明るくなってきた東の空。
オレンジ色の朝焼けに、長兄・
弟たちに比べて霊力は劣るが、人間ばなれした勘の良さを持つ光近は、東から南の空に向かって伸びる一筋の灰雲を睨んだ。
「吉凶混合……不意を突かれて思い通りにならないような……水難、いや水に濡れそうな感じか。とにかく色々と起きそうな気配がするな。さて、玉輿の婆様をどこまで信用したらいいものか。本日は末吉……いや凶か。どちらにせよ、ひと波乱、ふた波乱ぐらいは起きそうだな」
それを聞いた次兄・
「ちょっと待て。左近がこれから
「まあまあ当たる……ぐらいなら、いいけどな。できれば俺も、そう願いたい」
「だから、そういうのやめてくれって。どっちにしたって、俺たちが平穏を取り戻すためには、左近が報われるように願うしかないだろ」
「まあ、そうだな。でも、今日はちょっと
「だったら、左近のやつに、玉輿の婆様に頭を下げるようにいってやれよ」
光近が「わかってねえな」と頭を振った。
「あの問題児が、そんな大人な対応をできると思うか? できるわけがないだろ。そもそも、良識的な対応をしていたら、見合いが失敗することもなかっただろうし、そのとばっちりで、俺たちがボコボコにされることもなかった。オマエ以上に満身創痍にされた親父をみてみろ。どうすんだよ、年末にかけての神事が山ほど控えているっていうのに、腰をやっちまってから……ったく」
「あれはまあ、左近も悪いけど、親父も
むかしから父と弟に甘いところがある景近は、眉を八の字にして「しょうがねえだろ」という。その景近を「しょうがねえ、じゃねえ」と睨んだ光近は、南に向かってますます濃く、幅広になってきた筋雲に、嫌な気配がさらに増した。
まずいな。あっちは玉輿神社の方角だ。
凶事が起きるとしたら……
もうこれ以上は察したくない光近だったが、幸か不幸か、お告げのような予感がする。予感というよりも、悪寒といった方が正しいのか。
南を向いたまま黙り込んだ兄を、下の石段から見上げた景近は、いよいよもって嫌な顔をした。
「なんだよ。本格的に凶事の予感でもするのかよ。もしかして、とんでもねえ
「言い得て妙だな。俺の予感では、降ってくるというよりは──戻ってくるイメージが強いけどな」
禍が戻ってくる──という兄の言葉で、すかさず景近の脳裏に浮かんだのは、さきほど参道を駆け降りていったばかりの悪弟・左近之丞の顔だった。
この一か月、霊力を駆使した格闘技で悪霊を祓うという無茶苦茶な弟の修練に、無理やり付き合わされてきた。
景近が知る限り、ここ最近はお遊び程度にしか除霊も格闘技もしていなかった男だが、いざ本気になると勘を取り戻すのが恐ろしく早かった。
霊力の出力を自由自在に制御しながら、緩急をつけた打撃からテイクダウンして、執拗な関節技もしくは絞め技を仕掛けてくる。
さらに今回の修練では、いつもの罵詈雑言に加えて、自業自得でままならなくなった恋の艱難辛苦を嘆いていた。それが、とにかくうるさかった。
「長いっ! 一か月も会えないなんて! 会いたい、会いたい、会いたぁぁぁぁい! くううううううぅぅっ~ 耐えろ、耐えるんだあ~~」
「左近……てめえ、ふざけんな! 耐えているのは、俺だ!」
天井知らずの霊力でギリギリと絞めてくる弟を相手に、おなじく霊力で対抗するも、質、量ともに敵わない景近は、幾度も落とされかけた。
そんな狂暴男を、今朝やっとこさ送り出したと思ったのに、早々に戻ってくるとは……
「兄貴、頼むからなんとかしてくれ。もし、その禍とやらが左近なら、これ以上は俺の身体がもたねえ。七五三どころじゃなくなるぞ」
秀麗な顔を歪める弟に、兄は素っ気なくいった。
「こればっかりは無理だな。神様のお告げみたいなものだから。どちらにせよ。俺には左近を相手にできるほどの霊力はないから、せいぜい一日一戦が限度だ」
「一日一戦って、なんだよそれ。一日一善みたいな言い方して、もっと、できるだろ。せめて、一日三戦はしてくれ!」
「無理。親父があの調子だからな。寄進にこられる氏子の皆様や企業様の御相手を、いったいダレがするんだ? 景近と左近は、霊力は高いけれど、人当りは最悪だからな。オマエ、一時間も笑顔で応対できるのか?」
長兄の正論に、景近は返す言葉が見つからなかった。
「マジかよっ! 最悪だあぁ!」
美しい銀髪を掻きむしる弟に、兄は南方を見つめながらニヤリとした。
「まあ、あとは、禍転じて福となす、を期待するしかないんじゃないか」