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第3章 エース・伊勢崎護彌

第1話 美カースト



 霊峰高原山の頂上にある北御大社の木々は、秋色に染まっていた。


 いまが一番の見頃といっていい時期で、参道の美しい紅葉を観るため、週末ともなると境内は多くの参拝者で賑わう。


 さらにこれからは、七五三、秋の大祭、年末年始の神事に初詣と、大きな行事がつづく繁忙期となり、この地域でもっとも格式の高い神社である北御大社は、文字通り「猫の手も借りたい」という神職たちの呻き声が、あちらこちらから聞こえてくるほど、朝から晩まで大忙しとなる。


 しかし本日、北御大社の朱色が美しい鳥居の前には、七五三も初詣もこれからだというのに、すでにゲッソリとした顔の男がふたりいた。


 ふたりとも白衣に浅葱色の袴という神職の常装で石段に座り込み、傾斜のある参道を見降ろしている。


 披露困憊といった表情で、半ば横たわるように腰掛けているのは、北御門家の長兄・光近みつちか


「俺はこの日を……指折り数えて待っていたぞ。神無月がこんなにも長く感じたのは、生まれてはじめてだ」


 その数段下の石段では、ひとつ下の弟・景近かげちかが、まさに満身創痍といった状態でうな垂れていた。


「俺はそれ以上だ。暦の日めくりを毎日三枚ずつ、破り捨てたかった」


 朝靄のなか。


 ふたりの視線は、さらに斜め下へ。疲労困憊、満身創痍にさせられた元凶。悪名高き末の弟に向けられている。


 その悪弟・左近之丞は、ゲッソリとした兄たちとはうって変わり、飛び跳ねるような元気の良さで、参道の石段を駆け降りていた。ときおりシャドーボクシングのような動きをして、視えない何かを石段に叩きつけては、また駆け下りていく。


 それを見た光近は、「ご愁傷さまだな」と、間の悪い霊たちを憐れんだ。


 この一か月間。尋常ではない修練で、左近之丞の霊力はさらに高まり、術の精度は格段に上がっていた。


 弟の強い霊力にうっかり引き寄せられた浮遊霊や魍魎たちは、いまごろ罵詈雑言を吐かれながら手荒く祓われているだろう。


 その証拠に、景近が「うわあ、ひでえな」と眉をひそめる。


 左近之丞ほどの霊力はないが、景近も強い霊力の持ち主で、本人いわく「左近が裸眼で1.5なら、俺は0.1ぐらいだ」という、ぼんやりとした霊視ができる。


「兄貴、アイツ、ますます狂暴化しているぞ」


「だろうな。俺たち相手にだって、左近のヤツは容赦ないから……ああ、手首と肘が痛えな。ちくしょう」


 捻られた利き腕をさすりながら光近がいえば、「俺の方が痛い」と景近は、袴をあげてみせた。両脚の脛には、執拗にローキックで狙われた痣が斑模様になっていて、見ているだけで痛覚が刺激される。


「なあ、兄貴。俺、思うんだけど、アイツを野放しにするよりも、いっそのこともう一回、中央の陰陽寮にでも入れて使役させた方が、世のため、あの世のためになると思うぞ」


 弟の案を、光近は即座に却下した。


「やめとけ。たとえ世のため、あの世のためになったとしても、俺たちのためにはならない。入寮した翌日には、陰陽頭おんようのかみから苦情がきて、監視役として俺かオマエのどちらかが呼ばれるぞ。まあ、監視したところで、アイツを止めるのは無理だけどな。正直、いまの左近を押さえつけられるのは、玉輿の婆様ぐらいだ」


 溜息まじりの光近につづいて、景近からも溜息が吐かれた。


「そういえば、例の左近の見合いだけど、玉輿の婆様からの縁談だったんだろ」


「ああ、大失敗だったらしいけどな。左近の話では、御相手だった方は天照大神あまてらすおおみかみの再臨らしくて、孔雀が羽をひろげたような金色こんじきの後光を放っているらしい。うちの御祭神にむかって左近が、『寿々照大神すずてらすおおみかみ様』っていって拝んでいるのをみて、俺はゾッとしたぞ」


 景近もブルりと身震いして、白衣の左右の袖口に両腕を入れ込んだ。


「左近に惚れられるなんて……なんというか。それこそ、ご愁傷さまとしかいえねえけど。そんなにすげえ後光なら、俺も一度くらい、寿々照大神すずてらすおおみかみ様に癒されてえなあ」


「やめとけ。アイツの狭量は異常だからな。脛のローキックじゃ済まなくなるぞ」


「会うだけならいいだろ」


「ダメだな。なんでも、寿々照大神様が唯一気に入っているのが、左近の顔らしいから」


「顔?」


「そう。それ以外は最低最悪で、地の底らしい」


 たまらず景近が吹きだした。


「俄然、興味がわいてきた。寿々照大神すずてらすおおみかみ様は、左近のことをずいぶんと良くわかっていらっしゃる。どうりでフラレるわけだ。アイツ、本当に顔と霊力以外、良いとこないからなあ。口は悪いし、狂暴だし、生意気だし」


「そういうこと。だから、いまのところ唯一気に入られている顔で勝負するしかないんだとさ」


「なるほどなあ。なんだかんだいって、俺たち顔が似ているからな。寿々照大神すずてらすおおみかみ様に近づけたくないわけだ。でも、それなら俺と光近だって、見合い相手としてアリだったわけだろう? ふたりとも独身だし、顔にしたって俺たちの方が断然いいんだからな。なんでまた玉輿の婆様は、よりにもよってアイツを……」 


 その言葉に偽りはなかった。


 もともと北御門家は容姿端麗な者が多い社家として有名で、とくに当代の三兄弟は、神社仏閣界隈において『神スリー』と呼ばれるほど、皆目がよろしかった。


 とくに長兄・光近は、圧倒的な美を誇る『神の御使いレベル』と称され、最大の賛辞を贈られていたし、ついで次兄・景近は、銀髪なこともあって、神獣のなかで最も美しいとされる『九尾の妖狐レベル』と讃えられていた。


 このように人間ばなれした超絶美形の兄たちが幼少期からそばにいるため、道を歩けば誰もが振り返る容姿といっても左近之丞は、『人間界・上位レベル』と称されて久しい。


 ひとむかし前の寺社とその支援者の集まりでは、


「あれじゃあ、神ツーと付き人だな」


 三兄弟がならぶと陰口を叩かれることもしばしば。


 容姿の優劣と反比例するように、人一倍霊力が強かった左近之丞は、自分に向けられる負の霊的エネルギーを、まざまざと視覚していた。


 それにより軽い人間不信に陥ったあと、「勝てば官軍。力こそ正義なり」をモットーに、気に入らない相手を力によって、ねじ伏せることを覚えた。


 これら幼少期からの美カーストが、今日こんにちの北御門左近之丞の歪んだ人格形成の一端を担ったのは、たしかである。






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