!」


「ダレに何が憑いているって?! 耄碌したな、親父! さっさと引退しろ!」


 神聖な神楽殿にて、取っ組み合いがはじまった。


 騒動をきいて駆けつけた光近みつちか景近かげちかの兄ふたりは、木刀をもってこれを制圧。


「親父も左近も、いい加減にしろ」と、長兄・光近が怒鳴った。


「ふたりとも山で野宿させるぞ!」と、次兄・景近が裏山を指差した。







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